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【びぜん亭】アーカイブ
~ びぜん亭との思い出 ~
アーカイブではあるが、びぜん亭との個人的な思い出から語りたいと思う。僕は通った大学が御茶ノ水だったこともあり、その近辺、神保町から東は秋葉原、神田、西は飯田橋付近までのお店は徒歩圏内で、そのときに知ったのがびぜん亭だった。その頃にはすでにラーメンの食べ歩きを行っていたが、当時は新しい知識をより多く得たい、より多く食べたいという欲求に満ちていて、ひとつでも多くのお店に行きたいと思っていた。食べたら次へ、とまさに情報を食らっていた。楽しかったが、青かった。
そんななか、とある競馬仲間で飯田橋に住んでいる友人から、びぜん亭を推薦される。彼が、チャーシューが美味しいよ、と言っていたのをよく覚えている。まさかそこから30年近く通うことになるとはこのときは思わなかった。まわりの芝が常に青く見えたあの時代だったから。
そうして、びぜん亭を食べ、浅はかな知識で無稽な分析を行っていたことを思い出すが、そんな青い僕をいつも温かく迎えてくれることも有り、ちょくちょくと通っていた。主に昼の部だった。
その後、社会に出て働くようになり、勤務地などの関係もありしばらく間が空いた後、職場が飯田橋→神楽坂になった。だが、どうしてもびぜん亭のあの味が食べたい、と思ったというよりも、ふと思い立って、くらいの気持ちでのれんを再びくぐることになる。そこには植田さんの屈託のない笑顔がまるで変わらずあって、その途端に猛烈な郷愁感に襲われることになった。そこからびぜん亭通いが始まった。ただ、大人になって通ったのは夜の部だった。
味自体の“本当の”良さがわかったのは、この頃からだが、再度通い始めたのは味で思い出したわけではないから、僕が植田さんに会いたくて通うようになったといってもいい。(もちろん潜在的に味が好きだったからだとは思うが)
だから、それまでに溜め込んできたラーメンの知識を披露するわけでもなく、引き出すこともなく、他愛もない話をしに、夜のびぜん亭にただ通っていた。毎日のように来る馴染みのお客さんに混ざったり、一人滔々とお酒を傾けたり、“何も課されることのない”食べ歩きの自由さと楽しさを僕はびぜん亭で謳歌していた。
だから、全部のメニューを制覇しようとか、今度は別のあのメニューを食べてみようなどとは思わず、ただ、ひたすら定番の餃子や漬物をいただいて、そのときに時勢のツマミを出してもらい飲んでいた。そして、最後は普通に醤油ラーメンを食べていた。
そんなあるとき、とはいっても極最近の話だが、カウンターの見知った常連さんが話す会話の中で、田中貴氏の著書『ラーメン狂走曲』の話題になった。田中さんもよくびぜん亭を訪れており、もちろん本書の中でびぜん亭も紹介されていたからだ。たまたま、同著を携帯していた僕は本を取り出し、面識があることやラーメンが好きなことをそっと告白してみた。
すると、
「なんでえ、おまえ(田中さんと)同じラーメン狂なのかよ!」
と、30年近く通ってはじめてラーメン好きというのがバレてしまったのだった。僕は隠していたわけでもなく、とはいえラーメンについて語ることもなく、ただただ30年間も通っていたのだ、ということをそこで自分自身も知ることになった。
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それが“バレて”からというものラーメン店主を連れて行ったり、仲間と一緒に飲んだりもするようになっていったが、そんなお店との付き合い方が、びぜん亭の付き合い方として、とても心地よく、甘えられていた要因だったのかもしれないと今は思う。
~ びぜん亭開店 ~
1976年にびぜん亭はオープンする。そこから47年営業し、2023年3月に惜しまれて店を閉めることにした。体を壊してお店が続けられないわけでもなく、ましてや売れ行きが悪くて閉めざるをえないわけでもない。ただ、来るべきときがきたのだ、と語る。元気に、明るく茶目っ気たっぷりに。
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店主植田正基さんは、25歳のときにここ飯田橋に店を構える。最初の店舗は内外装が豪奢だったという。植田さんの父がこだわりのある人で、知り合いや業者に依頼し、本人の意向は聞かずに高級な料亭のような作りにしてしまったという。内装は当時の価格で2,000万円だったという。ラーメン屋ではそうそう見られるものではない。
だが、植田さんはそこに口を挟むことができなかった。なぜなら、店を出して、真面目に働こうとした25歳までの間、相当にヤンチャで両親に迷惑をかけたからだ。特に母には足を向けて寝られないという。
本人曰く、
「それまでの人生は本当にどうしようもなくダメ」
だった。よく謙遜で自分の人生をこう語る人もいるが、植田さんは間をたっぷりととり、こういった。謙遜と事実が入り交じったことを思わせる間だった。びぜん亭を描いた漫画で、その頃のことが簡単に振り返ったものがあり、それをお店で読ませてもらったことがあったが、まさにその通りにダメに描かれていて思わず笑ってしまったこともあった。
