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見えない世界を感じるということ

今朝、自宅にて神棚の前で朝のお参りをし
しばし静かなひとときを過ごしました。

そうやって自分を整える時間が必要だったのです。

そして、自分自身がスッキリした状態かどうかを
確認したかったこともあり…。

リーディングの前には
自分を整える、状態を把握する必要があります。

そんななか、今日私がいただいたひとこと。

《しんにふれる》

漢字変換されずにすっと降りてきました。

真に触れる
心に触れる
芯に触れる
新に触れる
神に触れる

いろいろな変換ができますよね。

それを受け手の私はどう変換するか。

私にいただいたひとことなので
即、私の中で変換したのは
「真に触れる・心に触れる」でした。

それが何を意味するのかは
受け手の私に委ねられます。

これから起こる出来事の中に
それを見つけるのか?

私自身が意識して行っていくことなのか…。

もしも《しんにふれる》が私ではなく
他の方にきたメッセージだとしても
私が勝手に漢字変換して伝えることはありません。

そういった際、
「もっと詳しく知りたい」
「説明してください」と
言われることもあります。

しかし、私が説明すると
私の主観が入るのでそれだけはしません。

説明できる範囲ギリギリで止めます。

受け手に100%ピュアな状態で
お伝えするのが私の役目なので。

私が余計なひとことを言ったがために
当初受け取ったメッセージがゆがむことを
私は極端に恐れます。

受け手は自分の感覚として
「いい感じ」「すごく嬉しい」「まあまあ」
「好きじゃない」「嫌な感じ」など
いろいろなものを受け取るでしょう。

自分が受け取った感覚のままでいいのです。

それが見えない世界を感じるということ。

一例ではありますが…。


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