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Etude (19)「真の孤独を知るために」

[執筆日 : 令和3年3月28日]

「教育の最高目的は、天才を養成する事である。世界の歴史に意義あらしむる人間を作ることである。それから第二の目的は、かかる人生の支配者に服従し、かつ尊敬する事を天職とする、健全なる民衆を育てる事である。(中略)教育の真の目的は、「人間」を作ることである。決して、学者や、技師や、事務家や、商人や、農夫や、官吏などを作ることではない。」

「人には誰しも能不能のあるもの。得意な学科もあり、不得意な学科もある。そして得意な学科には自ずと多量の精力を注ぐものであるのに、一切の学科へ同じように力を致せと強うる教育者、ーツマリ、天才を殺して、凡人という地平線に転輾っている石魂のみを作ろうとする教育者はないであろうか。如何。(中略)日本の教育は、凡人製造をもって目的としている。日本の教育は、その精神において、昔の寺子屋よりも劣っている。日本の教育は、人の住まぬ美しい建築物である。別言すれば、日本の教育は、「教育」の木乃伊である。天才を殺す断頭台である。我等の人生と無関係な閑天地である。そして、日本の教育者は、一種の社会主義者である。貨幣鋳造者である。」

「諸君、我が林中を過ぎる凩も、氷れる枝々に見えざる刃を磨いでいる。冬は厳粛なる思索の時、心の刀を研ぎ磨く時である。予はこの雪の林に埋もれて、寒さに痛む痩骨を撫で啜りながら、遥かに諸君の健康を祈っている。」
        「林中書」盛岡中学校交友雑誌 第9号 明治40年3月1日

 以前、Etude (1)「覚醒の時」、及び (2)「自己を語るために必要なものとは」で言及しました石川啄木ですが、冒頭の文章は、石川啄木の「時代閉塞の現状 食うべき詩」(岩波文庫)に収録されている、盛岡中学校(現在の盛岡第一高等学校)交友雑誌に寄稿文として掲載された手紙、「林中書」にある啄木の教育に関しての抜粋です。
 公的な教育は、明治以来、国家の要請に従った、国民が国家に役に立つための能力の向上、底上げのためのものでありますから、画一的ならざるを得ない面はありますが、天才を特別に養成し、その天才に他の者を服従させるというのは、今の世の中では、時代錯誤的でもあり、かつ政治的(民主的な意味合いで)にも受け入れられることはないでしょう。
 また、特別な能力のある若者を育てる、あるいは、特別扱いをすることが出来るかどうかは、個々の学校に委ねられるでしょうし、国として、エリートを育てる特別の機関を新しく創設するというのも、現状では難しいでしょう。国家予算的に、教育にこれ以上の新たな財源を割くことも、また、人材を充てることも難しいように思えます。まして、少子化が進めば、学校経営は益々厳しくなり、新機軸を打ち出す余裕もないでしょう。
 日本の将来において、教育の問題は大きいことは解っていても、具体的な方策が出てこない日本で、本当に、ポストコロナ禍において、日本の明るい展望を開くような教育が出来るのか、心配でなりません。投資効果の高い分野に本来予算を充てるべきでしょうが、高齢化社会においては、所謂生産性の上がる分野への予算投入よりも、まさに守成のための予算(医療、社会福祉、そして災害対策、防衛等)で首が回らないということでありますし。

