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『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業

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●中勘助先生の評伝に寄せる 『銀の匙』で知られる中勘助先生の人生と文学は数学における岡潔先生の姿ととてもよく似ています。評伝の執筆が望まれますが、そのためには人生行路の細部の諸事…
中勘助先生は『銀の匙』の作者として知られる詩人です。「銀の匙」に描かれた幼少時から昭和17年にいた…
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2021年4月の記事一覧

童話「山がつとはしばみ」

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高瀬正仁
3年前
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『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (31) 東京朝日新聞の記…

 藤村操の死は大きな反響を呼びました。一例として、東京朝日新聞の伝える第一報を引いてみま…

高瀬正仁
3年前
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『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (32) 「藤村操君絶命辞…

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高瀬正仁
3年前
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中勘助先生作:童話「すずめ」

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高瀬正仁
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『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (33) 反響の数々

 藤村さんの死をめぐって、安倍さんの自伝『我が生ひ立ち』からもう少し引いてみたいと思いま…

高瀬正仁
3年前
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『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (34) 藤村家の人びと

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高瀬正仁
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『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (35) 山田又吉の書簡より

 藤村操の死は一高の同級生たちに深刻な影響を及ぼしました。一高の第一年目の三学期のことで、秋9月から二年生になりましたが、安倍さんによると二年の第一学期に組担任のドイツ語の保志虎吉先生から、この組は一年のときはよくできて評判もよかったのに、この頃どうも勉強しなくなったようだ、引き締めてやってもらいたいという主旨の論告を受けたことがあったということです。藤村さんの事件が組全体に動揺とショックを与えて、学科を勉強する気持ちが薄れてきたのかと思うというのでした。せっかくの保志先生の

『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (36) 良寛さんの歌

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高瀬正仁
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『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (37)手紙を待つこころ

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高瀬正仁
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『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (38) 中家訪問

山田さんの第5書簡の宛先は安倍さんです。 第5書簡 明治37年7月12日 大阪から京都へ 安倍能成…

高瀬正仁
3年前
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(左から)中勘助、岩永裕吉、山田又吉

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高瀬正仁
3年前
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『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (39) 味原池に遊ぶ

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高瀬正仁
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『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (40) 粟生の光明寺

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高瀬正仁
3年前
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『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (41) 山田家の人びと

 第11書簡の日付は8月2日でした。翌8月3日、山田さんはまた中先生に手紙を書きました。 山田さんの手紙 第13書簡 明治37年8月3日 大阪より東京へ 中勘助へ 《今手紙を読んだ。君は今までの僕の手紙をよんで何と思ふだらうか。来可きだと定めて居つた僕の想像がわるいんだらうかとも思ふ。君ね、月といふ字を書いて見たまへ。此次を見ないでだよ、な、どうだ、おだやかな字だね。小さい時分に二階の襖にはつてあつた月、かういふ字を見て僕は練習した事があつた。それで気がつくんだね。僕の考へ