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ゴミ捨て

 最近、旦那の帰りが、遅い。

 ……仕事が忙しいというけれど。
 そのわりには、給料が増えていない。

 ……町内会の仕事を頼まれたというけれど。
 そのわりには、実績が見えてこない。

 ……旦那のいない時間を、一人で有意義に、過ごすには。

 ……そうだ、掃除を、しよう。

 ───ごめん、これ捨てといてもらえるかな
 ───全部燃えるゴミだから、頼むね

 旦那が散らかしたゴミが、たくさんある。
 旦那は、片付けるのが苦手な人なのだ。

 私は、ゴミを、出すことにした。

 家電の外箱、果物の皮、破れた本。
 旦那が玄関に置きっ放しにしていたゴミ。
 車のトランクの隅っこに置きっ放しにしていたゴミ。

 まとめて……燃えるゴミで、出した。


 数日後、近所に住む几帳面な老人が、我が家を訪れた。

「ご主人はお見えですかな!」
「少々お待ちください」

 久しぶりの休日、ソファでスマホに夢中になっている旦那を、玄関に連れていった。

 ……何やら玄関で、もめているのが、聞こえる。

「証拠はすべてそろっている!今から…
「わ、わかりました、行きますから!」」

 旦那は、老人に、連れていかれてしまった。


 ……いつまでたっても、帰ってこない。

 ……帰っては、来られない、はずだ。
 旦那は今頃、きついお灸を据えられているに違いない。

 老人は、この辺りの…ゴミ警察として名高い人物だ。

 ゴミの出し方にうるさく、少しでも違反しているものがあれば、即刻ゴミ捨て場から徴収してゆく。

 持ち帰ったごみを分別しながら、犯人の形跡を探る。
 犯人が分かれば、徹底的に追求し、謝罪をさせ、以降ルール違反をしないよう厳しく言われる。

 老人は、この辺りでは有名な…愛妻家だった。

 奥様がお亡くなりになるまで、黙って一緒にゴミ収集所の処理をしていた。
 いつも奥様と他人のごみを分別しては、しょうがないなあと笑っていた。

 しかし、伴侶を無くし、黙って作業をしているうちに…怒りが蓄積されていったのだ。

 自分と妻がどれほど頑張っても、ルール違反をする者はいなくならなかった。
 妻がいなくなってしまったけれど、ルール違反をする者はいなくならない。

 自分がいなくなったら、この町のゴミはどうなってしまうのか。
 自分がいなくなる前に、徹底的にゴミルールを守らせるようにしなければならない。

 使命感に燃える老人は、ゴミ警察として恐れられるようになったのだ。


 私は、分別の習慣のない旦那のゴミを、ご丁寧にそのまま、出した。

 ……だって、絶対に中身を確認するなよと言わんばかりに…三重に袋で包まれていたから。
 ……だって、絶対にこのゴミは見つかったらまずいという…焦りが感じ取れたから。

 旦那が一人で出かけて、何本も飲んだらしいペットボトル、おもちゃ、写真、記念品。
 仕事で行ったと言い張る休憩所の領収書、町内会の懇親のために訪れたリラックスルームのアメニティ。
 きちんと処理された衛生用品のゴミ、使用済みの粘膜添付液のボトル、電池の入ったマッサージ器。

 ……旦那のゴミだけじゃ、袋がいっぱいにならなかった。

 私の不要品も、一緒に捨てた。

 見たくなかった、ドライブレコーダーの画面をプリントアウトしたもの。
 見たくなかった、カフェでくつろぐ中年二人組を収めた写真。
 見たくなかった、子供のように手を繋いではしゃぐ恥知らずたちの写真。

 かつて、私が、コピーした、誓約書。
 血判の押されたA4の紙には、旦那の整った文字が書かれている。

 今後一切浮気をしません。
 今後一切〇〇〇〇に近づきません。
 今後一切うそをつきません。
 今後一切…今後一切…今後一切…今後一切…
 許されたことに感謝します。
 私は、妻○○○を愛しています。
 最後に、日付、住所、氏名、血判。

 老人は、この辺りの自治会長を務めている。

 かつて奥様と一緒に、町内会を運営し、子供会を盛り上げ、地区の小学校を守り、今もなお積極的に地域に係わっている。
 人脈も豊かで、役所の職員であった過去を持っているから、市のイベントやPTA活動などに深くかかわり、積極的に参加している。

 奥様を無くした寂しさを、地域の住人たちを見守ることで埋めているのだ。
 奥様を無くした寂しさを、地域の子供たちを見守ることで埋めているのだ。

 毎日のように町内を巡り、住人たちを見守っている。
 毎日のように散歩にでかけ、住人たちと会話をしている。
 毎日のように通学路に立ち、子供たちを見守っている。
 毎日のように学校に行って、子供たちと話をしている。
 毎日のように教室を回って、子供たちの顔を見ている。

 なんという名前の住人がいて、どこの町内会に入っているのか、全て知っている。

 どの住人が、町内会に入っているか、全て知っているのだ。
 どの住人が、町内会に入っていないか、全て知っているのだ。

 なんという名前の子供がいて、どこの子供会に入っているのか、全て知っている。

 どの子供の親が、町内会に入っているか、全て知っているのだ。
 どの子供の親が、子供会に入っているか、全て知っているのだ。
 どの子供の親が、PTAの役員なのか、全て知っているのだ。
 どの子供の親が、地域に混じろうとせず孤立しているか、全て知っているのだ。

 老人は、とてもまじめで、怖い人ではあるけれど。

 人の意見を聞くことも大事であることを知っている。
 自分一人の考えで行動する事は良くないと考えている。

 ……奥様がいらっしゃったときは、奥様にまず、相談していたけれど。
 ……今は、奥様は、いらっしゃらないから。

 知人に、相談を、したはずだ。

 知人がたくさんいるから、誰か一人に聞くという事はしなかったはずだ。
 たくさんいる知人の中で、誰か一人を選ぶという事をしなかったはずだ。

 老人の知り合いの中には、真面目な人がいる。
 老人の知り合いの中には、気の短い人がいる。
 老人の知り合いの中には、潔癖な人がいる。
 老人の知り合いの中には、義理堅い人がいる。
 老人の知り合いの中には、不正を許さない人がいる。
 老人の知り合いの中には、厳しい人がいる。
 老人の知り合いの中には、口の軽い人がいる。

 ……明日から私は、優しいまなざしに包まれるかもしれない。

 最近ずっと、私を見つめる人なんていなかったから、少しだけ、くすぐったくなりそうだ。

 ……明日からこの町内に、突き刺さるような眼差しを受けるものが、二人、現れるかもしれない。

 最近ずっと、見つめ合ってきた人たちは、少しくらいは、苦しむことになりそうだ。

 ……よかった、思い切って、ゴミを、捨てて。
 ……ゴミ捨てって、本当に…大事。

 ……もっとしっかり、捨てておきたくなっちゃった。

 私は、不要な物を捨てるために。

 愛用のボールペンを、手に取った。


ゴミに出したら証拠隠滅できると思う浅はかさよ…w

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