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恩返しの強迫観念 と 恩送り

最初に懺悔します
ひょっとしたら、私達1960年世代の多くは恩知らずかもしれません

今回は自省の意味も込めて恩について語ろうと思います

私の世代は高度経済成長期に育ちました

懐古趣味はありませんし、昔は良かったとも言いませんが、日本の文化が仕事にも息づいていた時代であったことは確かです

経済社会としてはまだ発達途上でしたし、生活自体は今より遥かに貧しかったと思います
しかし、貧しさだけでなく皆が夢や目標を共有していて、人の心は今より豊かだったと思います

大企業は、国を背負って立ち、自分達が国の品位を表すといって背筋を伸ばして仕事に邁進していました
また、敗戦で財閥解体があったせいか、社会全体が若く勢いがあり、会社は社会の公器であり企業は従業員のものだとサラリーマンという職業(?)にプライドを持っていました

中小企業の社長は日々四方八方駆けずり回りながら、自分たちが日本の物作りを支えるという自負を持ち、油にまみれて汗水垂らしていました

個人は登る朝日に手を合わせて「お天道様に恥ないよう」仕事に家事に励んでいました

皆が皆、昨日よりも良い明日にしようと懸命に仕事をしていたと思います

そんな中、社会人になったばかりの私達に対して、上司や先輩は、理不尽な要求や、無理難題を沢山押し付けられましたが、今で言う飲みニケーションで不安や挫折を幾度となく慰め、そして励ましてもくれました

新人の私達にとって、時に暴言を吐き、時に慰め励ましてくれる上司や先輩のお陰でどんな無茶も理不尽な仕事も試練・修行だと思え、遮二無二働いて充実していました

当時は楽しみや娯楽もあまりなかった時代でしたから、お酒がそんなに好きでなかった私でも、飲みに連れて行ってもらうのが褒めてもらっているようで嬉しく思えました

そのように、仕事を覚えこなすのに必死な私達世代は、当時は上司や先輩の慰めや励ましも当たり前にしか感じておらず時には反発もしていましたが、一人前になった頃には強い恩義を感じていたと思います

そして、当時の私は賞与を貰った後で、上司に「いつもありがとうございます、今までのお礼を込めて今夜は私に食事代を出させてください」とお願いしました

すると上司は、「偉そうにするな! 俺は部下に施してもらうほど落ちぶれてない」「俺に礼をしたいなら早く偉くなってお前の部下にその分奢ってやれ」と鼻で笑われてしまいました

その当時は「恩送り」という言葉は知りませんでしたが、この上司の言葉は私の心にずっと心に残っています

劇作家の井上ひさしさんは、「恩送り」とは誰かから受けた恩を、自分は別の人に送ること
そしてその送られた人がさらに別の人に渡す そうして「恩」が世の中をぐるぐる回り広がってゆくことを指している、といいました

しかしその後、私に上司の役割がまわって来た頃には、バブルが弾け景気が後退し、給与が上がらなくなりリストラが横行し、プレーイングマネージャーとしてチームのノルマと個人のノルマの両方を達成しなければならなくなっていました

結果として、私を含む私達世代は日々の仕事に追われるだけで、部下に恩を送る事も忘れてしまっていったのです

そして、今の世知辛いこの世の中を作った一因が、この恩を忘れたことから始まったと思うのです

よく親の恩に報いるとか、受けた恩を返すとか言いますが、そもそも恩とは、善意に基づいた行為(善行)を受けたことへの感謝の表現の一つだと思います

そして大事なことですが、善意に基づく行為は行う側に主導権がありますが、それを受けて恩と感じるかどうかは受ける側が決めるものです

例えば、会社の同僚から家族旅行のお土産としてお菓子をもらった
あるいは、病気で長期休暇の間の仕事を同僚が肩代わりしてくれていた

私だったら、前者は義理を感じて今度自分が行ったときにお土産買って帰ろうと思いますし、後者は恩義を感じて快気内祝いと称して食事をごちそうするとか、特別に何かしたいと思います

これは、相手から施された行為を無意識に負い目と感じて、貸し借りなしの状態に戻そうとするものであり、自分と相手とを対等な立ち位置に戻そうとする感情ともいえます

しかし後者では、こちらが困った時か苦しい時に手を差し伸べてくれたと感じるため、その気持がより深く、簡単には対等にはならないと思うのでしょう

ただ、どちらの場合も受けた側が感じるものです
つまり、どう感じるかは受けた側の心次第なのです

そして私は若い頃、上司や先輩から恩を受けたと感じています
しかしその恩を十全に後進の人々に送ったとは感じていません

改めて私が歩んだ職業人生を振り返ると、私を含む同世代が送るべき恩を送らなかったために、社会全体が恩知らずになったのではないか
恩送りという日本の良きビジネス文化を壊したのは、私達なのかもしれません

プロフィールにも書いてありますが、私がカウンセラーやキャリアコンサルタントとして活動するモチベーションは、この辺りにあります

カウンセラーをやっていると、相手に対して良かれと思ってやって来たのに自分の思いが相手に伝わらないとか、親がこれまで育てた恩を返せと強要されて辛いとか、自分が会社の役に立っていないようで辛い、等という相談もよく受け付けています

そして中途半端な学校教育や社会人教育により、「受けた恩は返すのが当然」というような風潮になっています

しかし、貴方がどんなに善行を積んだと思っても、それは「貴方がやりたいことをやった」だけで、相手が貴方の行為を善行だと認識して初めて善行足り得るのです

また、相手からどんな善行を受けても、あなたがそれを重荷に感じたりおせっかいだと感じるならば、相手が何を言ってきても、自分の心に背いてまで無理に恩義だと思う必要はありませんし、返す必要などはないのです

ましてや親が子を産み育むことは哺乳類なら自然なことで、「育ててやった」とか「せっかく育てた」等感じること自体が不自然なことです
今、慈しむ対象が目の前に存在すること自体に感謝こそすれ「恩をかけた」等と思うことはないと思うのですが

これからは、善行を施すのはあくまでも自分の勝手「自分がやりたいからやる」と思い、相手の反応を気にせずもっと自由になりませんか

そして、先達に恩義を感じたら後進に「恩を送る」という発想も含めて返すも送るも私の自由と思い、もっと楽になりませんか

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