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家系ラーメンのミッシングリンク

〜 家系ラーメンのルーツ 〜

家系ラーメンがかつてないほど盛り上がりを見せている。家系ラーメンとはどういったものなのかの解説はここではいったん省く。簡潔に説明することも可能だが、あえて“本物の家系”論争に頭を突っ込むつもりはない。

言うまでもなく家系ラーメンの祖は吉村実が新杉田(現在は横浜駅)に店を構えた吉村家である。1974年(昭和49年)のことだ。

吉村実は元トラック運転手で、平和島の京浜トラックターミナルにあったラーメンショップで働き、そして、店を構えたという流れである。このラーメンショップも、現在家系ラーメン同様の人気を博している。コレをともってラーメンショップが家系の味のルーツにあたる、とするのは短絡的すぎるが、もともと発想として九州の豚骨スープと醤油を合わせたラーメンをイメージしていた吉村がゆるやかにラーメンショップを下地とした、とするのは乱暴ではない。

そして、実質2号店にあたる本牧家が誕生するのは1986年。その本牧家の店長であった神藤隆が独立して興したのが六角家でそれが1988年であった。

正統的な家系ラーメンにして最先端、厚木家

つまり、何が言いたいかというとこの吉村のイメージとラーメンショップがベースとなり誕生した吉村家が質を磨き上げる過程で、現在の一大ブームを生む味を徐々に完成させていったということだ。ここでポイントになる仮説が、1974年時点ですでに完成されていたわけではないというところ。あるいは完成されていたのかもしれないが、その吉村実の頭の中にあったアイディアから現在へと至る過程には当然味のグラデーションがあったのではないだろうか。

今回はラーカイブらしくなく、史実をトレースせず、その仮説から、そのミッシングリンクにあたりそうな味の店をピックアップしてみることにした。

~ 道楽(代々木)~

創業1984年(昭和59年)。鮫洲のお店とは経営はすでにまったく違うとどこかで見聞きしたことがあるが、この参宮橋店がもはやオリジナルとして長年支持され続けている。

家系とはもちろん関係性もなく系譜にもない。傍流として存在するのみ。ただ、時代の中でラーメンショップでもなく、家系でもない、その中間に位置するような店があることに、点ではない線としての豚骨醤油ラーメンの歴史を見る。その1回目。

東京における豚骨醤油ラーメンの歴史は、戦後の屋台、すなわちホープ軒系にその端緒を見出すことができる。だが、ホープ軒はそもそも清湯だったと創業者の難波さんのインタビューあってびっくりしたが、じきに背脂が乗り、今に至るスタイルになっていく。

ホープ軒系は流行し、大きな派閥となっていくが、それと時期を同じくして大田区羽田に椿食堂というお店が誕生する。その店はいずれGood morningラーメンショップという名に変える。実質上の1号店である。

話が脱線した。この道楽。まずいつ行っても厨房がピカピカである。毎日コーティングビニールを剥がしているかのよう。そして、厨房は無駄口叩かずストイックにラーメンを作る。家系、ラーショ云々ということではなく、20年以上前のラーメン店の硬派でピリピリとした空気感が心地良い。

道楽のラーメン

最先端の基準に合わせるとライトな豚骨醤油スープだろうが、素材感が手に取るように分かるこのくらいのスープもまた良い。枯れた味わいというところだろうか。

~ なかむら屋(上野毛)~

ホープ軒(と名乗る前のホームラン軒)が吉祥寺北口のコバルト商店街の店舗を閉め、屋台として再出発をした1965年頃、大田区羽田に椿食堂という店が誕生している。その店はいずれGOOD MORNING ラーメンショップと名乗り、豚っぽい醤油ラーメンを提供するようになる。ラーメンショップの実質1号店である。

ラーメンショップ本部は基本的に取材を受けない方針ということもあり、創業年など詳細は不明だが、時代が東京の濃厚な醤油ラーメンを後押ししていたのは間違いないだろう。

平和島のラーメンショップにいた経験のある吉村実が独立して開いた吉村家の創業が1974年。(余談だが、ラーメンショップがスタートした羽田近くにあった東京豚骨醤油の名店イレブンフーズも同じ年の創業である)。ホープ軒系、ラーメンショップ系、そして、家系。高度経済成長期から経済大国へと向かう日本の働き盛りの男たちを支えたラーメンはここから一気に店舗を増やし現在に至る。

