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学生時代、競技ダンスペアを組んでいた君へ

 最近、先輩と飲むことがしばしばある。そこでは、ほぼ必ず君の話が出るんだ。社会に出てからそれなりに忙しくて君を思い出すことなど滅多になかったけど、いざ思い出してみると結構懐かしい。これが回顧厨ってやつか。

 最後に会ったのは僕らが卒部した時だから、もう3年以上経ったことになるね。こうして先輩方と飲む機会がなければ、君を思い出すこともなかったんじゃないかな。せっかくだから、君への感謝をつづっていこうと思う。

 ※誤解のないよう、読者の皆さんへ一言。僕は宛先の彼女に対して、恋愛関係になったことや、恋愛感情を抱いたことは一度もありません。ただの一度もです。未だに勘ぐってくるソ野郎がいますが、ソイツは本当にソです。真に受けないでください。

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改めて、拝啓 現役時代、僕と競技ダンスペアを組んでくれていた君

 競技ペアを組んだのが2年生の夏。僕と君が組む、という先輩方の決定を聞いた時、僕は正直言って驚いた。

 僕は当時、お世辞にも優秀な選手じゃなかった。さらに、部活動にそこまで真摯じゃなかった。週に3回ある部の練習会に加えて自主練は週に2回程度。毎日練習するなど、考えたこともなかった。

 一方君は、技術も身体能力もガッツも同期の中では頭一つ抜けていた。更に僕と組む前から週5回、更には練習会の前後の時間すら自主練に傾けていた。練習会中も誰より積極的に先輩を捕まえ、指導を受け、どんどん上手くなっていく。

 そんな君が僕と組む。先輩方の決断とは言え、何故なぜ?という感情しか湧かなかった。

 

 そう。僕はこの時、よし!頑張ろう!とは思わなかったんだ。え?ああそう…としか思わなかったんだ。君と組む、ということの本質に目を向けず、ただ流されていた。結果、練習の頻度も増えず、そのくせ、「4年の冬全で決勝に入りたいなあ」などと呑気にほざいていた。

 憧ればかりが先行して、行動が伴わなかった。自分だけでなく君に対しても競技者とて責任ある立場になったという自覚すら持たずフワついていたんだ。

  組んでからも僕たちはあまり戦績を出せなかった。部内戦でもレギュラーの座を獲れなかった。今にして思えば当たり前だ。

 君の焦燥しょうそうはどれほどのものだっただろう。同期の中にも既に抜きんでた実力を持つペアはいる。当然、彼らは毎日練習している。1学年上の先輩をごぼう抜きにし、レギュラーの座を勝ち取る同期もいた。

なんでこんなヤツが私のリーダーなんだ。もっと上手いリーダーと組めたら、もっと熱意のあるリーダーと組めたらもっと勝てるのに。

 当時の君の気持ちを勝手に推し量るなら、こんなとこだろうか。無理もない話だと思う。

 

 僕が敬愛するnote作家の猫山課長は、「シャバ僧」という言葉を多用する。平たく言えば「ライフステージの変化やそれに伴う責任の増加といった事象を直視せず、いつまでも責任のない若者でいたいと願う愚か者」といったところだろうか。(あくまで僕の個人的解釈)

 当時の僕は、まさしくシャバ僧だった。

 君が僕に愛想をつかすのも当たり前だった。

 

 2年の秋。天野杯。僕らは1次予選で敗退する。その場で君は僕に「退部する」と告げてきた。

 さすがに僕は慌てた。僕に辞めろ、と言うのであればまだしも、君が辞めるというのは尋常ではない。1ヶ月近く話し合いを重ね、たくさんの先輩がとりなし、君は何とか退部を思いとどまってくれた。

 しかし、あの時、君が僕に涙を流しながら吐き出した悲嘆・絶望・同期への嫉妬etc.の感情の数々は、僕に自分のシャバ僧ぶりを痛感させるには十分だった。

自分は変わらなければいけない。
今の自分では絶対にダメなんだ。

 そう猛烈に自覚できたことで、僕の中に覚悟が生まれた。

 そうして始まった練習の日々。はっきり言って地獄だった。鬼教官モードの君は、高校剣道部時代の顧問より恐ろしかった。練習中にミスをすれば、君は大きくはないが恐ろしく冷たい声音で鋭く斬りつけてきた。
 技術で君に劣る僕は、米つきバッタのように頭を下げるより他、術を知らなかった。

 

 それもこれも、自分がこれまで競技ダンス部という競争社会で自分を追い込んでこなかった、怠けていた証だ。君への罪悪感というのももちろんあったが、このままではいけないという危機感が、ともすれば逃げだしそうな僕を、君の面前に踏みとどまらせ続けた。


 その甲斐あって、3年になる頃、僕はようやく君に追い付いた。仲が良いわけではないが、荒削あらけずりながらも「戦友」といえる間柄だった。

 先輩に、「お前らの踊りは、踊りというより格闘技だ」とよく言われた。練習中、勢い余って君の頭突きを食らったこともある。僕はたまらず崩れ落ちた。気絶まではしなかったけど。

