色盲、色弱に代わる新しい呼び名がある世界
色覚には4種類ある
赤、緑、青。私たちは光の波長をさまざまに組み合わせて色を見る。ヒトの色覚には4つのタイプがあり、どの色覚を持って生まれるかは繊体細胞と呼ばれる視細胞の数で決まる。
最も多いのが3色型色覚さん(Trichromat)。赤・緑・青を感知する3つの繊体細胞を用いて100万通りの色を見る。
2色型色覚さん(Dichromat)は繊体細胞を2つ持ち、赤緑青のうち2つを組み合わせて世界を見つめる。
赤を感じる繊体を持たないプロタノピアさん(Protanopia)
緑を感じる繊体を持たないデュタノピアさん(Dutanopia)
青を感じる繊体を持たないトリタノピアさん(Tritanopia)
2色型色覚さんは圧倒的に男性が多い。
1色型色覚さん(Monochromat)は繊体細胞が1つ。明と暗で構成される世界は白黒映画のイメージに近いだろうか。極めて稀で10万人に3人とも。
人類は3タイプ構成と長らく思われていた。
しかし近年の研究で繊体細胞を4つ持つ人々の存在が明らかに。4色型色覚さん(Tetrachromat)は大半が女性で、何と1億色を識別できるという。
なお、生物界はもっと多彩だ。鳩は5つの繊体細胞を持ち、アゲハチョウはさらに第6の目も備えているらしい。
無知ゆえの差別
世の中は多数派に都合良くできている。全人類の9割以上を占める3色型さんたちは繊体細胞の少ない2色型さんを「色盲」、1色型さんを「全色盲」と呼んだ。
さらに3色型さんの内部にも差別があった。3つある繊体細胞のうち1つの感度が低い人々への差別。
赤の感度が低いプロタノマリーさん(Protanomaly)
緑の感度が低いデュタノマリーさん(Dutanomaly)
青の感度が低いトリタノマリーさん(Tritanomaly)
彼らは総じて「色弱」と呼ばれた。
私が子供の頃は小学校の健康診断で色覚検査を受けていた。世の中には色を見分けにくい人たちがいるらしいと知ったのはその頃だ。
泡模様の中に数字が見えるテストを経て子供たちは密かに分類された。この学校に何人いるのか気になったが誰も教えてくれなかった。
日本人男性の20人に1人、女性は500人に1人がいわゆる色覚異常だという。想像していた以上に多い。混んだ電車の同じ車両に数人いる計算だ。欧米ではもっと多く、男性の10人に1人とも。
多様な色覚を持つ人たちと、私たちは知らず知らず日々交わっている。
相互理解への助走
色が見えない人は弱者なのか。
否。彼らは色への依存度が低い代わりに形や質感、パターン、動きなどへの識別能力を磨きながら健やかに育つ。色のあふれた都会で暮らす3色型さんたちは、緑に覆われた森や見渡す限りの砂漠では途方に暮れるだろう。色への依存度が低い2色型さんの中にはカムフラージュを見破るのが得意な狩人や戦士がいたという。暗所に強い1色型さんはわずかな光をたよりに夜の旅を導いてきたかもしれない。
3色型さんが2色型色覚の世界を擬似体験できるアプリがあるのをご存知だろうか。浅田一憲さんが開発した「色のシミュレータ」。誰でも無料ダウンロードできるので私もスマートフォンに入れてみた。
たとえば私の机の色鉛筆に‥‥
‥‥スマホのカメラをかざすと、3種類の見え方が表示される。
上から順に
P=赤の繊体細胞を持たない/全体の25%
D=緑の繊体細胞を持たない/全体の75%
T=青の繊体細胞を持たない/極めて稀
(C=common、いわゆる普通の3色型)
初めてアプリを起動した日、私はスマホ片手に町の信号機や看板、植え込みの花を見て回った。赤や緑は茶色やグレーになり、そのぶん水色や黄色が際だつようだ。サンタクロースは見えづらく、ドラえもんやピカチュウはよく見える。
女の子は赤で男の子は青という色分けは、赤が見えない男の子が一定数いることと関係あるのではないか。街ゆく人々を眺めながら思った。
色のシミュレータはまた、色弱と呼ばれる3色型さんの世界もグラデーションで見せてくれる。つまみを動かすと色弱の度合いがスライドする。
浅田一憲さんのウェブサイトにアプリストアやブラウザ版へのリンクが置かれているのでぜひ試してほしい。世の中がいかに3色型人優先で彩られているかが分かると思う。
あなたの苦手な色は何色?
