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プログラミング学習一区切り・繋がるドットを増やす

プログラミングを勉強したいな、と思った。

もう1年前に始めた事だったから、その動機ははっきりとは覚えていない。少なくとも、コードが書けるようになる事が本業の役に立つことは無さそうだったし、副業として考えても不動産賃貸業とのシナジーがあるとは思えなかった。

どうしてだっけ。
そうだ。思い出した。
Midjourney(テキストで指定したキーワードから画像を自動で生成するAI)やChatGPTが界隈で賑わいだして、それらのツールと向かい合う時に、丸腰はまずいと思ったんだ。

プログラミングを学ぶことで、彼らをテイムするヒントに近づけるのでは無いか、そう思ったんだ。

いろんな動画や雑誌やブログが彼らを飼いならす方法を教えてくれる。
だけど、僕が選んだのは、まず彼らの話す言語を学んでみようというアプローチだった。
そこで、すぐに『暮らす街の名前_プログラミングスクール』でググったら、社会人向けのプログラミングスクールが一つだけヒットした。
早速申し込み。これが2022年の10月の事。それからまるっと1年かけて、隙間の時間にプログラミングを勉強していったんだ。

ゼロからイチ。
結論。
イチを学んだとて、彼ら(MidjourneyやChatGPT)と僕の距離は変わらなかった。
正確にはちょっとは近づいたんだろうけれど、アパートの窓から見上げる月と、西日本最高峰の石鎚山の山頂から見上げる月が全く同じに見えるように、彼らの何も、僕には分からないままだ。
まあ、そうだよな。知ってた。

プログラミングを勉強していくと、例えば、映画マトリックスのようにこの世のいろんな事象がブラウン管に明滅する8ビットの文字群に代わって、今まで見た事も考えた事も無い性質の情報に触れる事ができるのかな、なんて思った。実際そういう事もあるかも知れない。
少なくとも、基礎コースを学んだだけの僕がそれを望むのもおかしな話ではあるのだけど。


プログラミングは手段であって、それをどうビジネスに活かしていくのか。これも、今後しっかり取り組みたいと思っている。
何しろ不動産賃貸業は仕込みさえ終わればあまりやる事がない。
(空室は許さないけど。)
自分の時間を投入し何を成していくのか。これはずっと考え続けないといけない課題なのだ。

プログラミングを勉強し、自分の時間を使って人のためにコードを書いて納品して対価を頂く。これでは、資産はスケールしない。

そうではなく、自分の事業を持つ。
そこに、限界費用ゼロで複製できるプロダクト(コードとメディア)でレバレッジをかける。

売る方法を学び、作る方法を学ぶ。両方学べば無敵だ。
ナヴァル・ラヴィカント先生もそうおっしゃっている。
なのでこれからも勉強を継続し、何を作るのか、それをどう売るのか、に焦点をあてて行動していきたい。
その一つのきっかけとして、プログラミングの勉強には意味があったと思っている。

有形資産として不動産を運営する。
一方で電子的なプロダクトとしてテキストやコードを駆使した資産形成を考えた時に、やはりプログラミング学習は取っ掛かりとして意味があったと信じたい。


ところで、ちょっと話は飛躍するけど、小学生から高校生にいたるまで、オリジナルの漫画を描いたり、市販のカードゲームを模倣してオリジナルのカードゲームを作ったり、そういった事が大好きな子供だった。
カードゲームはクラス中の男子にうけまくり、昼休みはみんな集まって凄く遊んでくれたものだ。ゲームバランスに拘りぬいた事もあり、みんな何度も何度も遊んでくれた。それが凄く嬉しかった。
だからだろう、プログラミングの課題であったコンソールアプリケーションの自由課題が出た時は、迷う事なくオリジナルのゲームを作ろうと思った。

『#』の文字を壁に見立てて迷路を造り、『P』の文字が迷路を進んでいく。
ランダムエンカウントでモンスターとの戦闘が発生し、緻密に計算されたダメージ変数と敵味方のヒットポイント増減が絶妙のバランスで戦闘に緊張感と達成感を与える。
小さな小さな世界だけど、思い描いたゲームデザインがラップトップのコンソールで展開している。得も言われぬ快感だった。

きっと、僕が時間を忘れて打ち込めるものはこれなんだと改めて気づいた。
いや、正確に言うと、そんな気持ちに蓋をしてたんだな。

まだ子供だった頃、文房具屋さんで買って来た画用紙に線を引いて、カードを切り出す。持ちやすさと、如何に画用紙から無駄なくカードを切り出すかが重要だ。子供のお小遣いは多くない。
縦横比のバランスなど、カードの大きさ一つとってもゲームプレイに大きな影響を与えた事を思い出す。

カードのサイズが決まれば、予め考えていたゲームデザインをもとに手書きでカードを作り込んでいく。
絵には自信があったから、かわいいモンスター、かっこいいモンスター、手に入れたくなる魅力的なアイテムなど、どんなものでも自由自在に生み出せたものだ。その作業全てが楽しかったし、寝食を忘れてゲーム作りに打ち込んだ。

そう、僕はゲームを作る事が大好きなんだ。

プログラミングの勉強を通して、単純だけど、心の奥底で誇りをかぶっていた自分の本心のひとつを取り戻した気がした。
むしろ、そんな気持ちを取り戻すためのプログラミング学習だったとさえ、今なら思えるのだ。
そして、叶えたい夢がひとつ増えた。


久しぶりのnoteを書きながら、散らかった思考を似たようなカテゴリにまとめつつテキストに吐き出していく。散文である。
プログラミングもそうだったけど、ずっと勉強や不動産業に追われていて、ほっとする時間が少なかったような気がしてる。

自己啓発やビジネス書、成功法則の類や不動産関連の書籍が積みあがっている。部屋の中ではちょっとだけ息が詰まる時間が増えていた。

ゼルダの伝説はもう一月以上起動していない。我が家のハイラルは、ちょっとだけ忙しい僕を気長に待ってくれている。大丈夫。そろそろ戻るつもりだ。ストーリーは忘れちゃったけど、任天堂だから心配していない。

又吉直樹氏のエッセイ集、『月と散文』を読んでいる。
ハラハラもせず、続きが気になる事もない。物語の理不尽に心を痛める事もなければ、目から鱗の学びに膝を打つこともない。
何も考えずに、著者の思考が削り出したトンネルを潜り抜けていく。
こんな文章を書いてみたいな。そう思ったところで、一区切りのnoteを成稿したところです。

自分語りここに極まれり。でも良い。許す。
最後までお読みいただき、大変ありがとうございます。





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