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ラーメンアーカイブ人形町大勝軒⑦
~ 林仁軒の功績 ~
店を任せるに相応しい、腕の立つ料理人だっただろう林仁軒さんは、まわりからも「ニンケンさん、ニンケンさん」と親しまれた方だったようだ。
仁軒さんは後に大勝軒の従業員と結婚。人形町総本店で勤め上げ、その後立川に移り住み、一度は店を開いたたがその後は閉じた。ニンケンさんのお孫さんは昭島でまだ健在だという。
人形町大勝軒は多くの独立店を生んだが、総本店はその弟子たちのお店とは少し趣きが違い、料理には品があり、いわゆる街の中華屋さんとも違う、本格的広東料理がベースのお店だであった。本店としての威厳を保っていたとも言える。その対価としての値段も他の独立店より高く設定されていた。それは戦後になっても同様で閉店する1986年まで変わらなかった。それでも常に賑わい人を集めていた。その魅力の根源には味があったわけだが、その味を築き上げた功労者が仁軒さんだったのだ。
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その任軒さんが作り上げた料理はどんなものだったのか。多くの人を、戦前戦後を超え、魅了し続けてきた料理は他と何が違ったのだろうか。
~ 日本に親和性の高かった広東料理 ~
その前に広東料理に位置付けを簡単に整理しよう。
中華料理は北京、広東、四川、上海の四大料理に分けられるという認識が一般的にはあるが、それは主に日本での話で、中国では八大料理という分類が一般的である。
中国料理の調理法には数多くの流派がある。そのうち最も影響力があり、代表的なものとして社会的に公認されている料理は山東料理(魯菜)、四川料理(川菜)、広東料理(粤菜)、福建料理(閩菜)、江蘇料理、(蘇菜)、浙江料理(浙菜)、湖南料理(湘菜)、安徽料理(徽菜)があり“中国八大料理”と称されている。
また、例えば、戦後、満州という傀儡政権が日本の敗戦とともに倒れたあと、日本から満州へと移り住んでいた多くの日本人が復員し、また満州の現地人が日本へと入ってきたが、その際に持ち込まれた満州(中国東北地方)の食文化は現在も日本に多く定着しており、そのひとつが餃子であるというのは有名な話だ。
それでは広東料理とはどういったものだろうか。
広東省は中国の南方地方に属し、南部には香港とマカオという特別自治区があることでも知られています。山があり、海があり、湖や河川も有するため、山海の新鮮な食材に恵まれてきました。気候が温暖で、農産物もよく育ちます。この新鮮な素材の良さを生かし、あまり手を加えないあっさりとした味のメニューが多く考案されました。
一方で、7世紀以降の「唐」の時代から港都市として栄え、中国国内の各地や諸外国との交流チャンスにも恵まれ、様々な食材にふれることができました。酢豚のように豚肉にパイナップルを組み合わせるなど外国のフルーツを取り入れたり、バターやカレー粉などヨーロッパの素材を使って手の込んだメニューを生み出したりもしました。油脂をたくさん使うメニューも少なくありません。
このように、広東料理は食材も調理法もバラエティ豊か。「食材広州(食は広州にあり)」という言い伝えがあるように、変化に富んでいるのが魅力とも言えます。
日本で提供されたりアレンジされた料理やラーメンにつながる要素でいうと
・多様性を許容し、ミクスチャーな
風土が根底にあったこと
・醤(ジャン)をよく使うということ
・飲茶という文化があり、
点心が発展したこと(焼売など)
・元来北方の料理である
小麦粉の麺料理も多かったこと
などが挙げられるだろう。チャーシューも広東料理を代表するメニューである。
~ 人形町大勝軒の味の継承 ~
現在、ニンケンさんが中心となって作り上げた大勝軒の味を知ろうと思っても、人形町総本店はすでにない。だが、その料理は銀座八丁目(後に小伝馬町に移転)でひっそりと最近まで提供され続けていた。それが先に述べた日本橋よし町(後にHale Willowsに店名変更)である。楢山泰男さんという長らく総本店の料理長を務めた方が2019年まで営んでいたお店で、かつて愛された人形町大勝軒の味をそのまま提供していたのだ。
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人形町大勝軒の代名詞シュウマイ。そして、絹のように滑らかな自家製麺。その麺を蒸し作られた焼きそばやその餡の加減、伊府麺の葱の絶妙な火の入れ方、焦がし方。これほど美味しくなければ、100年以上愛されるわけがない、と食べて納得する料理。それが楢山さんの料理であり、そして林仁軒さんが作り上げた味だったのだ。
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