『攻殻機動隊 S.A.C.を見ました』 日報:2020年1月1日

この正月休みに攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEXとS.A.C. 2nd GIG、2シリーズ合わせて全52話をNetflixで見ました。
新年一発目の記事ですが、感想をダラダラと書き連ねようと思います。ゴリゴリのネタバレを含みます。

シリーズを通して印象深いのは、主として描かれる公安9課という組織は公安=警察組織なので、組織としての体質が既存権力に寄っている事を前提としてストーリーが進む点。その上、公安9課の面々は(少なくとも草薙素子は)自らが権力の一部であるという事を悲観的に考えつつも達観している。それはつまり、体制の為ならば自らの意思に反する仕事も引き受けなければならないということ。正義か悪かという話になりがちなこの手の物語で、主人公がどちらでもあることを受け入れている語り口は珍しく感じました。

もちろん、体制側からのみ話が進むのはストーリーテリングとしてカタルシスがないので、笑い男事件の攻殻機動隊 S.A.C.では反体制に組みする一幕がありますし、個別の11人というテロリスト集団から始まるS.A.C. 2nd GIGは政府内部でのスキャンダルとして物語は進んでいきます。どちらのシーズンにせよ、体制の腐敗が描かれているという点では、主人公達は最終的に体制を正す側に位置している事は間違いありません。

しかし、体制の立場から反体制について描くというのは面白い視点だと感じましたし、その分だけ反体制側の主張も分かりやすくなっているように感じました。

メインストーリーとは直接関係のないエピソードも象徴的でした。S.A.C. 2nd GIGの第2話「飽食の僕」では不正を白日の下に晒すことを妄想するテロリスト予備軍の男の話に終始します。自分こそが世界を救う救世主・孤高の存在だと信じ込み、周囲の人間は世の中に興味がない阿呆だと馬鹿にする。しかし、世界を変えるため行動を起こしたのは馬鹿にしていた同僚に他ならず、自分はそれをテレビで眺めている事しか出来なかった。自尊心の強さを盲信する愚かさは私自身と重なる部分も感じ、全くの他人事とは思えませんでしたね。

あと、攻殻機動隊 S.A.C.の第15話「機械たちの時間」でタチコマが個性についてバトーに話すシーンはオタクなら皆大好きだと思います。

うん!それにね、なんだか前には良く分かんなかった神って奴の存在も近頃はなんとなく分かる気がして来たんだ。もしかしたらだけどさ、数字のゼロに似た概念なんじゃないかなって。要するに体系を体系足らしめる為に要請される、意味の不在を否定する記号なんだよ。そのアナログなのが神で、デジタルなのがゼロ。どうかな?でね、僕達って基本的な構造がデジタルな訳じゃない?だから僕達が幾ら情報を集積して行っても今の所ゴーストは宿らない。でも基本がアナログベースなバトーさん達は電脳化したり義体化してデジタルな要素を増やして行ってもゴーストが損なわれる事は無い。しかもゴーストがあるから死ぬ事も出来る。いいよねえ。ねえねえ、ゴーストがあるってどんな気分?

あ〜、この理論武装された長台詞!たまらないねぇ!「体系を体系足らしめる為に要請される、意味の不在を否定する記号」という台詞は積極的に使いたい。どこで使うべきなのか皆目検討がつかないけれど。
シリーズを通して語られるスタンドアローンコンプレックスという現象は、この台詞に集約されていると感じます。並列化して思考を共有できるタチコマと、本質的には分かり合うことのできない人間はどのように異なるのか。前者はスタンドアローンでないことのコンプレックスであり、後者はスタンドアローンであることへのコンプレックスである。異なる存在が抱える2つの命題をまとめてSTAND ALONE COMPLEXというサブタイトルを冠しているのは美しいと思いました。

執筆時間:50分25秒

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