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008 林よしこ『アンコール』(2022年)

作詩:水木れいじ 作曲:吉永真悟 編曲:野々田万照

これは個人的に2022年のベスト・ソングの1つだった名曲だ。

現行の歌謡曲シーンは演歌とセットになっており、普段は演歌を歌っている歌手が選択肢の1つとして歌謡曲を歌うことも珍しくなくなった。
ここでいう歌謡曲とは、80年代的なアイドルソングのようなものではなく、もちろん、シンガー・ソングライターが作ったニューミュージックの流れにあるようなポップスでもない。
職業作家のセンセイが分業制の下でヒットを狙って作った曲のことだ。
できればそこには日本的な憂いがあると好ましい。

90年代に入った時、演歌はなんとか残ったが、歌謡曲と呼ばれていたものはほぼ消滅したに等しいほど姿を消した。
表面的には。
では、どこに残ったかというと、90年代型のJ-POPの中だった。
ドリカムのような洋楽(特にソウルやR&B)をベースにしたスタイルが主流となる中、日本的な感性が残ったのはユーロビートだった。
そこに乗るメロディは実に歌謡曲的な憂いに溢れていた。
ただし、それはTKブームと結びついたことでうまくカムフラージュされてしまう。
ちなみに、93〜96年の渋谷系のブームの中から60〜70年代の歌謡曲の音楽的再評価が巻き起こったが(これが現在の和モノDJやシティポップ・ブームのルーツ)、これはサブカル的な評価であって、日本人の血に訴えかける歌謡曲とは別モノの流れであることは強調しておきたい。

そんな歌謡曲的な感性が再び分かりやすく表出したのはどこだったのか。
それはシャ乱Qの登場だった。
正確には、4枚目のシングル「上・京・物・語」(94年)からだ。
活動の方向性を模索していた彼らは、当時はダサいとされていた歌謡曲的な泣きのメロディを全面に押し出し、つんくのシャクる歌い方や、さらにホスト・キャラを定着させ、カラオケで情感たっぷりに歌いたくなるような湿っぽい楽曲を量産していった。
つんくの存在がなかったら、歌謡曲文化は廃れていたかもしれない。
この話を続けると水商売やヤンキー文化論に行き着くのだが、ここではさておく。

ここで、当時の若者たちは気づくのだ。
オシャレで音楽的実験に溢れたJ-POPよりも、込み上げる泣きのメロディが好きなんだと。
X-JAPANだって同じだ。

と、長々と文化論を書いてみたが、この「アンコール」はまさにそのつんく直系の歌謡的センスに溢れているのだ。
アレンジは洗練されているが、その上で歌われるメロディにはどうしようもなく憂いが溢れている。

作曲の吉永真悟の詳細はあまりわからないのだが、作曲とヴォイス・トレーニングを専門としているようで、おそらく40代後半くらいだろう。
辰巳ゆうとや男性演歌デュオのはやぶさといった若手の実力派歌手のボイトレ担当もしているようだ。
そういったところから想像するに、ロックにはまりつつも歌謡曲的な音楽が好きだった、つまりシャ乱Q的なセンスを持った人なのではないだろうか。

水木れいじの歌詞もいい。
70年代デビューのベテランだが、言葉選びは適度に懐かしさを感じさせながらも、言葉が綺麗に流れていくところがオシャレだ。
今の演歌/歌謡曲シーンにとって言葉のセンスをどこに着地させるのかは非常に重要なポイントだろう。

アレンジの野々田万照もいい仕事をしている。
適度なイナタさを残しながらも、程よく洗練されている。
特に、Aメロのセカンド・ヴァースにハーモニーをつけたのが非常にいい効果を生んでいる。
野々田はサックス奏者で、本多俊之ラジオクラブ出身。
あの「マルサの女」のサウンドトラックにも参加している(「2」の方)。
だからジャジーなサックス・ソロが入っているのだろう。

歌い手の林よしこは94年のデビュー曲で、島津ゆたかとのデュエット曲『いい男!いい女!』がヒットするが、長らく休業した後、2013年に活動再開。
ポップス曲なので、演歌のコブシを使わない代わりにそこをどう処理するのか少し迷いが感じられるものの、声に程よく憂いがあって、曲との相性はとてもいい。

ちなみに、同じメンバーで作られたカップリング曲の「Smile」もいい出来。

なのに、ジャケットがコレでしょ。
中高年の固定ファンしか見てないんだろうなぁ。
それがいちばん残念。

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