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ジャミロクワイ・20世紀少年、はたまたDEAN FUJIOKA

同じ時期にハマっていた何かと何かが、
自分の中で妙にリンクして、
輝きが何倍にも増している、
ということが、
私の人生でいくつかある。

私はこの現象を、ワインの用語を使い、
『異種マリアージュ』
と呼んでいる。

何故か自分の中でマッチしていて、
一方のことを思うと、
自然ともう片方のことも思い出される。
自分の中では、
完全にセットで存在している。

そのふたつに、同じタイミングでハマったのは、
偶然である。

そして、
頭ではなく、
私の『感覚』が、
そのふたつの相性がメチャクチャ良いことを、
捉えている。

全ては、偶然である。
偶然だから、楽しい。



2010年11月に、
「rock dust light star」というジャミロクワイのアルバムが発売された。

ジャミロクワイといえば、
1996年の夏に出た「バーチャル・インサニティ」という曲のイメージが強い。
少なくとも私はそうである。
というのも、
1996年は、私がベースを弾き始めた年であり、
当時、ベース教室に通い、そこの先生(私の師匠である)から、70年代のディスコサウンドを教えてもらい、シェリル・リンやKC & The Sunshine Bandをひたすら聴いていた時期だった。
「バーチャル・インサニティ」のベースラインは、
70年代ディスコの良い部分を土台に、さらに新たな感性が混ざった、完璧な仕上がりで、
語彙力の乏しかった当時の私は、「スゲー!」「カッコイイ!」と思ったものである。
その段階で、私がジャミロクワイにハマっていったかというと、そこまでではなく、
ただ、その後も、新しい曲を聴けば、「やっぱカッコええなぁ」と思う。
そんな感じだった。

そんな私の、
ジャミロクワイへのイメージはというと、
まず、
奇をてらうとか、変化球とかで攻めてくることはなく、
いつも、ストレートな楽曲。
そして、
ディスコやファンクなどを取り入れてるんだけど、それらが、完全にジャミロクワイ流に変換されている、という点。
しっかり学んで(本人は楽しんでいるだけだろうけど)、吸収し切っている。表面的に取り入れる、ということはなく、しっかりジャミロクワイの血となり骨となっている、と、そう感じる。
トータルでいうと、
ストレートで、細々してなくて、大きな音楽というか、俯瞰した美しさがある音楽。それでいて、細部のグルーヴも申し分ない。
そして、
陰か陽かでいうと、陽のイメージ。

この点、
陽のイメージという部分、
2010年の「rock dust light star」というアルバムが、
このイメージを覆した。

「rock dust light star」は、
全曲通して、一貫性のある作品なのだが、
その一貫性とは、
『dark』であり、『夜』をイメージさせるのである。

『dark』なジャミロクワイが新鮮で、
アルバムが全曲通して一貫性のある作品になっているという点も私のツボで、
あっという間に私は、このアルバムの虜になっていった。




2008年から2009年にかけて、
映画「20世紀少年」3部作が公開された。

私は、
何事も基本的に、
流行っている真っ只中にその作品に触れるということをしない。
それは、先入観抜きで楽しみたいからだ。

20世紀少年、
漫画の方も見たことはなく、
映画が公開された段階でも、見に行っていない。
その後、
DVDが発売され、
ある程度時間が経った頃、
私は、DVDを購入しているのだが、
何故見たいと思うようになったのかが、全く思い出せない。
3部作の1番最初を見て、
「メチャクチャ面白いじゃん!」と興奮したことは、ハッキリと覚えているのだが…。

その頃には既に3部作全部がDVDになっていたので、
私は一目散に残りのDVDも買い、
見入った。
文字通り、見入った。




その時期に、
偶然よく聴いていたのが、
ジャミロクワイの「rock dust light star」である。

そして、

私の中では、

「rock dust light star」というアルバムが、
「20世紀少年」という映画の、
BGMとなっているのである。


特に、
アルバムの1曲目、
表題曲の「rock dust light star」という曲が、
見事に「20世紀少年」にマッチしている。

「rock dust light star」の『dark』でゆったりとした世界観・雰囲気が、
「20世紀少年」第1章の、
スモークの沸き立つような、世紀末、暗がりの中で起こる予測不能な出来事、お先真っ暗な絶望感、
そういった世界観と、
見事に!マッチしている!リンクしている!マリアージュしている!!