ところであなたは色をどこまで正確に見分けているだろうか。気になる人におすすめのウェブサイトがある。英語だがやり方は簡単で無料、数分で終わる。
設問は4つ。横並びの色の箱が4段あり、左から右へ正しいグラデーションになるよう箱を入れ替える。4段とも並べ終えて「Check Your Score」をクリックすると診断結果が現れる。
「Test result: 0」は誤答ゼロ(=全問正解)の意味。並び替えを間違えるほどに数値は高くなり、あなたが識別しにくい色のエリアが左下の円グラフにハイライト表示される。結果がゼロでなくても大丈夫。数値が4を超える場合は専門医で調べたほうが良いかも。
全問正解できない人が案外いるのではないだろうか。誰もが何かしら見えづらい色を持って生きている。同じサンタクロースでも皆少しずつ違う赤を見ているのだ。
だから色覚異常だとか色覚障害なんていうネガティブな言い方はやめましょう。そんな声が高まっている。代わりに色覚多様性という単語が台頭してきた。色覚多様性は意識改革を促す上で便利だが課題もある。では、色盲や色弱と呼んできた人々をこれからどう呼べばいい?
性のマイノリティーの人々が蔑称を乗り越えてLGBTQという呼び名を勝ち取ったように、色覚少数派の人々にも胸を張って言える呼称があるといいのに。
それは一人の青年のつぶやきから始まった。
ぼくは、タノ。
青年は自らをタノと呼び、『タノの日々』と題したブログを始めた。ブログは共感を呼び、フォロワーたちによるハッシュタグ「#ぼくもタノ」「#わたしもタノ」がSNSをにぎわせた。タノって何?
覚えやすくて響きが良い
青年はラジオ番組のインタビューにこう答えている。
「僕は色弱です。緑色を感じる繊体細胞がフルに機能していない。専門用語でいうと3色覚デュタノマリーとか、D型色弱とか」
(DJ)色弱と呼ばれるのはどんな気分?
「別にどうってことないです。生まれつきこの色で世界を見てきたし、不自由は感じません。ただ、親が悲しむのが嫌でした。それで、響きの良い《タノ》を思いついたんです」
(DJ)外国語かしら?
「造語です。色弱は僕のようなD型(デュタノマリー)の他にP型(プロタノマリー)とT型(トリタノマリー)がいます。色盲もD・P・T(デュタノピア、プロタノピア、トリタノピア)に分かれます。6つの名称の共通部分が、タノ」
(DJ)覚えやすいですね。
「デュタノマリーの語源は[duta + nomaly]、プロタノピアは[prota + nopia]。タノ自体には独立した意味がありません」
(DJ)一言でいうと、タノさんってどんな人?
「多数派と異なる色覚特性を克服したり活用しながら毎日を楽しく生きる人。僕の両親も今はタノの僕を誇りに思ってくれています」
(DJ)1色型さん(Monochromat)はどうしましょう。名称に「タノ」の文字は含まれませんよね?
「色に頼らず光の明暗だけで生きる彼らはいわば超タノさん。彼らももちろん仲間です。超タノ、がちタノ、ややタノ、色依存の度合いによって一人一人が少しずつ違う世界を見ています。学校の健康診断で引っかからなかったのに、パイロットの最終試験で落とされて初めて自分が微タノだと知った仲間もいます」
(DJ)タノ界隈ではどんな活動をしていますか?
「SNSでの交流とか、各地でワークショップとか。暮らしや仕事の課題を情報交換し、解決への道すじを共に考えます。賛同してくれるお医者さんや自治体、イベントを後援してくれる企業も増えてきました」
人気番組がスタート
青年のつぶやきから始まったタノ・ムーブメントは日本中に静かに広がりつつある。各種メディアで特集が組まれはじめた頃、ついにあのテレビ局が腰を上げた。
マイノリティーの人々に光を当てる企画に定評があるNHKのEテレが新番組『タノを楽しく』をスタート。視聴者は当事者と家族から、教育・医療・福祉の現場、デザイン・印刷業界の非タノ(non-tano)たちへと広がり、色覚多様性の認知は飛躍的に向上した。
番組内で人気のコーナーが《はたらくタノさん》だ。
各分野で活躍するタノたちが仕事の苦労や喜びを語る。X線技師や監視カメラオペレーター、遺跡発掘調査など色覚不依存スキルを生かして働く人々。また、会社員から主婦、教師まで普通の仕事に就くタノさんには、不自由をどう克服し、人生を楽しんでいるかを聞く。ミュージシャンの佐野元春、マラソンの増田明美、映画監督の押井守など自らタノであることを公表している有名人たちもゲストとして登場する。
『タノを楽しく』は毎回テーマが変わる。以下はその一部:
「暮らしにもっとCUD」
