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読書レビュー: 『インスタグラム: 野望の果ての真実』

「スタートアップ」が一つの産業になるまでの歴史

本書はインスタグラムの創業からfacebookによる買収、成長、創業者の退社まで2012年から18年のドキュメンタリーである。

2012年、facebookはIPO準備中で(そしてこのIPOは今では多くの人が忘れているがあまりよいスタートではなかった。)、インスタグラムは最初の大型買収だった。WhatsAppの買収もまだだし、今では遠く引き離したTwitterも、まだまだ脅威に見えていた時代である。そこから2016年大統領選、フェイクニュース、ケンブリッジアナリティカ、アドネットワークなど現在のfacebookのパブリックイメージを形作り、SNSが「産業」として成熟するまでの一連の物語を詳細に記述している。

本書は「スタートアップ」という現象が、一つの産業になる瞬間と、その結果として発生した多くの問題とを描いている。その意味で、スタートアップ関係者、ベンチャーキャピタル関係者には一読を薦めたい。一方で本書に登場するtwitter, facebook, instagramなどのような意味で人々の暮らしを変えるスタートアップは日本には存在しない。

著者は本書を「急激に成長して帝王学も美徳もないまま、世界を支配するに至った未成熟な経営者にどう落とし前を付けさせるか」という批判的な視点から描いている(私はそのように理解した。)。しかし日本の読者が考えるべきなのは「facebook / instagramはどのように成功に至ったのか(そしてその後のかじ取りを誤ったのか)」であろう。

実際、Facebookの株価は(それでも日本のすべての企業より圧倒的に高いパフォーマンスだが)過去5年間で比較したときに+173%で、Apple(+441.3%)、Amazon(+362.6%)、Google(+236.7%)の後塵を拝している。時価総額そのものでもFacebook(1.0兆ドル)はGoogle(1.8兆ドル)の60%程度に留まっており、差は開く一方である。

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👆 https://www.barchart.com/ 参照。

日本にはこのようなテックジャイアントは一社もない。最大のテック企業は日経の時価総額ランキング(2021/07/25 11:43アクセス)によればリクルートで、その時価総額は9兆円(ドルではない)と、0.1facebook未満である(ソフトバンクは金融業でITではないと理解している。)。

私の関心は「どうすればfacebookになれるのか」(かつ「ザッカーバーグの轍を踏まずに」)という方面に偏っている。下記ではその中で得たいくつかの知見を共有する。

創業者の「美意識」と計測文化は車の両輪

インスタグラムの創業者シストロムは独自の美学の持ち主である。たとえば写真についてはフィレンツェに留学して(彼自身は米国生まれ米国育ちだ)現地の先生に教えを請い、「美しい写真」について厳格なこだわりがある。

インスタグラムの運営にあたっても「美しい写真」を推奨するためにデザイン、広告、その他のすべての面において人手を入れてきた。たとえば広告用のコンテンツで「美しくない」写真をインスタグラム上で配信する前に自分でフォトショップすることまでしていた。

インスタグラムをどのような「コミュニティ」として運営するか、にも明確な美意識がある。たとえばインスタグラムは「普通の人々」がお互いに繋がり、お互いの生活を垣間見ることができる場であるべき、というものだ。一部のインフルエンサーの投稿ばかりが掲載される状況を回避すべく、「普通のユーザー」の投稿を優先するアルゴリズムを開発したりする。

一方のfacebookは厳格に計測に基づく文化である。すべての成功と失敗はアクセス数の増加、コンバージョンといった数値によって管理され、facebook上でユーザーが消費する可処分時間を最大化するというゴールのもとにKPIが編纂されている。したがって本書ではシストロムとfacebookとがアプローチの違いをめぐって対立する場面が多く出現しているが、私が理解したのはむしろその相補性だった。

もちろん創業者の美学はインスタグラムを成功に導いた要素の一つである。一方でビジョナリーな創業者であるシストロムは時として事実を軽視する。たとえばインスタグラムの投稿は伝統的に「正方形」の画像に限定されていた。これは本節冒頭で述べたフィレンツェでの教育の賜物なのだが、ユーザーはプラットフォームの単なる制約だとしか思っていなかった。インスタグラムが最終的に長方形の画像の投稿をユーザーに許可したとき、ユーザーの反応は「これほど自明なユーザーニーズを解消するのになぜここまで時間が必要だったのか理解できない」というものだった。

こうした陥穽に気付くうえで、計測は役に立った。創業者のビジョンに重きを置きつつ、数値による検証を欠かさないことがインスタグラムという企業の成長にとっては重要だったと言えよう。