相乗効果、
お互いがお互いを引き立て合い、
そこにある熱量を、リアリティーを、より鮮明に、より艶やかに持ち上げている。
私の中で、そこが、立体化している。躍動している!


きっと、
こんな感想は、
世界中で、私だけだろう。
しかし、
私の中で、見事に躍動しているこの事実、
今でも躍動し続けているこの事実、

偶然の出会いとは、
本当に楽しく、美しいものだなぁと、
私は思っているのである。



『異種マリアージュ』は、
まだいくつかあるので、
また書こうと思っている。
そして、
偶然にもこの記事を読んで、
「そういえば自分の中には、こんなエピソードがある…」
と、
何かしらの『異種マリアージュ』が、あなたの中に思い出されたならば、
それは、
とても楽しく、美しいことだと思うし、
この偶然の出会いに、
乾杯🍻!




さて、

タイトルに、
ディーン・フジオカを登場させたのには理由がある。

今年(2022年)の4月スタートのテレビドラマで、
ディーン・フジオカ主演の、
「パンドラの果実」というドラマがあった。
私は、
このドラマが大好きだったのだが、
大好きになった理由のひとつは、

『主題歌の世界観とドラマの世界観が見事にマッチしているドラマを、
私は、より大好きになってしまう』
というパターンが私にはあって、今回もこのパターンだった、というもの。

これもある意味、『異種マリアージュ』と言えなくもないのだが、
主題歌なんだからマッチして当たり前、と言えなくもないので、
私の中で、『異種マリアージュ』としては、カウントしていない。
とはいえ、
主題歌の世界観と、
ドラマの世界観が、見事にマッチしているものって、
私の中では、驚くほどに少ない。

それは何故かというと、
ドラマ自体、独特の雰囲気を発していないといけないし、
同様に、主題歌の方も、
歌として、曲として、独特な雰囲気を発していなければならないからだ。

ありきたりなドラマに、ありきたりな主題歌、それがマッチしたところで、何の感動もない(私の主観です)。

過去、
私が感動した例でいうと、
2016年、
藤原竜也主演ドラマ「そして、誰もいなくなった」と、
その主題歌クリープハイプの「鬼」。
このマッチングには、度肝を抜かれた。
最高に独特な世界観で、
お互いがお互いを高め合い、両者ともに輝いていた!
このインパクトを、私は忘れられない。

最近だと、
2021年10月からの、
西島秀俊主演ドラマ「真犯人フラグ」に対する、
主題歌Novelbrightの「seeker」。
このタッグも完璧だった。

そして、
ディーン・フジオカ主演「パンドラの果実」に対する、
主題歌ディーン・フジオカの「Apple」である。

最初、
この歌を歌っているのが、ディーン・フジオカだということに、
私は全く気付いていなかった。
ディーン・フジオカの音楽活動を私は全く知らなかったからだ。
ドラマを見続けていくにつれ、
「この曲カッコええのぉ」
という思いがジワジワ強くなっていき、
そして調べたらディーン・フジオカだった。
そこから私は、
ディーン・フジオカの音楽について、
YouTubeで調べ始めた。
何曲も聴いていった。
そして、
「とりあえずAppleのCDが欲しい」と強く思うようになり、調べると、
ちょうどシングルが出る直前で、しかも、「Shelly」という曲のライブ音源も入っていると。
私は、早く欲しくて仕方なくなり(待ち焦がれるという感覚をこんなにも抱いたのは、かなり久々だった!)、Amazonで予約。
そして到着、
からの、
オーディオで、デカい音で、
聴きまくった。



そして、



『Musician ディーン・フジオカって、凄い独特な存在だな』
とずっと思っていて、
ふと、
『あぁ、ジャミロクワイみたいだな』
と、私は思ったのである。

音楽制作において、
細かいことにこだわるではなく、
俯瞰して、大きな意味で、どんな作品をつくるか、
その際、クオリティーは、高くなければならない。
好奇心旺盛な自分が満足できるだけのクオリティーが必要。
そして、
常に新しいものを。
最新でワクワクするものを。
大きな音楽を。

ミュージシャンとしての在り方が、
ジャミロクワイと、ディーン・フジオカと、
よく似てるなぁ、
と。

誰か、
この感覚に同意の人、
いるかなぁ?














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