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自己治癒力快復道場ハッピー体験記0311

ハッピーという言葉に「薄っぺらくはないか?」と疑ってみた。

単に、ハッピーってうわついているのではなく、苦しんでいる泥の中でさえハッピーを感じられるんだよっていう重みのあるハッピーなんだと認識。

でも、カタカナで「ハッピー」って書くとなんだか軽く感じるのはなぜだろう?

「しあわせ」のほうがいいな。うん。そうしよう。明日から、「自己治癒力快復道場しあわせ体験記」に変更しようっと。うん。今の私にしっくりくる!いい気づきであった。

3月11日(金)

みんなは過去に起こった震災のことを語ったりしている。でも、私は語らない。一人の命を守ることでさえできづらいときがあるのに、大げさな「命の重み」みたいなことを語るのは「フリ」をしているようで嫌だった。

朝から縦横ハチマキをして体を整えながら、今日もやっぱり「ありがとう」行。「ありがとう」を感じるのは、達成するしないではない気がして続けたいと思った。

便意はもよおさない。もうそのことにくよくよするのはよそうと思ったから、すんなり山へ歩きにいった。

今日は、人が少なかった。頂上で平井大さんの「題名のない今日」を聴いてみた。でも、ゆっくり最後まで聴けるほど人は少なくなかった。顔見知りの方がやってきたので、そこで中断して下山した。

イチゴを沢山いただいたので、昨夜から今朝にかけて、イチゴを満足いくまで食べさせてもらえた。しあわせだなぁ。

昼を食べてから、娘の合格祈願をお祈りした神社にお礼参りにいった。なんか、心のもやもやがあったが、母と行っておきたい気がして誘っていった。でも、母とでかけるのは、限界があるなぁと実感。歩くペースがかなり違ってきているし、価値観も違ってきている。今後は、なるだけ、私は、私のペースででかけようと思った。天気がいい中お礼参りできたことはよかった。

でも、娘は昨日荒れたらしい。やっぱり第一志望が不合格だったからだろう。私でさえ、かなりもやついていたのに、そりゃ本人は相当だろうなとはたと気づく。何もしてやれないのが残念だ。もうなんか、私にはお手上げなんだよ。

私は、私の人生を淡々と生きていくしかない。納得いくように。

そう覚悟している。って言っていて、ふと思った。覚悟できているか?ゆらぐ自分がいるな。

よし、こんな時は、ハッピーターンノートの出番だ。

今日起こったいいこと

山歩きが楽しかった

イチゴがおいしかった

お礼参りに行けた

沢山歩けた

母とおいしいロールケーキを食べられた

おいしい巻きずしを買えた

兄にお土産を買えた

指輪をでき続けた

娘の寮のカーテンとふとんの発注はがきが出せた

尊敬する先生にお手紙を書いて出せた

自分を褒められること

ちゃんと歩けたじゃん

帯もちゃんとできてるじゃん

便がでなくてもくよくよしてないじゃん

自分を感じられているじゃん

お礼参りいけたじゃん

痛みも感じられているじゃん

感謝の気持ちを大切にできているじゃん

住んでいるところへの感謝

行きたい神社にいい距離

山歩きができる山が近い

おおらかな駐車場がある

兄の事務所が近い


ありがとうなことです。

今日も私は、生きてます。



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