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きっと最高に愛される主人公を構想する

このお盆休みを使って新作を考えています。企画として進行中の(!)超めでたい企画もあれば、これからどこかに持ち込む企画もありますが、基本的にはフィクションであり、〈主人公〉が出てきます。

ノンフィクションでも主人公はいることは普通だし、実はノンフィクションの連載も動きつつありますが、それはさておき、今回はフィクションに出てくる/出てくるべき、愛される主人公について!

主人公への興味

ところで読み手/受け取り手としてのぼくは断然「主人公派」で、およそどんな作品でも主人公に一番興味を持ちます。

なので『銀河英雄伝説列伝』ではヤン・ウェンリーで書かせてもらったのでした。

もちろん主人公以外の魅力もきちんと理解はしていると思いますが、いわゆる順番をつけるとすれば、基本的には主人公なのです。

主人公の機能といわゆる(?)キャラ萌えについて

小説にしろ映画にしろ、その情報構造は──おそらく読み取り方によって──多様な見え方をするもので、主人公を引き立てるためだけに存在する(ように見える)小説もあれば、物語のためにすべての登場人物が連動的に機能する(ように見える)映画もあります。

そういうところを踏まえつつ、主人公の機能を考えれば、おおむね、語り部ないし〈視点人物〉ということになるかと思います。一人称でも三人称でも、主人公の視点を通して、物語が動き、また、まとまっていきます。

ただそういう機能主義的主人公であっても、当然魅力的なキャラとして描写するのは現代小説において必須です(まったく魅力のない主人公がすきという向きもおられるでしょうけれど、それはそういう属性がまさに魅力的なのです)。

しかしその必須である魅力とは。加えて、登場人物全員が魅力的であることは理想ではありますが、〈主人公ならではの魅力〉はありうるのか──という、このあたりの解明が本記事の主目標です。

翻ってぼくの小説では

ぼくのデビュー作『ランドスケープと夏の定理』は、主人公ネルスの一人称小説です。これはもう書き始めるまえから、ネルスの姉テアが一番人気になることは明らか、というか必然的な構造にしていました。テアは史上最高(!)の理論物理学者で、弟を宇宙ごと振り回すパワフルなおねいちゃんですから。

一方のネルスは一人称なので語り部として、世界と自分と主に姉について語ります。姉を魅力的に語るという役割が初めから決まっていたので、ネルスの人気はどうしても二番目あたりに来るしかありません(ネルスがおすきな方、ありがとうございます!)

ぼくの最新作『青い砂漠のエチカ』の主人公=時田砂漠は、高校1年生で、たとえばネルスのように数学がすき、ということもなく、夢も希望もなく、砂漠のようだと自認して生きています。なのでネルスよりもずっと感情的に動いてくれています。ヒロインの鳴神叡智花(表紙イラストは傑作ダンス漫画『ワンダンス』の珈琲さん!)も同じ高校1年生なので(?)、テアよりもさらに自由に行動してくれています。

そして〈魅力的な主人公/主人公の魅力〉とは

主人公がキャラのなかでも特別な機能を有するとすれば、ただ面白い人物というだけでは、主人公としては不適格です。

主人公にとって必須の要件とは、〈物語〉との積極的な連関です。

ならば〈魅力的な主人公〉のひとつの可能性は、物語のなかで生き生きと行動する主人公であり、あるいは物語を超え出ていく主人公です。

たとえばスポーツ漫画において、スポーツに対して──肯定でも否定でも──ともかくは強いかかわりかたをしなければ、主人公たりえません。あるいはそのときはスポーツ漫画ではなく、別の漫画になるでしょう。

──これはもしかすると、このまえ書いた記事に関係してくるような。

ジャンル混交ものにおける主人公

ジャンル混交/複数ジャンルを行き来する作品があり、それが『バクラウ』だったり『刻刻』だったりします。『バクラウ』はもう主人公が誰なのかもわからなくなる作品ですが、『刻刻』はそうではなく、しかもわざとらしいタグ付けなどもなく、いささか気の強い/家族思いの人物として、非常に自然に描かれています。

