見出し画像

僕らが好きなシャア・アズナブル

 間もなく「閃光のハサウェイ」が劇場公開される。「逆襲のシャア」(以下CCA)の正式な続編であるという。CCAには、「シャア」という名前がわざわざ題名に入っているが、主人公はシャアだったのだろうか。

認めたくないものだな、自分自身の若さゆえの過ちというものを。
私もよくよく運のない男だな。
当たらなければどうということはない。
戦いとは、常に二手三手先を読んで行うものだ。
戦いは非情さ。そのくらいのことは考えてある。
坊やだからさ。
チャンスは最大限に生かす、それが私の主義だ。


 ファーストのシャアと言えば、数々の名台詞を残している。セイラをして「鬼子」を言わしめたシャア・アズナブルは、ガルマとその姉キシリアを死に追いやることで、ザビ家への復讐という目的もある程度果たしたように思える。有言実行。アムロとの戦いには、ある意味で負けてしまったのかもしれないし、同時にダサい部分もあったけれど、やっぱりカッコよかった。

画像1


 Z(ゼータ)以降のシャアはどうだろう。カミーユに殴られた挙句「これが若さか。」と涙を見せたと思えば、「サボテンが花をつけている。」と一言。みながシャアだと気づいているのにも関わらずクワトロと名乗り続け、カイ・シデンからは卑怯だと揶揄される。赤いノースリーブなんて、ファッションセンスも最悪だ。

画像2


 CCAにおいては、「あたし、ララァの身代わりなんですか?」とクェスに恥をかかされ、アムロに向けて「ララァは私の母になってくれたかもしれない女性だ!」と本音を吐いてみれば、「情けない奴」と一蹴されてしまう。カッコ悪い。実にカッコ悪い。僕らのシャア・アズナブルがどんどんカッコ悪くなっていく。「ならば、今すぐ愚民ども全てに英知を授けてみせろ。」なんて、まるで悪魔の証明だ。ではそんなシャアを見て、僕らはシャアを嫌いになってしまっただろうか。


決してそんなことはない。

これこそが、僕らが愛してやまない、

等身大のシャア・アズナブルなのだ。



 フル・フロンタルが何者なのか明かされていない状況で、彼がシャアそのものなのかと巷をざわつかせてていた時期があったが、僕は断固否定の立場であった。

 寄りかかる女性の存在。青臭さ。僕らがずっと見てきた、あの「カッコ悪さ」。それらが全く感じられない。完全無欠ならば、それはシャアではないのだ。

 シャアの魅力は、あの青臭さとカッコ悪さ、人間臭さにあるのでは、と僕は思っている。彼の一挙手一投足に、それらが垣間見える。

画像3


僕らのシャア・アズナブルよ、どうか永遠に。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?