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4月8日はお釈迦様の誕生日|花まつりの思い出

 僕の通った、お寺に併設された保育所では、座禅会が開かれた。

 先生につれられて、お寺のお堂へと向かう。履き物を脱ぎ、整然と並べられた座布団に座る。静かな時間が流れる、うららかな春の1日である。

 住職であり、普段は優しい笑顔のたえない園長先生も、このときばかりは真剣な表情で警策きょうさく(修行者を打つための棒)を構えている。怖い。鐘の合図でお腹の前に印を結び、僕はそっと目を閉じた。

 すると、離れた席から、警策を打つ音が聞こえてくる。自分の鼓動と、園長先生の足音が、だんだん々、大きくなって近づいてくる。

 ビシッ。誰かが打たれた。

 板張りの床がゆっくりときしむ。

 また一歩、足音が近づいてきた。

 居ても立っても居られなくなり、こっそりと目を開ける。周囲の友達はやはりかしこまって座り、神妙な面持ちを見せていた。お堂に差し込む、日の光がまぶしい。

 ビシッ。また響く。

 そして警策が、僕の右肩にそっと触れた。ついに自分の番が回ってきたのだ。

 印をとき、胸の前で合掌する。警策をいただくために、頭を左に傾ける。緊張しきっている僕は、つい合掌した手まで頭と一緒に傾けてしまう。

 ビシッ——。

 するどく、しかし優しく肩を打たれた僕は、合掌のまま礼をして、また印を結ぶ。次第に鼓動も足音も遠いのてゆく。鐘が鳴ると、足を崩した。

 幼児がおとなしく座っていられる時間など、知れたものだろう。しかし、当時の僕にとって、それはとんでもなく長い時間で、正直なところ、座禅の意味なんて分かるはずもなかった。

 にもかかわらず、近づいてくる恐怖とたいくつな時間に耐えれれたのは、後にご褒美をもらえるからである。

 4月8日は特別な日——お釈迦様の誕生日を祝う〈花まつり〉である。甘茶と、お菓子が配られるのだ。

 花まつりを甘茶で祝うのは、お釈迦様が誕生したとき、天界の九頭の龍があらわれ、頭に甘露の雨を注いだとの言い伝えに基づくものだ。そのことを僕たちは園長先生の紙芝居で教わった。

 が、当時の僕はそんな難しい話より、甘茶が何よりの楽しみであり、「毎日だしてくれればいいのに」と、その甘味のとりこになったのだった。

 キリストの誕生日も、それはそれは尊いものであるけれど、4月8日、お釈迦様の誕生日も、甘茶の思い出も相まって、僕にとっては身近で尊い1日である。

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