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日記のような#1

1年に1回くらい、ズドーンと気持ちが堕ちるときがある。
そういうときに必ずやるようにしていることがあって、
それは、

「自分が絶対にやらないことを、何かひとつ、その日の内に、絶対にやる」
というもの。

とりあえず今日は、
もう書くことはないかも、と思っていたこのnoteを書くことにした。
何故「もう書くことはないかも」という決定になっていたかというと、
ちょうど1年ほど前に始めたこのnoteだが、
その後、YouTubeを始め、
日々の意識の全てを、動画作りに注ぐようになったから。
基本、「これだ!」と思ったらそのひとつにしか意識を向けれない不器用なところが自分にはある、
ような気がしている。

とりあえず今日は、
その決定をくつがえしてみた。

そして、
もうひとつ、自分を壊すことにした。
自分が絶対にやらないであろうことを、もうひとつ、やってみることにした。

それは、

私は、
noteにしても、ブログにしても、インスタにしても、ツイッターにしても、YouTubeにしても、
投稿する完成形を、
ひとつの作品だと捉えていて、
俯瞰して見たときに「美しい」と思えるものじゃないと、投稿しない、
という自分ルールがあるのだが、
今日、
というか今、書いているこのnoteに関しては、
そこを無視しようと。

何かもう、おもうがままに書いて、
投稿しようと。

まぁそんなこんなで、
久々のnoteなのだが、

今、

私が強く思っていることを、思うがままに、これから書く。

私は、
「感情が健康的に機能していれば、それだけでいいじゃん」
と思っている。
心の底から笑える、そんな心でいられるなら、それだけでいいじゃん、
素直に「ありがとう!」「ごめんなさい」が言える、そんな心があるなら、それだけでいいじゃん、
と思っている。

私は、
『感情が健康的に機能している、普通の人』に成りたい。
そして、そう在り続けたい。

それだけでいい。

それ以上、「何かを成し遂げた」とか、優れているとか、どうでもいい。

感情が健康的に機能しているか、
それとも感情が健康的に機能していないか、
その境目に立ち続ける、
普通の人に成りたい。

凄い結果を出した人の言うことは、正しいのか?
はたから見て、何てことのない日々を送ってる人の言うことは、軽いのか?

私は、
どうやら何かに腹を立ててる。
たぶんこれは、
19歳の頃から抱いている怒りの延長。
この世界に対する漠然とした怒り。
この世界への居心地の悪さ、
それを何とかしたいと思う純粋な怒り。
ただ、
その思いが、私の自己満足でしかなく、
他人にとって無意味だったら…
と思ってしまうほどに、

悲しみを抱いてしまった、今日…。

自分のやってきたことへの自負・誇りが、
見えなくなってしまった。

私の「話の聴き方」「相手を知っていくときの受け止め方」「コミュニケーションとは何か?を問い続ける執念」その他諸々、

無いより有った方が絶対にいいよね、
とすら思えないほどに、
何かを見失った。

とりあえず、以上。

ちなみに、さっき、風呂掃除をした。

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