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「想い出となった友人へ」を書いた理由と書いて気づいたこと

昨日投稿した記事について後日談のようなものを書こうと思います。

Twitterで手紙を書きませんかとお誘いいただきました。手紙部という活動をされている、ゆるふわ帝国さんからこんなDMをもらったことが始まりです。

こんにちは、はじめまして!
突然のメッセージ失礼します<(_ _)>。
私はゆるふわ帝国と言うものでツイッター上で手紙部という活動をしています。
もしよかったらnoteなどであなたにとって大切な人(過去の自分や未来の自分自身含む)や忘れられない人や憧れの人や心の支えになっている人などに対して手紙という形式を用いて想い綴った文章を書いてみませんか?(以下略)

連絡をもらった時に、この活動自体がすごく素敵だなと思って、速攻で書きたくなった。一応、その後にしっかりと詳細を聞き、難しそうな感じも無く、いくつかのルールだけ守れば基本的には自由な手紙を書けば良さそうだったので書くことにしました。(一つルールを忘れていて投稿後にタイトルを変えました笑)

実はまだこの時点では、誰に書くか決まってなかってなかったんです。奥さんに書こうかな、一緒に暮らしている猫に描こうかな、なんて思っていたけど、ふと、家族以外に書くなら誰かいるかなーと考えてみました。

そしたら、ふと亡くなった友人のことを思い出して書いてみようと決めたんです。

よく考えたら人生の中で、男友達に手紙を書くのははじめてだなと。ある意味ちょうど良かった。この世にいないアイツになら書いても恥ずかしくないし、「キモいやんけ!」とツッコまれることもない。

でも、手紙にも書いた通りですけど、ほんとにマンガに出来そうな青春を過ごした唯一の友人だったので、こうして何かの形として残せて嬉しかったです。

この手紙を投稿して、いただいたコメントで「その人が本当に死ぬのは忘れたとき」って言われて、ほんとそうだなって思いました。

何かの物語の中で「私の中にあなたは生き続けています」なんて言うのを聞いたことがあるけど、なんかほんとに、そう言う気持ちがわかる気がします。

というか生きていようと死んでいようと、人と共有した時間、場面、言葉なんてものは口外しない限り共有した2人だけの特別な物語ですよね。むしろ口外したとしても、その時を一緒に過ごしていない人に、その時の空気を共有することなんてできない。自分たちだけの特別な想い出なんです。

出会いの数だけ物語があるって、ほんとにその通りだなと。誰か一緒に過ごした時間は当たり前に思えるけど、2人だけの特別な時間なんですね。

人との出会い、関わることで起きた出来事をもっと愛おしく大事にしたいと思いました。

改めて、手紙を書く機会をくださったゆるふわ帝国さんに感謝します。

ありがとうございました。

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