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『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (41) 山田家の人びと

 第11書簡の日付は8月2日でした。翌8月3日、山田さんはまた中先生に手紙を書きました。

山田さんの手紙
第13書簡
明治37年8月3日
大阪より東京へ
中勘助へ
《今手紙を読んだ。君は今までの僕の手紙をよんで何と思ふだらうか。来可きだと定めて居つた僕の想像がわるいんだらうかとも思ふ。君ね、月といふ字を書いて見たまへ。此次を見ないでだよ、な、どうだ、おだやかな字だね。小さい時分に二階の襖にはつてあつた月、かういふ字を見て僕は練習した事があつた。それで気がつくんだね。僕の考へるといふ字は違つてゐると安倍の手紙に書いてあつたが、小学校の時から確にかう書いてゐたのだ。

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1,924字
中勘助先生は『銀の匙』の作者として知られる詩人です。「銀の匙」に描かれた幼少時から昭和17年にいたるまでの生涯を克明に描きます。

●中勘助先生の評伝に寄せる 『銀の匙』で知られる中勘助先生の人生と文学は数学における岡潔先生の姿ととてもよく似ています。評伝の執筆が望まれ…

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