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46枚目 THE BLUE HEARTS「THE BLUE HEARTS」(1987年)/日本のロックの流れを変えた史上最重要作品

#jrock #80s #真島昌利 #甲本ヒロト #BLUEHEARTS

なんと1ヶ月ぶりの更新になってしまいました。
80年代後半の日本のロックを語るとき、必ず向き合わなければならないにいや、もしかしたら、日本のロック史上最重要かもしれない名盤いきましょう。THE BLUE HEARTSのデビューアルバム「THE BLUE HEARTS」です。

1987年のある日、「未来は僕らの手の中」がラジオから流れてきたときの衝撃は忘れられません。そのシンプルかつキャッチー、適度にラフなサウンドはもちろん、"それならばいまここで僕ら何かを始めよう"、ブレイクで突きつけられる"未来は僕らの手の中"といった言葉にガツンとやられたのでした。英語を使わずに日本語で歌われる歌詞。ロックなのに言葉と意味がするりと届く。これは革命的でした。常に欧米を向いていたロック・ミュージシャンたちの目が初めてドメスティックな方向性に向き、ポピュラリティを持ちながらも歌謡曲に迎合しない。そんな日本のロックが生まれた瞬間でした。当時、どれだけのキッズがこれらの言葉やサウンドに感化されたことか。

このアルバムはいろんな切り口から語られていますが、ここではなぜこのアルバムか後世にあれほど大きな影響を与えたのかを考えてみたいと思います。

一言で言えば、<これなら自分でもできる>と多くのキッズに思わせたことです。
キッズたちが楽器を取るきっかけになったアーティストというのがいます。古くはベンチャーズ。ビートルズ。レッド・ツェッペリン。その後は、主にディープ・パープルなどのハードロックなど、洋楽が主導する時代が続きます。そこに邦楽が割り込むにはBOOWYのブレイクを待たなくてはなりません。しかし、ここで初めて楽器を持ったキッズたちには難しかったのです。布袋が作り出すサウンドは。

しかし、ブルーハーツはバンド初心者に易しかったのです。シンプルな8ビートのドラムス、ルート中心のベース、ギターはトライアドのコードワーク中心。コード進行も素直で、コピーしやすいものが多かった。そんな中に、ちょっとした応用が登場します。例えば「リンダ・リンダ」のAメロのコードは、D/F#7/Bm/D7onC/G/Aと進行します。ここで、7thや経過音としての分数コードの使い方を覚えるのですね。また、アレンジ面でも、ドラムスのフィルの入れ方、ベースの遊びフレーズ、ブレイクの作り方など、音楽をよりまとまった形にしていくための技の基本形がここにはあります。それらは、まさしく彼らの自身がレコーディングの中で学んでいったことであり(特に、ドラムスの梶原とベースの河口の2人)、これを完コピすることでバンド初心者も自然と学習することになったのです。

ブルーハーツは3rdアルバム「TRAIN TRAIN」(88年)までの間に、多くのキッズたちが日常的に口ずさむほどに印象的な曲をいくつも送り出し、確固たる地位を築きます。これら3枚のアルバムでばら撒いた影響はとてつもなく大きかったのですが、反面、それがバンドブームを助長し、レベルの低いバンドが次々にデビューする温床になったことも確かです。ブルーハーツの影響が実りのあるものとして現れるのは、渋谷系ブームを経た2000年代を待たなくてはなりません。

時代が一巡して、10代だったキッズたちが20代になったとき、再びブルーハーツの影響が顔を出すようになります。それはロックだけでなくポップスやアコースティックな音楽の中にもその影響は及び、つまり、自分の音楽を見つけたときに、若い頃に聞いた原体験としての音楽=ブルーハーツの存在が意図しないままに滲み出ているもいうことなのかもしれません。ブルーハーツの音楽は、血肉どころか、2000年代以降の日本のロックやポップスの骨子になったのです。

そして今でもブルーハーツの音楽が愛されているのは、一切媚びる姿勢を見せず、優しさを持って本音を歌われているからに違いありません。

【収録曲】

Side-A
1. 未来は僕等の手の中
2. 終わらない歌
3. NO NO NO
4. パンク・ロック
5. 街
6. 少年の詩

Side-B
1. 爆弾が落っこちる時
2. 世界のまん中
3. 裸の王様
4. ダンス・ナンバー
5. 君のため
6. リンダ リンダ


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