  競技会の戦績は相変わらず振るわなかったけど、思えば、あの頃が一番楽しかったかもしれない。


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 しかし、3年の後期。君の国家試験勉強が始まってしまう。2年の頃と比べ、君は練習ができなくなった。競技会出場は何とかなったが、そのための練習がほぼできなくなった。

 もともと聞いていた話だから、覚悟はしていた。君の分も僕が上手くなって、表彰台に2人で上がってやる。そう決心して僕は今まで以上にダンスにのめり込んだ。
 もちろん、毎日1人で練習した。ドヤ顔をしたいわけじゃなく、本当に自然な行動だった。君の影響だった。


 ところが、今度は君のやる気が無くなってしまったのだ。僕がどれほどショックを受けたか、君は分かるだろうか。

 練習頻度が落ちたことによる覇気の低下、などではない。まるでダンスが嫌いになったかのようなふて腐れ方。挙げ句、練習で顔を合わせる僕へ謎の嘲りをぶつける。それは日に日にエスカレートした。

 

 僕は困惑した。僕が何か悪いことをしたのだろうか。部活動にフルコミットしているからといって偉ぶったつもりもないし、練習ができずにいる君に嫌味を言った覚えもない。

褒めてもダメ。

なだめてもダメ。

すかしてもダメ。

何をやってもダメの八方塞がりだった。

 

 そうこうしているうちに僕も心がささくれ立ってくる。君に怒りをぶつけることに遠慮がなくなっていった。女の子に面と向かってキレるなど愚の骨頂だが、歯止めが利かなくなっていった。

 僕と君の間には、いつしか修復不能な溝ができていた。
 これは部活を引退するまで、ついに変わらなかった。


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 社会人として年月を重ねた今、先輩方は「お前はよくやった。当時の戦績はお前のものだ」と言ってくださる。当時の自分を見ていてくださった、覚えていてくださったと思うと本当に嬉しい。言っていただいた時、涙をこらえるのが大変だった。

 ただ、僕自身が当時をどう振り返るべきか、というと疑問が残る。

 確かに君がやる気を失ってからというもの、僕は孤独な闘いを強いられた。僕には、レギュラーの座を死守するのがやっとだった。

 正直、競技会で他の同期が華々しく活躍しているのを見て、気が狂いそうだった。僕と同じく、負けたはずの君がさっさと競技用衣装からスーツに着替え、ヘラヘラしているのもそれに拍車をかけた。

 

 そんな折、4年の秋東部でタンゴが11位にランクしたことがある。学連の公式戦に限れば、賞状獲得という可視化された戦績を収めたのは、後にも先にもこれだけだ。
 トータルで見れば大した戦績ではないかもしれないが、準決勝進出を知った時、僕は涙が止まらなかった。結果をいち早く教えてくれた後輩にすがり、人目もはばからず泣きじゃくった。

 もちろん、賞状がもらえる、という事はシンプルに嬉しい。しかしそれ以上に、僕はほっとしたのだ。

 今だから言う。当時、僕は自分が最後まで賞状獲得、つまりは競技会入賞というものを経験できずに学連を引退することを覚悟していた。

 4年生というのは1~3年生ほど青くはない。学生競技ダンスというものを良く知っている。
 つまり自分の限界と言うものがある程度高い解像度で見えてしまう。それ相応の経験を積み、曲がりなりにも最高学年をやっていると、色々なことが「わかってしまう」のだ。

自分はどこまで勝ち上がれるか。
自分はレギュラーの座を勝ち取れるか。
自分はそもそも、ペアを組めるのか。
自分はどれくらいの器か。

 4年の後期、僕は自分の在籍中に学連の上位層にリーチすることは不可能だと自覚していた。同時に、賞状獲得することなく学生競技が終わることを恐れていた。

 シャドーに出ていて最後まで競技会出場が叶わない同期がいた。その子に比べれば自分が恵まれた立場にいることも理解していた。それでも、その年の冬、つまりそう遠くない未来において自分が迎えるであろう結末を想像すると、情けなさと悔しさ、そして不安と恐怖に襲われた。

 

 そんな中、ついに賞状を得た。ともすれば絶望しそうな自分を鼓舞し、自分の技術を独りでまし続けたことが、ささやかながら実を結んだ。

 このささやかな戦績と引き換えに、肩の荷が降りた気がした。それは後輩に背中を見せる責任であり、同期に対する競技者としての意地であり、目をかけてくださる先輩方への報恩だった。自分はファイナリストになれる器ではないと自覚していた僕が、最低限越えなければと己に課していたハードルだった。
 この、ある種の諦観ていかんと同居した義務感を持ち合わせていなければ、上位決勝に進出したわけでもない戦績に人目もはばからず泣いたりしなかっただろう。

 はっきり言おう。これは自慢だ。あんなに苦しいシチュエーションはそう何度もお目にかかれるものではない。その中でささやかながらつかみ取った赫々かくかくたる戦果だ。誰が何と言おうと、僕の誇りだ。

 

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 そんな苦しい闘いから解放されたいと願うのは人情というものだろう。誰にともなく、何度「解放してくれ」とい願ったかわからない。

