モンターニュの折々の言葉 352「アプサン」 [令和5年3月30日]

「春、ティパザには神々が住み、彼らは日向の中で語り、そこにはニガヨモギの香りが満ち、海は銀色の鎧の光で輝き、一点の雲もない青い無垢の空が広がり、花々に覆われた遺跡がある。そして、陽光は石塊の間で激しく煮えたぎる。」

カミュ「ティパザの婚礼」

 今日も朝はゴルフ練習場に。この数ヶ月の練習やラウンドで、スイングの何かが変わってきたのですが、それは、かつて70台を出した頃に感じていた、身体とクラブの一体感を思い出したということがあるかもしれません。

 不調の時は、例えばですが、テークバックするとき、自分はクラブを持っている、あるいは握っているという感覚があるのです。特にそれは、トップにおいて顕著。一瞬の間があるトップですが、この時に、クラブがそこにあるなという感じがあるのです。ところが、毎回毎回できる訳ではないのですが、ティショットも、アプローチショットもですが、そのトップの時に、クラブが存在していないようにスイングして打てることがあって、そうすると、ものの見事に、狙った場所にボールが飛んでいくのです。ある筈のクラブの存在を感じずにスイングしたら成功するという経験があって、身体とクラブが融合し一体となったスイングが理想なんだろうと思って、今はそのスイングを身につけようと練習しております。

 技術的なことを申しますと、釈迦に説法ですが、テークバックの際に、上半身の左から右への移動を水平的な平面的な動きをするようにするのも一つですが、これだと、トップの際に、クラブの存在が気になります。気になるというか、クラブの存在を感じる訳です。クラブの存在を感じないようにするには、春巻きか餃子の皮を巻くように、上半身を内側に巻いていくイメージで移動すると、これが不思議なことに、クラブを意識しないのです。何故なのかなあと考えると、それは人間の一番大きな筋肉である背中の筋肉を活用したスイングになっているから。そのためには、肩・腕・手とクラブが一体化していないといけません。それぞれのパーツが好き勝手に、バラバラで自由に動いていては、いつまでもスイングもバラバラで、クラブの存在に悩まされ続けるでしょう。なお、この話は、平均100を切るゴルファーには妙薬になるかもしれませんが、100を切れないゴルファーには、毒になるかもしれませんので、ご注意願います。

 ところで、昨晩、家内が行ってみたい店があるというので、お付き合いを。店は、門前仲町駅から清澄白河方面に5分弱歩いたところにある、「かまびす」という店。なんでも、蒸留酒を飲ませてくれる店で、料理も美味しいという触れ込みで、花より団子の私としては、行かない訳にはいかない。蒸留酒では、焼酎は某先輩が好きで、私もお相伴に預かることもありますが、基本、殆ど知らない。沖縄の泡盛は知っているけれども。

 ここの店では、ジンをベースにしたお酒を提供しているのですが、一場鉄平さんという方が虎門蒸留所で造ったコモンジンがそれ。色々な果物や花を調合した、香りを楽しむお酒という感じがしましたが、最初に二人ともベーシックなコモンをいただき、その後で、ギンバイカという知らない花のジンと、レモンと柚香のジンを頂いたのですが、ギンバイカの花、そして柚香も初の出会いでしたが、未経験的な香りと味でした。

 その後、日本酒も飲みたいということで、私は飲んだことがなかった奈良の酒、「森の風」を。二種類の「森の風」を頂いたのですが、いやあ、こんな日本酒があったんですねえ。感銘というか、感動しました。

 「かまびす」はワインの専門の店ではないのですが、日本酒とはいえ、この「森の風」は、ほぼワインのような香り、風味、そして余韻があるのです。日本酒は奥が深いなあと。で、最後の締めに何を飲もうかなあと、思案しながらも、飲み物リストにあって、気になっていたのがアプサン。ラベルには、「青いアプサン」とありました。

 禁断の酒、飲むと幻覚症状が出るとされる、魔性のハーブ酒ですが、ヴェルレーヌ、ゴッホ、ロートレックが愛飲したのがアプサン。ラテン語名はabsinthiumですが、仏語ではabsintheで、発音はアプサントゥ。「不在」の状態を表すフランス語は、主語が男性の場合はアプサンabsent、女性の場合はアプサントゥabsenteになりますが、アプサンに入っている薬草は、ニガヨモギ・アニス・フェンネルで、ニガヨモギの花言葉は「不在」。飲むと意識が不在となることなんでしょう。

 ソーダなどで割って飲むのが一般的なようですが、どうしても生の香りを、味を知りたいと思って、小さな細長いグラスに原酒をついでもらい、ネクターのような液体に鼻を近づけて香りを嗅ぎ、そして口に入れたのです!

