春の終わりの金剛山へ

 ウグイスのさえずりもだいぶこなれてきた。

 平地の桜がすっかり散った今、さえずりは完成の域に達している。大切なパートナーを呼びこむためのものだ。ウグイスもきっと、練習を積むのだろう。

 美しい歌声に耳を傾けながら、階段の続く尾根道を登ってゆく。

 よく晴れた4月のとある日、大阪と奈良にまたがる金剛山を妻とふたりで訪れた。

 金剛山の最高峰は1,125mで、葛木岳、湧出岳、大日岳の三峰からなる。関西で一二を争う人気の山といってもいいだろう。四季を通じて大勢の登山客が訪れ、そのにぎわいは「東の高尾山、西の金剛山」と称されるほどだ。

 平地の気温はすでに夏日を記録するほどに暖かくなってきた。そろそろ低山テント泊の季節である。今年初めてのテント泊に、金剛山の山上にある「ちはや園地」を選んだのだった。大阪で、もっとも標高の高いキャンプ場である。

 金剛登山口バス停に着いたのは、朝10時をまわったころだ。ずいぶん遅い到着だが、何せ山頂までのコースタイムは1時間30分しかない。そこから幕営地までも1時間あれば十分だ。お気楽コースなのである。バス停に着くやいなや、ちはや園地に電話し、本日の予約を取る。「十分あいていますよ」ということだった。

 山は新緑の季節を迎えつつある。

 鮮やかな若葉が、風に揺られてきらきらと光る。

 汗が吹き出す体を、尾根に吹く風が冷ましてくれる。

 初夏の訪れだ。

 尾根をゆく途中、初老の男性ハイカーに出合った。真新しい、青いバックパックに青いパンツ、白の山シャツの、まとまったコーディネイトがよく似合う。休憩されていたところを「こんにちは」と声をかけて追い越した。

「いやぁ、若い人は体力がある」汗をぬぐう表情が、少しつらそうだ。

「いえいえ、お父さんこそ」

 こんなやりとりは、普段、挨拶代わりに天気のお話をするようなもの。山でのよくあるワンシーンである。

 登山道を登り切ると、山頂広場は数十名の登山客でにぎわっていた。

 10分おきに撮影される「金剛山ライブカメラ」に写ろうと、グループが次々と山頂看板の前に集まってくる。広場にいくつもあるベンチやテーブルはほぼ満席で、その周囲をエサを求めるキジバトがうろついている。ここからは遠く六甲山の山並みや淡路島を一望できるのだが、眺めには白いモヤがかかっていた。

 広場には立派なヤマザクラが咲く——といっても開花はまだ先で、5月初旬に見頃を迎えるという。赤い若葉の芽生える枝に、これから咲こうとするつぼみの姿が力強い。ヤマザクラの木の下のベンチで、昼食をとる。

 葛城神社を参拝し、その裏手の斜面にある、鳥のエサ場に向かった。

 それはちょっとしたブナの林に囲まれた、10名ほどでうまってしまう小さなスペースで、これまた小さなエサ台がひとつ、ひっそりと備えられていた。葉の落ちたブナの枝に、ヤドリギが芽生えている。斜面からの視界は開け、その先に広がるのは葛城山の眺望だ。

 数名のハイカーがエサを手にして野鳥を待っていた。僕らもそれにまざると、予想以上の種に出合えた。

 ヤマガラ、コガラ、シジュウカラ、ゴジュウカラ、ソウシチョウ、カケス。

 手のひらにナッツを砕いて載せる。

 そして手を空に突き出す。

 自分は大木にでもなったつもりで、動かずに、静かに待つ。

 と、ヤマガラが手のひらに飛来し、ナッツをひとつつまんで、すぐに飛び去った。

 コンマ数秒の、一瞬の出来事だったが、ヤマガラの足が僕の指をしっかりとつかむ感触が温かく残っている。そう、手のひらに乗るのではなく、指につかまるのだ。

 ついでコガラやゴジュウカラ、シジュウカラもやってきた。カラ類は人懐っこい。

 すぐ目の前の木に、キツツキの仲間が現れた。頭に赤い模様がある。

「アカゲラですかね」居合わせた、カメラを構えたハイカーに尋ねられた

「いや、アオゲラでした。羽根が緑色でしたから」

 双眼鏡を構えながら答える僕。カメラのファインダーより、観察にはやはり双眼鏡である。

 ウグイスの、生の姿を生まれて初めて見れたのも幸運だった。

 さえずりは有名で、誰でも聞いたことがあるだろう。が、ウグイスはヤブの中で鳴く。声が聞こえても、なかなか姿が見えない。野鳥を待ちながらふと視線を上げると、たまたま高木の枝を移動しながらさえずっていたところを発見できたのだ。

 図鑑どおり、ウグイスは褐色の地味な色だった。図鑑と見比べながら、僕は「うん、うん」と納得したのだった。

 ちはや園地に着くと、受付に申込用紙と水道の鍵が用意されていた。

 ちはや園地にはピクニック広場があり、かまどと水道を備えた炊事棟が3つ、バンガローがふた棟に、夏季限定の常設テントサイトもある。持ち込みテントサイトは20以上の区画があり、山上の、広々としたキャンプ場である。

 本日のサイトは「A-16」。イロハモミジとヤマザクラに囲まれた、美しいサイトだ。設営を済ませ、のんびりしていると管理人がやってきた。

「今日は貸し切りですから、ゆっくりしていってください。16時以降、私はおりませんが、万一のときは管理棟を開けていますから」

 星と自然のミュージアムを見学し、それから夕食を始める。

 白く可憐な花を咲かせるコブシの木の下のテーブルで、餃子やスパムステーキをのんびり焼きながら食べる。その間も、食事の匂いを嗅ぎつけてか、人慣れたヤマガラやキジバトがしきりにテーブルにやってきた。

 そうしているうちに陽もずいぶんと西に傾き、まだ18時だというのに眠くて仕方がない。早々に寝床に着いた。

 目が覚めると、テントの生地が太陽の光で明るく透けていた。

 それになんだ、この野鳥の大合唱は。

 一瞬、キャンプ場のスピーカーから、録音したさえずりを目覚まし代わりに流しているのかと思えた。しかしそれは、野鳥が繁殖期を迎える春〜夏の早朝にかけてしか味わえない、まぎれもない生のソングシャワーだったのだ。まるでコンサートホールで大迫力のゴスペルを聴いているかのようだった。

 ウグイスやメジロの美声によいしれながら、時計を見ると5時30分。6時にセットしたアラームは必要なかった。

 今日は雨予報だ。

 朝食を食べ、降られる前に撤収を済ませて出発する。

 伏見峠から林道をいっきに下り、朝一番のバスで帰路についた。

旅のデータ

  • 標高:1,125m(金剛山・葛木岳)

  • 距離:約6.5km

  • コースタイム:約4時間

  • コース:金剛登山口バス停→千早本道→金剛山山頂広場→葛木神社→ちはや園地(1泊)→伏見峠→念仏坂→金剛山ロープウェイバス停

  • アクセス:行き・南海電鉄「河内長野」駅から南海バス「金剛山ロープウェイ前」行き⇒「金剛登山口」下車|帰り・「金剛山ロープウェイ前」より南海バス⇒南海電鉄「河内長野」駅へ

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