〜 開店に至るまで 〜
植田さんは岡山県出身。僕は、びぜん亭の誰の心にも響くようなあのラーメンの味の秘密は、きっと岡山のラーメンにヒントがあるに違いないと仮説を立てていた。シンプルに親鳥を使い、印象的な醤油のタレで味を組み立てる笠岡のようなラーメンとか、そんなイメージを勝手に持っていた。
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しかし、植田さんは意外にも幼少期はラーメンが好きではなかったという。むしろ、ラーメン屋に入って食べるのは冷やし中華。ラーメンなんて美味しいと思ったことないよ、と答え、梯子を外されたような顔をしていた僕を笑っていた。むしろ、ラーメンは食べなかったね、と。
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ラーメン店での修行もせず、料理経験もほぼ皆無。ダメな人生から一念発起するにも非常に心許ない出発だった。そんなときに一冊の雑誌に頼ることになる。
『月間食堂』(柴田書店)である。本を読む人生になるとは思わなかったが、頼るものはそれしかない。本にかじりつき、その後は試行錯誤しかなかったね、と語る。そして、お店ではよく「自分の美味しいと思うものしか出せないだろ」と言い続けていたが、それは自信ともとれるし、この一冊の本と自分しか頼るものがなかった中でのサバイバル術ともいえる。
だから、店を辞めたあとどうするのかを訪ねると、店以外のことは、かあちゃん(奥様)に全部任せっぱなしだったからね、ホテルの予約からなんにしても。だから、少し自分でやらないとな、と決意表明していた。それくらいラーメンで一点突破だった気概が47年の歴史を支えたのかもしれない。
~ びぜん亭出身の店たち ~
他人がどう思うかは俺は知らないけど、俺は美味しいと思うよ、という味。それは、いくつかのお弟子さんに引き継がれていくことになる。植田さんは、修行した人たちにはもちろん、教えてほしいと訪ねてきた人たちにも自分のラーメン作りを惜しげもなく教えていた。そして、そのお店をおおらかに見守っていた。
それはどことなく、(東池袋)大勝軒の山岸一雄さんを彷彿とさせるスタンスである。来る者拒まず、去る者は追わないが、見守っている、といった精神。そうであるならば、修行した人から、教えを請うたというレベルのお店まで紹介しておくべきだろうと思った。
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そして、そんな店を並べてみて改めて気付くのが、どのお店も20年以上続いているということ。自分が信じたその味が、違う作り手を通じても20年続くというこの価値を植田さんに伝えたいし、改めて噛み締めたい。
~ きび(明大前 他) ~
2001年神田淡路町で創業。その後、「ぶらり」、「きび太郎」などの店名で、品川、目黒、日暮里、浅草に店を出し、曳舟に料亭とコラボをした「らん亭」などもオープンさせた。その後、人手不足などから、店舗を整理しつつ、明大前に旗艦店「きび」をオープンさせている。あまり知られていないが、海外への展開も行っている。
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創業者の渡辺さんは、植田さんと同じ岡山の出身。店名のきびも吉備からとっており、店内や丼には桃太郎をモチーフにしたイラストが入っている。
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淡路町のお店では、びぜん亭譲りの醤油ラーメンが売りだったが、その後は、店舗により独自の路線を歩むようになった。ただ、ベースとしては、シンプルで飽きのこないラーメンであり、そのあたりに源流のリスペクトが垣間見られる。明大前店の主力メニューはつけそば。甘辛酸のスタンダードなつけそばで、お腹いっぱい食べてもらうというコンセプトは学生をしっかりと集客し、大いに賑わっている。
~ しる幸(飯田橋)~
※閉店
六本木で20年余営業し、その後百合ヶ丘へと移転、最後にびぜん亭のお膝元飯田橋に店を出した。それが2004年のこと。びぜん亭出身としては最古参にあたる。この至近距離での開店は通常ではありえないが、植田さんの血縁関係であるとか。
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ランチ時となるとびぜん亭に負けず劣らずの集客で、いつも店主が忙しなく調理に接客にと営業していた記憶がある。
びぜん亭同様夜は常連が集まる居酒屋のような店作りだった。メニューも多く、そういった意味ではびぜん亭よりもファン層は広かったかもしれない。
~ でくの坊(町田)~
※閉店
開業は町田で1994年。その後2018年に創業者より娘さん夫婦に代替わりしたが、残念ながら、その後コロナに突入して、そのまま閉店してしまった。