独自性に価値はないが単なるコピーにも価値はない。

SNSの王座をめぐる覇権争いは、事後的には買収した企業連合(インスタグラム、WhatsApp)の規模の経済と、競合の類似機能を容赦なく模倣し、叩き潰すfacebookの合理的なアプローチによる横綱相撲と理解されている。

しかし実際には、それほど単純な話ではなかったことが、Snapchatとの競争の一部始終から明らかになっている。facebookはアプリ間のユーザーの流れを計測することでSnapchatへのユーザー流出を早い段階で察知していた。しかし打ち手を適切に行う観点では出遅れた。

Snapchatに止めを刺したのはインスタグラムの「ストーリーズ」機能だが、これはSnapchatの徹底したコピーであると同時に、インスタグラムの既存UIに溶け込んだものだった。シストロムはインスタグラムにはそぐわないとしてストーリーズの開発に抵抗していたが、いざ実施する段では徹底的なエグゼキューションを行った。

一方でfacebookが他のプラットフォーム(facebook, messenger, WhatsApp)で展開したSnapchatクローンはそれほどの成功を収められなった。また、シストロムが去って後、直近ではSnapchatは復調しつつある。その背景にはTikTokが開拓したAR技術の取り込みがあると言われている。この領域におけるインスタグラムの対応は今のところ鈍い。

買収された企業のCEOは「CEO」たりうるのか。

本書の最大のテーマはこの点にある。ザッカーバーグとシストロムが決裂した理由はたぶん色々あるのだろうが、全体としては買収される側には残るインセンティブは(ロックアップ期間を過ぎれば)大してないわけで、両者の関係性を明確にすることは買収した側の責任だと思う(はっきり言えばシストロムが辞めて困ったのはfacebookであって、シストロムではない。)。

初期インスタグラムについて「好きにしろ」「facebookのリソースを使え」と言ったのは当時としては正しい判断だったと考えられる。一方でカニバリが発生したのちにどうするのかについて、facebookからインスタグラムに対するコミュニケーションは弱かったのではないか。あと、一度「好きにしろ」と言った相手を後から統合するのは難しい。PMIでは一番よくない手だ。マキャベリも「極悪非道は一度きりで終わらせろ」と言っている。統合するなら最初にやってしまった方が良い。なので、古典的な企業買収における教訓は今なお真である、というのが一つの学びである。

一方で、まさにfacebookが開いたパンドラの箱は、いまだ収益が0円のスタートアップでもユニコーン、デカコーンの価値がつく、ということで、それは古典的な企業買収論では想定されていなかった問題である。個人的には、買収された企業のCEOに対して「今までのままだよ」と逃げるのではなく、明確な役割を定義することが重要だと思っている。その中には創業者として企業ビジョンとミッションの守護者たることも求められるが、やはり株を100%別人が持っている状態で「変わらない」というのは強弁だろう。

全体としてシストロムからザッカーバーグへの配慮もいろいろ足りないし、ザッカーバーグも(本書では描かれていないが)か色々我慢していたのではないかと思う。たとえばfacebookのキャンパスから出て自社オフィスを構える(いやがらせなのか?)、とか、ゴミ箱を撤去する、とか、明らかに数字で出ている悪い結果について耳を貸さない(「結果が出てるんだからいいだろ?文句あるのか?」みたいな)のは、ザッカーバーグ側からすると「扱いに困る買収企業の創業者」というところはあったんだろうと思う。

この辺りはシストロムももうちょっと大人になれればよかったんじゃない?というところである。一方で、最初から役割をそのように定義しておけば、シストロムももう少しザッカーバーグに気を遣えたんじゃない?という気もしている。

スタートアップと社会に対する責任

本書では、大統領選、フェイクニュース、ケンブリッジアナリティカなど、facebook(とインスタグラム)を巡る一連のスキャンダルも取り上げられている。興味深いのは、facebookは槍玉に上がりがちだが、インスタグラムも場合によってはfacebook以上に汚染されており、監視が未整備であるためにより問題が大きいと指摘されている点である。それに対してシストロムはあまり体系的な対応を取ろうとしたように見えなかった。

どの業界でも、最初に大きくなったプレイヤーが最初に報道や規制当局の厳しい視線に晒される。しかしそれを見て、自分たちは同じ轍を踏まないように、と投資をできるかどうかがその後の成長を規定する。袋叩きにする規制当局側はそのたびにバーを引き上げているわけだから。

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他にもインフルエンサーとプラットフォームの関係とか、全体として学びが多い本で、四連休のお供として良い感じでした。

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