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モンターニュのつぶやき「秘すれば花なり、秘せずは花なるべからず」 [令和3年5月4日]

[執筆日 : 令和3年5月4日]

 今日は、全国的な快晴で、息子は会社の新しい部署の先輩と歓迎会を兼ねてのゴルフにいそいそと出かけたのですが、昨晩、どんな感じでプレーしたらいいかなと、尋ねてきたので、「不動裕理という、一年間に10勝もし、6年間連続の賞金王になった選手は、ゆっくり振ることだけを考えてプレーしたようだよ。練習で出来た7割が本番で出来たら御の字なんだから、そういう気持ちでプレーしたら」と話しましたが、どうなりますか。
 林達夫さんは、明治生まれの方ですが、明治生まれの男性にとっては、私的なこと、家族の事、特に子供の事を人前では語らないことがある種、暗黙の了解のようなものとしてあったのかもしれません。林さん自身もそういう人だったようではありますが、「思想の運命」には、極めて稀な文章として、例えば、「子供はなぜ自殺するのか」「子供の文章」そして「父と息子の対話」が収録されていますが、思想家でもある林さんの子供を一人の人間として観る姿勢がよく顕れている文章だと思います。子供は社会的には無責任的存在かもしれませんが、子供から教えられることも多いですし、明日は、子供の日でもありますし、たまには、子供と対話するのも宜しいかと。
 昨日の憲法記念日の祭日、憲法を考えるのではなく、ゴルフしか考えていませんでしたと、とあるゴルファーからメールがありましたが、ゴルファーに限らず、身近な課題があると、高尚な抽象的、林達夫さんがいう、通貨として使えないものには関心が向かないということでありましょう。そうなんですね。日本は、いつの間にか、俗物的なことに脳が支配されて、目に見えないもの、スマホに出てこないものは通貨ではない、現実のものとしては認識できない、そういう人で溢れてしまっているのでしょう。私のつぶやきで変わる訳ではありませんが、令和のコロナ禍で、こうしてつぶやいている人間、物好きな人間がいたことを、後世においてつぶやいてくれる人が一人でもいることを期待しましょう。
 ところで、今日の新聞の朝刊に出ていたのですが、陸上では、短距離と長距離では走り方が違うそうで、遅い人でも速く走れるようになる練習(技術)があるとか。ゴルフでも遠くに飛ばすための技術と、コントロールして打つ技術は違う訳ですが、以前、ご案内した本の中に、ゴルフのスイングは2通りしかないとして、飛ばすスイングをS、パターを使ってカップに入れる打ち方をPとした理論を展開した方がおりました。また、スイングの基本を身につけるには、ハーフスイングしかないとする指導者もいますし、スイングのメカニズムというのは、もしかしたら案外簡単なことなのかもしれません。
 先日以来、林達夫さんの「思想の運命」を引用して、つぶやきでもご案内しましたが、アマチュアというのは、色々と分析し、そして理論を構築したりするというよりも、味わうことが一番大切なのですが、どうも、人間の脳の悪い癖なのでしょうが、知らず知らずのうちに分析・解釈しだすんですねえ。つまり、出来もしないメカニズムを理解しようとするという悪癖に陥る訳です。そしてこれも悪癖なのでしょうが、アマチュアであるが故に、自分でみつけた「真理」を普遍的な真理だと思い、それを否定されることには我慢がならないというか、そういうまあ、頑なさ、頑固さによって、上達が阻害されている傾向もあるように思うのであります。
 前にも書きましたら、ゴルフに限らず、自分が本当に好きなもの、良いものというのは、やっても楽しい、観ても楽しい、そして本を読んでも楽しいものだと思うのですね。自分の置かれた環境の中で、何が自由に出来るかと考えると、私の場合は、読書とつぶやきになる訳のですが、考えるために読書したし、あるいは、書いているうちに本にあった考えが浮かんだりして、鶏と卵ような関係がこのモンターニュのつぶやきと読書の関係なんでしょう。なお、ゴルフの本のリストはご案内しましたが、一流、超一流の人が書いた、あるいは、そうした人について書かれた本はなるほどなあと思う箇所が随所にあるのですが、どうしてかその理由は必ずしもはっきりしませんが、日本人の書いたゴルフの本よりも、外国人が書いた本の方が深みがあるように思うのです。言語の問題なのか、外国人の書いた本は、奥行きというか、構造的に理解を促すような文章が多い気がします。特に、ハーヴィー・ペニックの本は名著でありますが、今、シェール・イエンハーゲル著山本光伸訳「クォンタム・ゴルフ 究極のゴルフ上達術」春秋社を再読しているのですが、どこか世阿弥の精神を感じるというか、ゴルフの幽玄さを思い出
させる、そんな本です。
 指導者として世界的に知られたペニックさんは、ゴルフスイングはリズムであると言いますし、イエンハーゲルさんもゴルフスイングは踊るように振ることであると言います。スウェーデンの方ですから、能には造詣はないかもしれませんので、バレエのように踊ると言っているのでしょうが、私風に言えば、舞うことだと思いますね。舞うようなスイングが出来れば、スイングは完成で、でも、アマチュアの真骨頂は味わうことですから、如何にして十二分に味わうかは、自分なりに考えて、工夫して生み出していくしかないのでしょう、人生と同じように、無から有を生み出すように。そこがゴルフをする真の意味であると、私は思っていますが、世阿弥の「風姿花伝」の「秘すれば花なり、秘せずは花なるべからず」の言葉ではありませんが、私は隠すこと、秘することが出来ていないので、花になるのが難しいのかもしれません。
 昨日のつぶやきは言語に関するものでしたが、言語は私の研究対象でもありますので、本当はEtudeにした方が良かったのですが、今日は、その続きのようなものではありますが、Etude(30)として「様々な思想家の表現形態」をご参考までに添付いたします。では、失礼を。


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