 さて、石川啄木のことを知ることは、何が意味があるかと考えると、少なくとも、彼が生きた時代の日本を多少知ることが出来るということ、そして孤独というものがどのようなものであるかに繋がります。松田道雄は「解説」で、啄木の思想は「秋風記」に書かれているとして、啄木ば、人生には「自己発展の意志」と「自他融合の意志」という2つの欲望があると述べ、前者は今の言葉で言えば、個人の自由であり、後者はその自由を無制限たらしめないものとしての社会的連帯になる、啄木は、天才の資格とした「総合的個性」を達成するために、自由を真の自由にするために、「敵」は示したものの、その敵と連帯して戦うべき、自他融合となるための盟友を見いだせなかったのではないかという意味合いのことを述べております。つまり、啄木は、孤立無援であったということです。
 啄木が掲げた理想としての天才を生むための教育においてもそうでしょうが、理想とするものを実現するには、それに共感・同調し、そして仲間として協力してくれる者の存在が不可欠でありましょう。その点で、啄木はロシアのナロードニキの若者に盟友を見出したようではありますが、日本においては、残念ながら、見いだせなかったということなのでしょう。
 啄木は孤独だったでしょうね。26才という若さで亡くなるのは、物質的な貧困のせいだけでは説明できない、何かもっと深い精神的、思想上の苦悩、苦しみがあったのでしょう。その苦しみを、しかしながら、今の私には想像も、理解も実は出来ないと思うのです。なぜなら、私は啄木の味わったであろう、孤独感というものを知らない(経験していない)からです。勿論、今のところという留保は付きますが。彼の詩には、そうした彼の言葉でしか表現しえないような、孤独な魂が描かれていると感じます。彼は、当時の日本においては、教育者にはなれなかった人間ではあったかもしれないけれども、しかし、詩人ではあった、そんな気がします。
 彼が抱いたであろう真の孤独というのは、どういう状態なのでしょうか。身内や友人、同僚、そして世間からも見放され、神や仏からも見放された、孤立無援の状態なのでしょうか。自然の摂理により、自分が愛する人にも、また自分にも死は間違いなく訪れるわけで、語る相手のいない、沈黙の世界に人は多分長くは生きられないでしょう。が、しかし、もしも語る相手がいるならば、まだ孤独ではないのではないかと思うのです。思うというか、そう想像するのです。語る相手というのは、何も肉体を有して生きている存在としての人ではなくても良いわけです。花でも、鳥でも、或いは月でも太陽でも良い訳です。そう考えると、私はまだ啄木のようには孤独ではないな、と思うです。それは、家族もあり、そして、多くはないけれども、友達もいるし、特にゴルフ友達がそうですが、そして、何よりも、今こうして、語ることが出来る人がいるし、その源泉としての本という最良の友がいるということであります。ちなみに、最近、私の徒然エチュードを私以上に深く読んでくれている人の存在にも気が付きました。

 啄木の詩は、生活の苦しみが滲んだ詩でありますが、孤独というものを教えてくれる、そんな詩の様に思っていますが、彼は「弓町よりー食うべき詩」で、詩について、そして詩人のあるべき資格等を、以下のように述べています。彼の言わんとすることが、果たして盟友者を見出したのかどうなのか。多分、それが詩人としての彼の後世における、つまりは今の評価になるのではないかと思います。残された言葉から、啄木が言わんとしたことを想像することが、多分、詩の理解の始まりではないかと、素人ですが思っています。

「「食うべき詩」とは電車の車内広告でよく見た「食うべきビール」という言葉から思いついて仮に名づけたまでである。謂う心は、両足を地面(じべた)に喰(く)っ付けていて歌う詩という事である。実生活となんらの間隔なき心持をもって歌う詩ということである。珍味な御馳走ではなく、我々の日常の食事の香の物の如く、然し我々に「必要」な詩ということである。」
「詩人たる資格は3つある。詩人はまず第一に「人」でなければならぬ。第二に「人」でなければならぬ。第三に「人」でなければならぬ。そうして実に普通人の有(も)っている凡(すべ)ての有っているところの人でなければならぬ」
「即ち真の詩人とは、自己を改善し、自己の哲学を実行せんとするに政治家の如き勇気を有し、自己の生活を統一するに実業家の如き心を有し、そうして常に科学者の如き明敏なる判断と野蛮人の如き卒直なる態度をもって、自己の心に起り来る刻々の変化を、飾らず偽らず、極めて平気に記載するところの人でなければならぬ。」
「詩はいわゆる詩であってはいけない。人間の感情生活(もっと適当な言葉もあろうと思うが)変化の厳密なる報告、正直なる日記でなければならぬ。従って断片的でなければならぬ。―まとまりがあってはならぬ。(まとまりのある詩即ち文芸上の哲学は、演繹的には小説となり、帰納的には戯曲となる。死とそれらの関係は、日々の帳尻と月末もしくは年末決算との関係である。)そうして詩人は、決して牧師が説教の材料を集め、淫売婦が或種の男を探すが如くに、なんらかの成心を有ってはいけない。」
「我々の要求する詩は、現在の日本に生活し、現在の日本語を用い、現在の日本を了解しているところの日本人に依って歌われた詩でなければならぬということである」

(了)

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