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僕は周りの社長がうらやましかった

大手企業への売却
社員2人で年商10億円
起業初年度で月利5000万円超え
起業初年度で月収150万円の一人社長

ありがたいことに、僕の周りには俗にいう成功している社長がたくさんいる。
素晴らしい才能に触れられるこの環境ってたぶん、めちゃくちゃ贅沢だ。
でも…僕は…

死ぬほど彼らが羨ましかった。

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遡ること10年前、第一志望の早稲田大学に補欠まで残ったあとに不合格となり、法政大学に進学した僕は絶望しつつも次の目標を探していた。

「せめて惨敗だったらスッキリと諦められたのに…。」

そんなことをぼやきながら、満開の桜に囲まれたキャンパスを歩いていた時にとあるチラシが視界に飛び込んできた。

交換留学…か。」

そのチラシで踊る文字は安っぽいフォントとデザインだったが、内容はかなりずっしりとしていた。

・GPA(大学での成績)
・TOEFLまたはIELTSのスコア(これが鬼門だった
・英語と日本語での小論文および面接
などなどの厳しい選考を通り抜ければ、海外の大学に無償で派遣されるものだった。正直、「うわ〜、これは厳しすぎる」と思ったけど、人生を変えたかった僕は本気で目指してみることにした。

長期休みには決まって、居酒屋や塾でのアルバイトで稼いだありったけの貯金を注ぎ込んで、語学学校や短期留学に投資した。たった1ヶ月の留学ですら50万円〜70万円が吹き飛ぶようなヒリヒリする自己投資だったけど、どの経験も自分にとっては大事な構成要素となっている。

1日に13時間、ひたすら英語に向き合うことも日常だった。ストレスで動悸やめまいがでようがお構いなし。大学受験で味わった屈辱をもう二度と味わいたくなかったし、英語コンプレックスを乗り越える為にはどんな犠牲だって払おうと覚悟が決まっていた。その覚悟が、弱い自分を的確にグサリと突き刺して殺してくれていたんだと今振り返っても思う。

そんな必死の努力の甲斐あって、学部の成績優秀者としても表彰され学費は返還され、無事に交換留学生として選ばれることができた。



2万7千人いる学生の中で3名の枠に選ばれ、アメリカ大使館でケネディさんにご挨拶する機会もいただけたのは今でも名誉に感じている。
その後、経験したアメリカの大学での約1年間の留学体験は一生涯忘れることはできない。
帰国してからは悲願だった第一志望の大手企業に内定、入社した。

第一希望の会社だっただけあり、当時の僕は有頂天。
が…。
入社してからは自分の価値を発揮することができずに早期退職してしまった。当時の自分は己の無力さから目を背け、逃げるように会社を後にした。
会社の上司とのウマも合わず、自分のことが大っ嫌いになった。

根っからのポジティブ人間であるぼくがinstaに病みストーリーをあげたとき、50名を越えるメッセージを友人たちからもらった。あのとき、初めてinstaを開きながら狭くて暗いビジネスホテルでむせび泣いた。心が疲弊していたからか、号泣すらできなかったのを今でも覚えている。
この時はまだ、自分の心が壊れていたことにすら気づけなかった。心ってすぐに壊れるんだなぁと痛感した出来事だった。

下記2枚は当時の病みストーリーだ。闇に包まれていて、いま自分が読んでもドン引きする。

いくらなんでも病みすぎてる…

こうやって盛大にこじらせた挙句、僕はサラリーマンのキャリアに挫折した。

ノープランで退職してしまったから、当然やることも決まっていない。
生きていく為にできることは、なんだってした。

路上靴磨き(1円しか受け取らないスタイルでやっていた)
・トラックの運転手(2トントラックの運転ならお任せあれ)
・ライバー(17での配信は楽しかった)
・イベントスタッフ(五輪聖火リレーのプロジェクト。日本全国を回る仕事は刺激的で楽しかった!)

そして、この時に並行していたのが英語を教えることだ。
中学の同級生が貿易業を始めるとのことで英語が必要になり、声をかけてくれたのがキッカケだった。
自分が苦労して、英語学習で無駄な遠回りもしてしまった後悔があったから、指導にも自然と熱が入る。
レッスンを通して、生徒さんが自信をつけていくこと。英語が楽しいと言ってくれることが嬉しくて、どんどんとのめり込んでいった。 
気づいたら並行していた仕事を辞めて、英語教育業にリソースを全投下していた。

当時は一人で運営も講師業もやっていたので、睡眠時間もプライベートもほとんどなかった。
24時過ぎまでレッスンをし、26時まで添削、LINEでのチャットコーチング。翌朝6時にはレッスンが開始するから寝坊もできない。そう思うと心臓がバクバクして余計に眠れなかった。
ふと時給に換算すると、なんと脅威の450円ほど。「バイトってすげぇな…!」と笑ってしまったなぁ。