 それはもう甘露、甘露でした。高級なフランスのコニャックを頂いたような舌触りでして、やはり生は美味いなあと。味は、そう、私の語学研修地でもあった南仏の、セット、モンペリエ、マルセイユといった地中海沿岸の都市でよく飲まれていたパスティスのような味わい。パスティスは、アプサンが危ない酒ということで、その代用品的に生まれた酒のようですが、材料が違います。パスティスも薬草リキュールですが、アニス、そしてリコリスという薬草が入っていて、リコリスという薬草が入っていないとパスティスとしては認められないようです。水でわると乳白色に変わります。

 ニガヨモギが幻覚症状を引き起こす危険性もあったとされるアプサンですが、度数も58度位ありましたので、そんなには飲めないのですが、最後に少しだけ残して水を入れたら、青みがかった乳白色に変わったではありませんか。アプサンを飲みながら、私の心は地中海沿岸の都市に飛翔したのです。なお、この店の料理は、蒸留酒に上手くマリアージュしていて、蒸留酒が好きな方、そして美味い料理を一緒に味わいたい、そして懐がそれなりに暖かい方がおりましたら、何時でもご案内いたしますので、ご遠慮なく。ご参考までに、ネットに出ていた紹介サイトを一つ入れておきます。なお、懐が細くて、淋しいにも拘らずの大酒飲み、大食漢の方には適しません。単価がやや高く、量も少なめですので、念のため。 https://www.rice.press/eat/17527

 フランスの飲み物の次は、食べ物ですかね(笑い)。日本人の食感というのは、お米やお餅で育まれているせいか、パンでも、モチモチ感のある、柔らかい、湿潤というか、水分を含んだ感のあるのが好きなのではないのかなあと思うのです。日本人のパン作りのレベルは、技術としては世界一レベルでありましょうが、日本人の食感というのが果して、巷で言うほどに世界のスタンダードなものになるのかどうかはわかりません。

 というのも、これだけ雨が多くて、湿潤な気候ですと、何を作っても、直ぐに湿気ってしまいます。所謂パリパリ感のある物を日常的に食べるのは難しい訳です。日本で美味しいと思うパンは、どちらかと言えば、モチモチ感がある食パンとか、パンはパンでもドーナツのような、甘いパンではないのかなと。

 週に一度、家でフランスのブランド名のフランスパン、フランス語でバゲットbaguetteを食べるのですが、どうもいけません。ちょっと時間が経つと湿気っけてきて、パン本来の旨さが逓減する気がします。フランスで食べたバゲットは本当にパリパリで時間が経っても美味しかったのに、日本で同じブランドのパンを食べても、美味しさが違うのです。ただ、北海道で食べた(「ウインザー・ホテル」だったかな)クロワッサンは美味しかった気がします。本州に較べて湿度が低いせいなのか、それとも、製造過程でバターをたっぷり使うからなのか、その辺はわかりませんが。

 何を言いたいかと申しますと、同じパンでも、それは似て非なるものを食べている可能性があるということ。お菓子、パティシエの場合は、多分、フランスのお菓子と日本のお菓子はパンほどの違いはないでしょう。それ故か、日本人のお菓子作りの職人さんが世界のお菓子のコンクールで優勝したりしていますが、パンは難しいのではないかなと。パンづくりは、日本酒とか、豆腐作りにも似ていて、自然環境に大きく影響を受けるのではないかと思いますが、日本人の食感や味覚にあったパンを作っているのは間違いないので、これはこれでよろしいけれども、フランスでパンを食べたことのない日本人が、日本で売られているフランスパンを食べて、これがフランスパンだと思われるのはちょっとどうかなと思うのであります。

 それはワインも同様ではないかなあと。かつて、ワインは移動すると味が変わる、落ちるとされていたのは、船で運び、赤道を何度も通過すると、劣化するのが原因と言われてきましたが、昨今は飛行機で運ぶのでしょうから、その心配は少ない。しかしながら、ワインを堪能するには、適切な空気調整が必要であります。フランスの土壌で生まれたワインが違う土壌の日本に持ち込まれると、そうそう簡単に日本の空気には馴染めません。ワインは頑固と言えば頑固なもの。それは文化の一面でもありますが、コルクを開けて、フランスの空気に触れたなら、それは正しくフランスワインになるでしょうが、日本の空気に触れた瞬間に、フランスワインは日本ワインに早変わりするのではないかなと。
 どうもいけません、無い物ねだりばかりして。しかし、こうしたことは、言葉が個人個人で意味合いを異にするということでもあります。言葉は一様ではないでしょう。経験を通してこそ、言葉は本来の役割を果たすのではないかと。アプサンを飲んで直ぐに思ったのは、カミュの「ティパザの婚礼」の一節にある「ニガヨモギ」。拙書「カミュを追って」でもアルジェの郊外にあるティパザのことは書きましたが、ティパザをこよなく愛したカミュの言葉にある「ニガヨモギ」というのは、彼自身がもしかしたらアプサンを常用していたことを暗示していたのではないのかと。飲んで、幻覚を見ながら、あの文章を書いたとは申しませんが、孤独で、辛い、シーシュポスのような人生、たまには幻覚も見たくなるでしょう。

 お酒が飲めない人は、アプサンとは違うもので幻覚を見るのかもしれませんが、ジン→アプサン→アルジェと、あたかもシンクロニシティのような話にもなるかもしれません。フランスやアルジェリアに縁のある方から、お便りが届くかもしれないなあと、期待しながら、今日もああでもないこうでもないないとつぶやくモンターニュでございます。失礼しました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?