私の陸上歴③

市民ランナー編② 〜日立陸上クラブとの出会い〜

2013年 第1回日立ランニングフェスティバルに出場。それをキッカケに日立陸上クラブに関わり始めます。ここまでは市民ランナーとしてほぼ全盛期。

日立陸上クラブコーチ①

2014年 正式に陸上クラブのコーチになる。だんだん市民ランナーとしてのモチベーションは下がり始める。コーチとしてのモチベーションは最高。走りながらコーチングする。陸上クラブ中学生はこの当時、5人程度。意識が高い選手と低い選手の差が激しい。実力は高い少数精鋭。茨城県でトップ8クラス二人入る。この時は練習量を重視する指導。

日立陸上クラブコーチ② 〜二平コーチとの出会い〜

2015年 二平コーチと出会う
彼は高校時代から知っていました。彼が3年生の時にちょうど水城が強くなってきてそれから名前は知っていました。城西大で箱根駅伝やインカレのハーフ出場し卒業し、日立市内の企業に勤めてツイッターで陸上の指導に興味を持っているという事を知り、陸上クラブへ誘いました。2016年ごろから正式なコーチとなり、お互いチカラを合わせて陸上の指導をする。二平コーチのおかげで選手の意識もかなり上がりました。今の陸上クラブの中学生長距離の躍進は彼のチカラが大きいです。 

坐骨神経痛に苦しむ

2017年頃から坐骨神経痛になり完全に走らなくなる。仕事や私生活にもかなり影響を受ける。走るコーチ&市民ランナーも完全に終わる。陸上クラブの中学生も増え、長距離もかなり増え始める。また、小学生の長距離やりたいという選手も増え始める。小学生や中学生の陸上競技の人気が上がってきているのを肌で感じ始める。

2018年 新1年生の動きづくり担当になる。2017年頃からスプリントドリルの重要性を感じ始め、そこから動きづくりに興味を持ち始めて自らも実践し、練習不足ながら400mのスピードが上がる。2017年頃から量より質重視志向になり、短距離や跳躍や投擲にも興味を持ち始めて勉強し始める。ピッチスピードとストライド両面を上げるような動きづくりを取り入れて約2か月指導。2020年も行います。2018年終盤に坐骨神経痛が治る。また市民ランナーとしても走り始める。

日立陸上コーチ③〜走れるコーチ&市民ランナー復帰〜

2019年 楮川駅伝にて駅伝復帰、日立さくらロードレースハーフにて個人レース復帰。2年程度ほぼほぼ走っていなかった事によりハーフは1時間27分掛かる。しかし、それでもかなり上出来。走る楽しさをまた感じ始める。徐々にタイムも戻ってきて2020年3000mで久々に10分切れるようになってくる。日立陸上クラブの練習でもまた中学生を引っ張れるようになり始める。

→陸上歴④〜今までのまとめとこれからについて〜に続く

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