そんな駆け抜けるような日々を過ごしている時にかけがえのない仲間ができた。僕の生徒として90 Englishの前身の『毎朝オンライン英会話』というサービス(絶望的に名前がダサい。笑)を受講してくれていたゆうたろうがその人だ。
ビジネスのビの字もわからなかった僕に、大手企業で社内起業も経験していた強力な仲間ができた。彼が優秀すぎて、新手の詐欺なんじゃないか?と疑ったこともあったけど。(笑)
時給450円だった僕は報酬を払う余裕もなく、無給で働いてくれている彼に甘えていた。それでも文句一つ言うことなく「このスクールは英語に困る人を救える事業だから、一緒に頑張ろう!」と言ってくれた。
そして、二人で共同創業の形で90 Englishが誕生。


今の90 Englishの原型を二人でああだこうだ言いながら創った日々はとても熱くて、そして、とっても温かかった。
4年の間に仲間がどんどん増え、今や50名を超える優秀なメンバーが90 Englishを支えてくれている。

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『社長の友だちは社長』とはよく言ったもので、今では経営者の友人に囲まれている。みんな最高に熱くて、そして、最高にクールな人間たちばかり。
冒頭で書いた通り、そんな成功者たちを羨ましく思うことはたま〜〜にあった。

いや、ごめん嘘…しょっちゅう羨ましく思ってた。

こんなに頑張っているのに…なんで…。
そう心の中で嘆いたことも幾度となくある。その度に「調子に乗るな。お前のパフォーマンスはまだまだ低すぎる。」と自分を叱るんだけれども。

「社長なんだし、お金持ちでしょ!」と言われることもあるがそんなに現実は甘くない!(笑)
“役員報酬”の名前の迫力とは裏腹に、実態は新卒の月給ほど。
ただ、90 Englishで英語を教えているコーチには相場の倍の報酬をお支払いするようにしている。高校3年生まで日本語しか話せずに、その後、壮絶な努力の果てに英語をマスターした人しか採用していない。英語の外部資格のスコア基準で言うと人口の2.3%以上。つまり、トップクラスの人材だ。
とてつもない努力と、生徒さんに寄り添った上での工夫とともに英語コーチングのレッスンは提供されるから、それぐらいの待遇を受けて然るべきだと思うからだ。
大手の英語コーチングの約半額で生徒さんにご提供し、コーチには適正な報酬をお渡しする。それを影で支えてくれている運営メンバーには頭が上がらない…。本当にありがたい。

ぶっちゃけ周りの社長と比較すると、僕は今はお金持ちではない。
けど、負けないことがある。それは仲間持ちであることだ。僕の会社のビジョンである『誰もが挑戦できる社会を創る』ことに共感し、一緒に走ってくれる仲間がいる。


どんな苦楽もともに乗り越えたいと思える仲間がいるんだ。
こんなに幸せなことってない。
そして、この先もこの幸せを噛み締めて生きていきたいと思う。
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日本人は多かれ少なかれ、英語にコンプレックスを持っている。そして、どこかで『英語=不可能の象徴』と思ってしまっていると思う。
ただ、このボトルネックを取り払うことができれば…不可能の象徴を乗り越える体験を提供できれば…日本はまだまだ世界に通用すると思う。
僕はかけがえのない90 Englishの仲間とともに、英語に困る日本人を救いたい。そして、英語という名のある種の不可能を超える経験を通して『挑戦できる社会を創る』という途方もない夢を叶えたいと思う。

今日、2023年3月31日は90株式会社の設立記念日だ。
会社としては3年目に突入。まだまだ道すがら、命を燃やしてこれからも仲間とともに躍進していこうと思う。

明日、2023年4月1日には渋谷に『カフェ&バー90』も開店する。

【店舗詳細】 https://x.gd/xlpRg


初の実店舗で、右も左もわからないが突き進んでみる。
挑戦するって時に怖い。けど、その怖さすら楽しめたら最強。
ジェットコースターのような人生、一瞬のライドを遊び倒そうと思う。

まだ28歳。残された命を使って、仲間と一緒にビジョンを達成していこうと思う。
この記事を読んでくれているあなたにもぜひ、ぼくに力を貸して欲しい。
不可能と思うことにも挑戦しようぜ。
そして、その経験や熱量を伝播させていこう。

これからの90 English、90株式会社の応援
何卒宜しくお願いいたします!!


〜誰もが挑戦できる社会を創る〜
90株式会社 代表取締役
高田 勝太


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