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植田さんはよくこのでくの坊の先代のことを、真面目で良い奴だった、と語っていた。味もまさにその通り忠実なびぜん亭テイストで、それが娘さん夫婦にも受け継がれていたのだが残念である。
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今は、このお店出身の「麺屋くり」が同じく町田で営業をしている。
~ 松(六町)~
「きび」の浅草でのブランド「きび太郎」。ここで店長を務めていたのがこの松の松本さん。浅草でも長く、鬼門とされた物件を見事成功させた立役者だが、その後独立を果たし足立区に出店した。
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キャリアの中で多彩なメニューを手掛けてきたが、このお店の醤油らーめんは、びぜん亭をモチーフにしているという。長く愛されたスタンダードをらーめん鰹とならぶもうひとつの顔として味のアーカイブを果たしている。
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~ えーちゃん食堂(不動前) ~
かつて中目黒にあった「えもと」は惜しくも閉店してしまったが、そこで店長を務めた元芸人の初代えーいちさんのお店。僕が夜びぜん亭で酒を嗜んでいると、たまに顔を出していたのでなんとなく知らぬ顔ではなかったが、(びぜん亭の)閉店が決まると、手伝いにも訪れ、植田さんも気に入っている様子だった。
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SNSなどを通じびぜん亭愛を綴り、植田さんのラーメンのいろはを改めて教わり、2023年に満を持して独立を果たすことになった。
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後述するが、びぜん亭の丼で、割らずに残ったものを譲り受け、そのデザインの丼を再度生産してもらい店の丼とした。
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朝8:00から営業(売り切れ仕舞い)というユニークなスタイルだが、すでに固定ファンがついて賑わっているようだ。植田さんも「あいつのラーメン愛には負けたよ」と言う。
~ 中華そば辻(飯田橋)~
これまでみてきたお店で、閉店した店を除く、現在進行系のお店に絞ってみていくと、ところどころにびぜん亭のエッセンスは感じるものの、ずばり同じ“あの味”を再現しているところがないことを寂しいと思っていた人も多いはずだ。
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2023年5月オープン。2軒隣の「鉄板居酒屋お好みキング」を営む方が、びぜん亭にレシピから仕入れに至るまでを習い、びぜん亭のらーめんを再現した。提供時に酒猪口に小梅が入るところも同じ。ほろほろのチャーシューの仕様から、おなじみのタチバナ製麺の麺もまさにあのままの味である。
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開店日、植田さんは開店景気で盛り上げる店内を見ながら、終始嬉しそうだった。「俺が最高だと思う」中華そばが、自分の手を離れてもこうして人気者でいてくれる喜びに満ちているようだった。
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~ 支那そば とも(飯田橋) ~
びぜん亭の味を継ぐものとしての本命といえるのがこのともだ。植田さんに近い方で、調理師として洋食を学んだ店主が、植田さんの薫陶を受け2023年7月10日にオープンさせた。びぜん亭のコピーというよりはその路線を踏襲しながら伸びしろもいっぱいある感じで通いがいがある。夜は飲めるようになっていくだろう。
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貴重なのれんや外看板、そして、箸入れなど調度品に至るまでびぜん亭のものを譲り受けた。
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もちろん、ラーメンの材料やタチバナ製麺も同様。
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こうして味のアーカイブを果たしているびぜん亭。素朴な東京ラーメンと言われることも多いが、そのラーメンが持つパワーがあってこそのこと。ファンはそのことを十分に知っている。
~ 丼には執着せず ~
えーちゃん食堂がびぜん亭の丼を再生産し、メインの丼に据えたというエピソードを先に書いたが、当のびぜん亭は、ラーメン丼にあまり執着することがなかった。
えーちゃん食堂がモチーフにしたのは、びぜん亭でも最初期のもので、古くからのファンはびぜん亭といえばこの丼だという認識があるが、植田さんは丼を買い足すにあたって、特にデザインから形状に至るまで統一したものにはせず、日和見に選んでいった。また、メニューによって、丼を使い分ける老舗もあるが、それもせず、大盛りか否かというだけが使い分けの基準だった。
