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リビングウィルとDNAR

昨日また、瞬きでしか意思表示できない、寝たきりの人の気管切開でした。神経変性症で、意識はクリア、頭脳も明晰、でも手足は動かせず、声も出ず、食事も鼻から流動食です。肺炎を繰り返して、年末、医療の手薄な時期に、かかりつけ医(退官した某大学神経内科の元教授)がお休みしたいからと、当院の内科に搬送されました。

しゃべれたうちに、終末期をどうするか話合いがあり、本人とご家族でDNAR (Do Not Attempt Resuscitation) 心肺停止で蘇生処置を行わないと決めてありました。難病なので、リビングウィル(尊厳死)について、十分な話し合いの機会がありましたが、文書は作ってありませんでした。

しかし、呼吸困難、息も絶え絶えに肩で息している本人を前に、ご家族が「気管切開してください!」と考えが変わりました。「在宅でお世話するのが大変になりますよ。」と医療者は説明しますが、実際に苦しむ本人を目の当たりにすると、考えが変わります。本人も家族に説得されて、気管切開することになりました。瞬きでYes Noを示します。何度も「気管切開の処置しますか」目パチン、を繰り返して意思確認しました。

心肺停止ではなく、苦しいながらも自発呼吸できて、意識もあります。決めていた方針を変更しても、本人と家族の意向なら従います。

両側の声帯が固定して、声も出なければ、経口挿管もできません。局所麻酔、痛み止めの注射を首に打って、気管切開しました。耳鼻科の専門医は、こういう時に、本人があまり痛くならない手術をする、ちょっとした工夫があるのです。助手を頼んだ研修医は「目がテン」。今まで救急でしていた手術と、かなり違います。教科書とはかけ離れています。

術後、本人は楽になって、険しい顔つきが楽になりました。かたや家族。痰の吸引練習が、その日から始まりました。家族は固まっていました。1時間おきの痰吸引を、代わりばんこに、家族が負担します。がんばれ、家族。

実際の現場では、思っていたことが覆ります。直前の手術中止、DNARの撤回、いづれも家族間のコミュニケーション不足と、空想力の欠如です。先生に説明されても、頭の中で思い描けないと、その時になって「思っていたのと違う」と慌ててしまうのです。

情報を読むだけでなく、医療を扱ったテレビや映画の動画を観ることをお勧めします。私はよく、「NHKのドキュメンタリー番組で、在宅医療、人工呼吸つけて頑張っている人の紹介がありますよね。観たことある?」と聞きます。たいていの人は、「暗い番組だから、チャンネル変える。観たことない」と答えます。

日本人にとって、死と病気はタブーだから、避けて暮らしてきました。でも、ある日、自分や家族が病気になる時が、突然やってきます。義務教育のうちから、話し合って、勉強して、想像できる頭を作らなくてはなりません。教育が大切です。安楽死の法整備も進んでいますが、法律だけ作っても、日本人が教育されなければ、運用されないと思います。中学校くらいから、学校で教えると良いのに。

リビングウィルについて、よくまとめられています。

昨年、すごい医療映画を観ました。007のヒロイン、フランスの女優ソフィーマルソーがお目当てでした。安楽死がテーマです。海外は、死生観についても進んでいます。事務的に淡々と進む安楽死プロセス、実話に基づいた映画です。本人の希望とギャプのある家族の気持ち。将来、日本もこうなるのでしょうか。

今週のトピックスはこの記事でした。主治医でもなく、数回しか会ってなく、金銭もらって安楽死させているので、これは犯罪だと思います。亡くなった本人の希望だったのは分かりますが、ドクターキリコと同じです。

日本では、患者に頼まれても、積極的な介入はできません。一線を超えて逮捕された(熱い)医師は何人もいます。あくまで、家族の希望が強く反映されるのが、日本の現状です。

https://www.mhlw.go.jp/shingi/2009/04/dl/s0414-7f.pdf

土壇場、修羅場、いろいろなことが医療現場では起こっていますが、グレーになんとなく通り過ぎています。どちらになるかは、担当した医者の胸算用で決まりますから、医者もしっかりした死生観を持っていなくてはいけません。

夕方、当直の若い先生から電話がありました。「F市の総合病院から転送依頼です。95歳で重症感染症。炎症反応高度、ガス壊疽で首から胸まで腐っています。お手伝いいただけますか?」私の返事「ちょっと待って、先生。95歳でそのデータでしょ。手術して治る?呼吸器外科も呼んで切開排膿、耳鼻科が気管切開、人工呼吸、ICUで命取り止めても、寝たきりだよ。うちの病院で積極的なことしても助からないよ。95歳だよ、自分なら寿命と思うね。」少し沈黙して、「そうですね。95歳でした。看取りですね。看取るだけなら、うちでも地元でも同じですね」「そうそう」。若い先生も、ようやく分かってくれたかな。救急は断るな。と院長に言われているから、死生観もない発想になる。患者本人も、家族も、医者も、誰も幸せにならない医療をしてはいけない。

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