送る人
祖母は友達が多い人だった。
友達…とは少し違うのかも、知れない。
信じられないくらい外面が良かったので、信頼を寄せる人がたくさんいたのだ。
祖母は毎日忙しくしていた。
今日は誰々の所で相談にのってくる。
今日はどこどこの講演会で話をしてくる。
今日は誰それの娘さんの結婚式だ。
今日はどこそこで婦人会があるから顔を出さないと。
毎日誰かから電話がかかってきていた。
毎日誰かが家に訪ねてきた。
毎日誰かから手紙が届いていた。
毎日誰かの悪口を言っていた。
私が幼い頃、祖母はいろんな場所に連れ出した。
私が子供の頃、祖母はいろんな場所に連れて行った。
私が思春期の頃、祖母はいろんな場所に同行させた。
私が大人になった頃、祖母はいろんな場所に送迎させた。
いつ、どこに行っても、私は知らない人に囲まれた。
優秀なお孫さんですね。
体格のいいお孫さんですね。
良いおばあちゃんを持って幸せね。
おばあちゃんを大切にね。
私は母親に似て無口だったので、ただただ曖昧な返事をする事しかできなかった。
毎年年賀状は200枚くらい出していた。
パソコンのない時代、私はいつも年賀状を書く手伝いをさせられていた。
初めて買ったワープロのインクリボンは、すべて祖母の年賀状作成で消費された。
高校生になってアルバイトを始めたころから、祖母の欲が牙をむくようになった。
誰々の孫は全部アルバイト代をおじいちゃんに渡しているそうだよ!
誰々の孫は毎月美味しいものを食べに連れて行ってるのにアンタときたら自分の事ばかりで!
誰々の孫は誕生日に海外旅行をプレゼントしたのにお前はたかだかネックレスかい!
祖母の交遊関係の広さが、悪影響したのだ。
貧乏な人も裕福な人もいたことが災いしたのだ。
貧乏人の言葉を聞かずに、金持ちの言葉を聞く祖母。
富んだ人と比べて、自分の貧しさを嘆く祖母。
貧しい人を見て、自分はああなりたくないと目を背ける祖母。
少しでも祖母に意見を言うと、豊かな人脈から指導者が差し向けられた。
おばあちゃんはすごい人なんだよ。
おばあちゃんの事大切にしてあげてください。
おばあちゃんは自慢の孫だと言っていますよ。
おばあちゃんがこんなにしているのにあなたはどうして。
おばあちゃんは老い先短いんだから後悔の無いようにね。
大学を卒業して、逃げるように実家を出た。
忙しく仕事をしているうちに、月日はどんどん、流れた。
家庭を持ち、子供が小学生になった頃、祖母が認知症になった。
あれほど毎日誰かと話していたというのに、一切口を開かなくなった。
あれほど毎日人に求められていたのに、一切人づきあいが無くなった。
人を忘れ、言葉を忘れ、文字を忘れ、自分を忘れ。
毎週のように誰かの葬式に顔を出し、そのたびに私に香典代をねだっていた、祖母。
―――行かないわけにはいかないだろうが!
―――あたしだっていずれは送られる身なんだよ!
―――今は出す側だけど、もらう日は来るの!!!
―――あんたが喪主をやれば大儲けできるわ!!!
祖母は認知症になってから十年生きたのだが、その間に知人たちは次々に数を減らした。
人嫌いな母親が、訪ねてくる祖母の知人を一切シャットアウトしたことも大きい。
祖母は、あれほどたくさんの人たちの葬式に出席したというのに、誰にも参列してもらうことなく、この世を去った。
質素な家族葬を済ませた後、香典袋は一枚もなかった。
祖母はこんな終わり方でよかったんだろうかと、思う。
派手な葬式をあげたかったのではないかと、いまだに思う。
今頃、あの世で香典袋の数を知人たちと比べ合っては、私に文句を言っているのではないかと、思うのだ。
なんで誰それに連絡しなかった。
なんで誰々の家に電話をしなかった。
なんで大きな斎場を借りなかった。
なんで新聞にのせなかった。
なんでもっと気遣いできなかった。
きょうび葬式をあげない人なんて五万といるのに、近所の斎場を通りかかるたびに頭の中がざわつく。
もう、いなくなってずいぶん経つのに、頭の中で響く、祖母の声。
気のせいかも、しれない。
気のせいじゃないかも、しれない。
……疲れすぎているのかも、しれないな。
私は、何も言わぬ墓の前で、黙って手を合わせたのであった。
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