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丼(とセットのラーメンの見た目)はそのお店の顔である。味を支えるため、また人の印象と記憶に残すために丼は選ばれていくことが多いわけだが、逆に、どの丼でもびぜん亭のルックスになるところに、派手さはないが超個性を持つびぜん亭の強さがあるとも言える。
~ 夜の部 ~
昼は純粋なラーメン店として多くの人の胃を満たすが、夜は、酒処として常連を中心とした営業になる。特にそう謳っているわけではないが、自然とそういう営業スタイルになっていった。
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特におつまみのメニューがあるわけではなく、基本は餃子とお酒である。ただ、自家製の漬物は必ずあり、また、そのときどきでお遊び的なメニューが並ぶこともあった。お酒は、ビールに甕出しの焼酎と、そのときにある日本酒である。
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ただ、植田さん自体は酒を飲まない。味見程度はするが、店でも飲むことはない。ただ、それでも次第に酔っていくお客さんの御伽をつとめてくれるのだった。
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~ 植田正基の人間力 ~
人がお店のことを知るきっかけは様々だ。今はネットを使えば、様々な角度から自分の求める店にたどり着くことができる。そういう意味では豊かになった。ただ、そのお店の本当の魅力を知るには、何回も足を運び、自分で体験するしか方法はない。
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逆にきっかけが多くなればなるほど、そうした地道に通い、知るという行為は見失いがちな価値観なるような気もする。どうしても新しい情報のほうが新鮮に映るからだ。
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それは同時に丼の中身にばかり目がいっていることを表している。もちろん、主役はラーメンの味であり、それは揺らがない。ただ、その背景にある風景は味に確実に影響するだろう。僕がびぜん亭に通うようになったきっかけはそんな風景、店主植田正基さんの人柄によったものであったことは先に書いた通りだ。
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最初は味に惚れて通うようになったが、馴染みになるきっかけは、人の心に訴えかけるような体験やきっかけがどこかであるものだ。店に来る回数ではなく、ましてやラーメンの知識でもない、人付き合いにも似た体験。それを多くの人に提供してきたびぜん亭に、(僕のように)味以上の魅力を感じている人は多いはずだろう。
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初めてきたお客さんにも、毎週のように訪れる常連さんにも同じように声をかけ、気を配る。会話の内容の濃さでも、出汁の濃さでもなく、びぜん亭の風景こそがお客さんは求めているものなのだ。それは植田さんの人となりそのものと言い換えても良い。
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ラーメンで俺の人生は救われたんだよ、といつも語っていた植田さんの作ったラーメンで、そのセリフを映す鏡のように、多くの人が救われていたという事実。それが47年間続いていたのだ。
~ Come Back anytime ~
びぜん亭の風景に惚れた監督が、1年間密着し完成させたドキュメンタリー映画がある。(公式サイト)
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『Comeback Anytime』と題されたこの作品。残念ながら日本で公開されることは稀なのだが、あのびぜん亭の空気感を世界中の人が知る機会だと思うと嬉しいことだ。どんなお客さんも平等に、それは日本人であろうと外国人であろうと、「また、いらっしゃい」。
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なかなかやろうと思ってできることではないし、それを長くやり続けてきたびぜん亭には感謝しかない。こんなお店に出会うことはもうないかもしれない、と思う人も多いだろう。ただ、それは人の出会いと同じ。びぜん亭は店主植田正基さんと同義で、同じ人とはもう一度は新たに出会うことはないのだ。お店がなくなってしまうのは残念だが、そんな素敵なお店に出会えた幸せをいつまでも大切にしていきたい。
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