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『神ゲーは日常に宿る』 日報:2022年5月27日

私はプログラミングを専攻する理系の大学に通っていました。
我が大学も理系大学の多分に漏れずオタクが学生の9割を締めており、言わずもがなゲーム好きな学生も多かったのですが、私と学籍番号ひとつ違いの彼はオタクではありませんでした。

今でも思い出すのは入学式の会場。友人が欲しかった私は「この大学の人間なら大体オタクだろ」と決めつけ、隣の席の彼に「最近どんなゲームやってます?」と話しかけました。
「ゲームやらないです」という彼の返答の後に話を弾ませる程のトーク力を持ち合わせているはずもなく、そのまま入学式が終了。

しかし、彼とは学籍番号で割り振られた実験のグループ授業で同じグループになった事もあって仲良くなり、大学卒業後しばらくたった今でも連絡を取るような友人になりました。



大学在学中のある日の昼休み、彼が「最近このゲームにハマっててさー」と話題を振ってきました。

それはボールを弾いてブロックを壊す、広告でよく見るタイプのスマホゲームでした。

まず初めに「人に勧めるタイプのゲームか?」とは思ったものの、実際のプレイを見せてもらうと、シンプルながら爽快感のあるゲーム性でそれなりに面白くはありましたし、既に500以上のステージ数をクリアしていた彼の前で不必要な発言をするのは野暮だと思いました。

しかしながら、野暮だとは思いつつも、生来の性悪である私は思わず「そんなにハマる?」と尋ねました。

すると彼は「彼女とステージクリア数を競うのが楽しいんだよね」と屈託のない顔で答えました。

その瞬間、私は気づいたのです。
ゲームは一種のコミュニケーション手段に過ぎず、また、それで十分なのだと。




先日、そんな彼が結婚しました。
おめでとう。そしてゲームの真髄を教えてくれてありがとう。


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