 君を無理にでも退部させようか。そう思ったことは何度もある。実際に人から勧められたこともある。でも僕はそうはしなかった。いや、できなかった。

 その理由を僕は当時何と答えたのだろう。きちんと言語化できただろうか。

 

 今なら、しっかりと答えられる。社会人になり、アマチュア競技選手としてそれなりに活動してきた今なら。色々な経験を積み、他者の感情に寄り添うことの大切さを学び、他者と共存したいと切に願っている今なら。

 何故、君を辞めさせようとしなかったか?それはかつて、自分のシャバ僧ぶりで君をあわや退部の寸前まで追い込んだことがあったからだ。
 退部したいと涙ながらに訴えてきた君の顔を思い出すと、吐き気を覚えるほどの自己嫌悪と後ろめたさに襲われた。今さら、どのツラ下げて君を退部させられるだろう。

 僕が犯した罪。それはかつて、君に孤独で苦しい闘いをさせてしまったことだ。君は才能と熱意に溢れた素晴らしい選手であったにもかかわらず、僕が不熱心だったせいで不遇の2年生後期を過ごすことになってしまった。僕は、君という可能性の塊をあたら無為にし、あげく腐らせてしまった。

 部に残ることが君にとってのベストだったかは、今となっては分からない。でも、僕に辞めさせる権利などあるはずもなかった。


 そもそも君が何故、ダンスに対する情熱をなくし、僕に悪態をつくようになったのか?
 学生当時は考えたこともないが、今なら想像力をたくましくして、それなりの答えに近づける気がする。

 もしかしたら、誰よりもダンスに対する熱意を持っていたのに、それに蓋をしなければいけないことが君を苦しめたのかもしれない。
 練習量がものをいう学生競技ダンスの世界において、自分の行動選択がとてつもなく不利に働くことを、君は分かっていたはずだから。
 競技会への野心と言う名の「今」と、国家試験と言う名の「未来」をはかりにかけ、血を吐く思いで未来を選んだのかもしれない。
 君の悪態は、そんな苦しみを和らげるための、ダンスができない自分を無理やり納得させるための、笑えない、哀しいジョークだったのかもしれない。

 もしかしたら、あの時一番辛かったのは、君だったかもしれない。

 

 もちろん、答えは神のみぞ知る、だ。
 だが、国家試験を控えた君に競技選手としてのリミットが迫っていたなら、2年の時の君の焦燥は容易に想像できる。それに気づかなかった僕は、何て愚鈍な人間だったんだろう。
 そもそも、僕以上に苦しい闘いを強いられていた同期、先輩、後輩だってたくさんいたというのに。僕は恵まれていたのに。
 先輩と話しているうちに、今さらながら思い至った。こんな当たり前なことに、今頃気づいた。

 

 秋東部で準決勝進出が叶った時、僕は自分の事だけ考えて泣くべきではなかった。君のやる気を奪ってしまったことを悔い、それと引き換えに自分だけやる気になっていたことを笑い、2年の時の君の涙に対して少しでも報いることができたことを喜び、泣くべきだったのだ。

 もう遅いと分かってはいるが、それでもあの時の君に謝りたい。

 

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 君と競技ダンスのペアとして過ごした2年半は、僕にとんでもない苦しみ、悔い、怒り、喜び、楽しみ、そして学びをもたらしてくれた。授業料はとんでもなく高いものだったが、得られたものに比べれば微々たるものだ。

 僕があの2年半で得られた学びとは、他者の感情に思いを馳せること、他者の苦しみや悲しみを想像し、それに寄り添うこと。当たり前の事だが、人として生きるために欠かせないものだ。あの2年半があったから、僕は人になれた。

 裏を返せば、それらが欠けていたことこそ、君を傷つけた最大の要因と言える。本当にごめんなさい。

 まだまだ未熟には違いないだろうけど、少なくとも、人ならざる者ではなくなったと思うんだ。それは紛れもなく、君のおかげだ。

 返す返すも、君にはいくら感謝してもしきれない。

 

 君はダンスを恐らくはもう二度としないだろう。君の性格を思えば当然だ。

 だが、本来なら、僕がダンスを辞め、君が続けているべきだった。僕はそう思うんだ。2年生の時の君は、本当に一生懸命にダンスをしてくれていた。僕の分まで。

 今は、僕がダンスを続けている。君の分まで。別に君のために続けている訳ではないが。

 

 君がダンスの世界に帰ってくる可能性は限りなくゼロに近い。

 でも、万が一、ダンスの世界に帰ってきてくれるとしたら、かつてしのぎを削りあった身として、僕はとても嬉しいな。今度は戦績を競い合うライバルとして、君と向かい合えたらどんなに良いだろう。

 詮無せんない妄想、いや妄想以下だが、今はそんな気持ちだ。

 

 最後になったけど、僕にダンスの楽しさを教えてくれてありがとう。

 激務の世界に身を投じたと聞いています。くれぐれも身体を労わり、健やかでいてください。

 

かつて君に多大な恩を受けたリーダーより


敬具

 

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