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『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (35) 山田又吉の書簡より

 藤村操の死は一高の同級生たちに深刻な影響を及ぼしました。一高の第一年目の三学期のことで、秋9月から二年生になりましたが、安倍さんによると二年の第一学期に組担任のドイツ語の保志虎吉先生から、この組は一年のときはよくできて評判もよかったのに、この頃どうも勉強しなくなったようだ、引き締めてやってもらいたいという主旨の論告を受けたことがあったということです。藤村さんの事件が組全体に動揺とショックを与えて、学科を勉強する気持ちが薄れてきたのかと思うというのでした。せっかくの保志先生の論告もあまり効果がなかったようで、安倍さんも含めて学年末には17人が落第し、山田又吉さんも落第組でした。ところが、「中勘助は意外に落ちなかった」などと安倍さんは書いています。

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1,330字
中勘助先生は『銀の匙』の作者として知られる詩人です。「銀の匙」に描かれた幼少時から昭和17年にいたるまでの生涯を克明に描きます。

●中勘助先生の評伝に寄せる 『銀の匙』で知られる中勘助先生の人生と文学は数学における岡潔先生の姿ととてもよく似ています。評伝の執筆が望まれ…

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