今回は、上野毛なかむら屋。 創業は1977年(昭和52年)。なかむら家ではない。交通量の多い環八にも映える赤いファサードには「うまい ラーメンの店 うまい」というラーメンショップでお馴染みの謳い文句が入る。「加盟店募集」とも。

しかし、麺は家系御用達の酒井製麺であり、ほうれん草に海苔3枚と家系の様式美を踏襲している。一方で味付けされたネギをトッピングできるなどラーメンショップらしさも残る(ラーメンショップは“クマノテ”という調味料?で味付けされたネギが乗るものが名物)。

中村屋のラーメン

家系が公式にラーメンショップをモチーフにした、と表明しているわけではないが、このなかむら屋には、点と点とつなぐリンクがあらゆるところに潜んでいる。ラーメンショップとも違う、家系とも違うさっぱりとした豚骨醤油ラーメン。時代のグラデーションを感じるのだ。

~ がんこ亭氷取沢本店(磯子区氷取沢)※閉店 ~

家系が公式にラーメンショップをモチーフにした、と表家系の歴史を理解するには「はまれぽ」を参考にするのが一番の近道だ。

吉村家創業者吉村実氏のインタビューもある。吉村家は前述の通り1974年(昭和49年)に新杉田駅近く(今の杉田家の向かい)に店を開いた。九州の豚骨と醤油を合わせたら美味しいのではないか、とひらめいた、とされ、その後ラーメンショップの修行半年を経て開店したと本人が語っている。

が、ここではそれを大きく取り上げようとは思わない。安藤百福がカップヌードルを突然発明したわけではなく、浅草來々軒が日式のラーメンを最初に開発し出したという確証がとれなくても、それはそれでいい、と僕は思っている。いずれも時代の流れの中で、時代に後押しを受けて誕生したのだということのほうが重要だからだ。

そして、それを家系は大きく発展させた。使う生ガラの量は飛躍的に多くなり、大量に仕込み馴染ませることがスープもタレも安定させる秘訣だという真理を吉村氏はインタビューで話している。(もちろんその分お客さんに来てもらう必要もある)家庭ではなく外で食べるラーメンの美味しさの所以でもある。

だが、1974年当初から今の完成度に至っているわけではないと思う。そこで登場するのが1974年から店を手伝い、その後独立したが直系とは呼ばれない店、がんこ亭だ。吉村家が店を横浜に移して弟子が次々に巣立っていくのは10年以上あとのこと。しかし、その間「あまりに店が忙しいから手伝って欲しい」と頼まれ、そのままラーメンの道へと引き込まれたがんこ亭店主は、ある意味針をあの時点で止めつつ、自分のペースを守り店を続けている。

時代背景から受け入れられた東京豚骨醤油ラーメンにラーメンショップが現れ、それが羽田という神奈川への入口であることから、横浜家系へと繋がっていくわけだが、その流れの中でミッシングリンクのような位置であり続けているのだ。

麺は増田製麺。スープには鶏と豚を長時間炊き白濁とさせる。スープは継ぎ足しているようにも見えるが定かではない。鶏油は別取りせず、スープの上澄みをさらって丼に入れる古典的な手法をとる。スープの甘み旨味と醤油の過度に強くない旨味が相乗効果を生む。まさに時代のグラデーションを味で描くような着地。圧倒的な存在感があって特別な旨さがある。原石のピュアな美味しさと言ってもいい。

通し営業で19:30には店を閉める。吉村家のような繁盛の仕方とも違う、地元の家族連れにも愛される味。後の発展の原点にはこの確かなベースがあることを改めて教えてくれた店だ。明しているわけではないが、このなかむら屋には、点と点とつなぐリンクがあらゆるところに潜んでいる。ラーメンショップとも違う、家系とも違うさっぱりとした豚骨醤油ラーメン。時代のグラデーションを感じるのだ。

(残念ながらがんこ亭は2020年に閉店しました)


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