──とはいえぼくが本記事冒頭で想定していた主人公とは少し違う気がしつつ。いや、間違っていないかも。

ジャンル混交ものにおける主人公

今のぼくは結構〈ジャンル混交〉に興味があり、それを今年来年のすべての新作で志向する必要はないわけですが、特に連載形式であれば、ジャンルが次々と変わることはむしろ必要条件かもしれません。

主人公の魅力の一般論を展開することをちょっとだけ夢見たこともありましたが、ぼくは本記事の冒頭から/そもそもの動機からしてこれからの新作の主人公を求めていたわけですから、本論のラストに向けて、〈ジャンル混交ものにおいての最高に愛される主人公〉を考えていきます。つまり、〈どんなジャンルになっても魅力的な主人公〉です。

しかし──ホラーにおいて魅力的な主人公が、時間SFでも魅力的なのか?

ここで確認しておくと、主人公はすべてのジャンルで活躍しなくてもいいはずです。ホラーのシーンでは逃げ回っていても、主人公としては成立するでしょう。

しかしただ逃げ回っていては面白くありません。主人公らしい、魅力ある主人公にふさわしい逃げ方があるはずです。

魅力的な逃げ方とは

広く考えたいところではありますが、いちおう本記事のタイトルにあるように、ここでは〈愛される主人公〉が念頭にあります。なので、たとえば他者を犠牲にして逃げ回って、それでも全然気にならない、というような人物は、また今度考えることにします。

かと言って、特に高潔な人物が魅力的とは限りません。おそらくこのあたりをヘンに倫理的に考えると、主人公はひどく一面的になるでしょうし、あるいはこの作家の主人公はワンパターン、ということになるでしょう。

ということでここまで書いてきて見えてきたので──これは創作中に書き連ねるnoteなのでそのあたりの脈絡のなさを楽しんでいただければ幸いなのですけれど──結論を。

今回のオチ──魅力的な主人公のいったんの方向性

そういえば冒頭に書いておくと物語性のある記事になったかもと思いつつ、ぼくがすきな主人公のタイプのひとつは、〈変化する主人公〉です。成長すると言ってもいいんですが、特に成長しなくても大丈夫なので(成長しない変化とは──いちおうメモっておくと──たとえば趣味が変わるみたいな方向です。恋愛ものに多いような、気のせいかも)。

というか、物語というのは基本的に──スティーブン・キングが言っていたような──主人公がA地点からZ地点に行くものであり、その移動のあいだに何かしらの変化が主人公に生じるはずなのです。空間的に元に戻ったとしても、内面的には何かが変わっているということで、もし何も変わっていない主人公がいたとしたら、それはそれで面白いかも。

以上から、今回の成果2点──〈変化する主人公〉と〈ジャンル混交〉です。これはこれはなかなか今回の記事は意味があるところにたどりついたような。

ジャンルが変わるたびに主人公も変化していく、物語に本質的にからみあう主人公──完璧です。

ムダに一人で盛り上がっているとあれなのでちょっと再確認すると、変化する主人公は近代小説以降──という認識であっているのか──ともかく普通です(文学史を勉強してnoteにしようと思っている今日このごろです)。

ただ、そういう作品の変化のきっかけは、基本的に物語内事件です。本記事における〈ジャンル交代に応じて変化する主人公〉はメタレベルに関係しているので、その点できっと新しいはず。

こういうのは基本的に先行例があるので、調べつつ、そもそも第一人者である必要もないので受け入れます。

とはいえ真に新しいかどうかはさておき現状レアなのは間違いないと思いますので、これから書く新作の、少なくともひとつは上記の主人公──〈物語のジャンル変化と共に変化していく主人公〉で行こうと思います。

現在2021/08/14(土)の朝7時で、つまり金曜の夜として起きていまして、深夜的な勘違いかもしれないんですが、たぶんこれはなかなかキレイな理屈なので、前回の記事=最近の空想とも連携とれているし、やってみても面白いように思います。

最後の最後に確認メモを書いておきますと、ジャンルとかメタとか書きましたが、メタバースみたいな作品に今回思いついた主人公タイプを使おうという気はまったくないのです。そうではなくて、普通に現実が舞台の──あるいはVRやARには拡張されるでしょうけれど──通常レベルのフィクションの、そのなかの主人公です。

ということでおつかれさまでした、以上です!

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