2000年初頭に始まったCUD(Color Universal Design)は多様な色覚を持つ私たちが快適に暮らすためのデザインだ。看板の赤い文字が万人に目立つとは限らない。すでに公共の場で少しずつ導入されているCUDだが、一般人の私たちが身近な暮らしにCUD発想をどう取り入れたら良いか、実例を交えて紹介する。
「インバウンドとTANOサン」
毎年海外から訪れるインバウンドの観光客の中にも大勢のTANOさんがいる。名所旧跡から土産物まで、タノさん目線で見直すと意外な発見があった。
「タノさんと暮らそう」
タノの子供を持つパパママの交流にスポットを当てる。また、自身がタノの場合、非タノの子をどう育てていくかも考える。現場からさまざまな工夫や知恵を募りつつ、教育者や専門家と共に語り合う。
「カミングアウトしなきゃダメ?」
マイノリティーがいちいちカミングアウトしなくても気持ちよく暮らしていける世の中こそが素晴らしい。偏見を変えたい人はタノを名乗って啓蒙活動すれば良いし、黙って見守るのも立派な選択肢だ。
「非タノにできること」
少数派を見つけてはマウントを取りたがる弱虫がどのコミュニティーにもいる。愚かな彼らと戦うべきなのはタノ本人ではなく周りの非タノたちだ。周りが沈黙するからいじめは増長する。また、いじめる本人やその家族の遺伝子にもタノの因子が含まれている可能性を教えたい。
「老いたらタノに従え」
繊体細胞の数や感度に関係なく、人は誰でも齢を重ねると色の識別能力に変化が訪れるという。タノさんたちが培ってきた生活のスキルや工夫が役立つかもしれない。
「超タノさんと『生きる』を観る」
1色型さん(Monochromat)と一緒にモノクロ映画を鑑賞。光と影の豊かさについて共に考える。
「色覚補正メガネどうですか」
2色型さんが3色型の世界を擬似体験できる色覚補正メガネが今や普通に買える時代だ。メガネを使う人、使わない人の本音を聞く。年に数回だけ使う男性はこう語る。「ディズニーランドと同じだよ。たまにかけるから楽しい」
「アートとタノ」
クロード・モネは白内障を患って以降、色の見え方が変わったといわれている。色覚多様性は芸術家たちに何をもたらすか。タノを公表している現代画家と共にタノと美術の歴史を辿り、未来を考える。
新しい波は海外へ、そして
Eテレ『タノを楽しく』の評判は海外にも届き、同様の番組が作られた。
アメリカでは一部の男性たちが映画スター・ウォーズの登場キャラに引っかけて、自らをC3PやC2Dなどと呼んでいたが、愛称Tanoも好意的に受け入れられた。きっかけとなったのが、セサミストリートでおなじみのPBSが制作した『Tano Tunnel』。スタジオに設られた真っ暗なトンネルをくぐると向こう側はタノの色覚世界だ。Facebook創業者のマーク・ザッカーバーグやビル・クリントン元大統領など自らタノを公表している大物ゲストも登場する。
『Tano Tunnel』の進行役を務めるのは、AI生成されたサテュロスのGrover。人気のファンタジー小説『パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々』シリーズに登場する心優しい精霊で独自の色覚を持ち、自然界の微妙な変化を感知する。
TANOの認知が広まる中、NASAの月面基地プロジェクトが始まった。
滞在クルーの中にはタノも含まれている。色の変化の乏しい月面で微妙な陰影や形の違いを見分ける彼らの能力は観測や探索に欠かせない。
また、地球サイドのサポートチームにもタノがいる。彼らは宇宙飛行士たちが色覚に依存しすぎないための特別訓練プログラムの指導者たちだ。
嫌いだった歌が好きに
タノを提唱したあの日本人青年は、ラジオ番組で感慨深げにこう語る。
「もしかしたら僕たちタノは、人類が宇宙へ飛び出してゆく未来のために一定の割合で存在し続けてきたのかもしれません」
(DJ)色覚多様性がもっと当たり前になっていくと良いですね。最後にリスナーの皆さんにメッセージを。
「1億色見えている4色型のテトラさんに比べたら、人類の9割以上を占める3色型さんたちはごく限られた色しか見えていません。つまりほとんどの人が色数の制約を受けながら生きているんです。2色覚と3色覚は俳句と短歌の関係に似ています。限られた文字数の中で世界や心を表現する文芸のように、タノも非タノも色数の制約の中で精一杯自分を表現したらいい。4種類のどの色覚を持つ人も、みな対等です」
(DJ)最後にお好きな曲をリクエストしてください。
「ではこの歌を」
「以前は歌詞が嫌でした。緑の木も、赤い薔薇も、僕の目に見えている世界は他の人たちと違うから。でも、タノや非タノの友人が増えた今はこう思います。一人一人が少しずつ違う緑や赤を見ている。みんな違って、みんないい。だから世界は美しい」