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オルガン

一台の、オルガンがある。
古めかしい、オルガンだ。

好奇心から、近づいてみた。

濃い、茶色の、少しホコリの積もっている、オルガン。
……触っても、いいだろうか。

恐る恐る、ふたを、開けた。

ずらりと並んだ、鍵盤に、心を奪われた。
つやつやとしている、鍵盤一つ一つに、うっとりした。

長鍵と短鍵の、白と黒が、目に鮮やかに映る。

この、鍵盤を、鳴らしてみたい。
この、鍵盤で、音楽を、奏でたい。
この、鍵盤で、音楽を奏でて、誰かに届けたい。

……人差し指で、鍵盤を押した。

音が、耳に、届いた。

♪♪

夢中になって、音を楽しむ。

♪♪♪

音と共に、心を躍らせる。

♪♪♪♪

あふれる音に、身をゆだねる。

♪♪♪♪♪

音に包まれ、自身のすべてが解放されてゆく。

……一人の、オルガン演奏者が現れた。

―――あなた、おかしな音楽を流すのは止めて下さい。
―――音楽というのは、こういうものを言うのです。

♩♪♯♫♬♭♮♭♮♯♫♬♩♪

有名なワルツを、ミスひとつせずに演奏するオルガン奏者。
……すばらしい、演奏だった。

絶賛の言葉を、送った。
去ってゆくオルガン奏者を、見送った。

プロの力を、思い知った。

とても、自分に演奏できるとは思えない。
自分は、万人に称賛され認められる演奏家にはなれない。

けれど、自分は、音を出すことは、できる。

自分の、音を、出せる。
自分で、音を、つなげることができる。

自分が、音を出したいと思う限り、音を出すことができるのだ。
……自分が、音を、手放さない限り。

人差し指で、鍵盤を押した。

二本の指で、鍵盤を押した。

♪♪

三本の指で、鍵盤を押した。

♪♪♪

四本の指で、鍵盤を押した。

♪♪♪♪

五本の指で、鍵盤を押した。

♪♪♪♪♪

自分の思うままに、鍵盤を押し続けた。
……やがて、鍵盤は、聞いたことのないメロディを奏でるようになった。

はじめはたった一つの♪だった音が、いつしか長く長く繋がって、多くの人々に届くメロディになっていた。
毎日地道につなげた音が、いつしか長く長く繋がって、多くの人々の心を震わせるメロディになっていた。

音をつなぎ続けて、世界中にメロディを響かせた。

……一人の、オルガン演奏者が現れた。

―――あなた、おかしな音楽を奏でるのは止めなさい。
―――基本がなっていないから、聞いていて非常に不愉快です。

―――あなた、和音を知っていますか。
―――あなた、指を置く位置がなってませんよ。
―――あなた、曲の作り方分かってないでしょう。
―――あなた、音楽家の常識がありませんね。

―――あなたに、オルガンを弾く資格はありませんよ。

オルガン奏者の言葉を無視して、自分の音を指で押し続ける。

何も知らないで音をつなげた私のメロディには、常識など必要がない。
何の知識もないままに鍵盤を押し続けた私の音には、常識など存在したことがない。

オルガンは、ただ、オルガンとして、ここに存在しているだけだ。

オルガンを、知識のないものが使ってはいけないなどとは、どこにも書いてない。

オルガンを、知識のないものが使ってはならぬとほざいているのは、オルガンの知識を持っているオルガン奏者ただ一人。

人々は、知識も常識も持ち合わせていない私の奏でるメロディを、聞きにやってくるのだ。
人々は、オルガン奏者という肩書きを持たない私の奏でる音を求めて、集まってくるのだ。

―――こんなのは音楽じゃない。
―――こんなのは邪道だ。
―――こんなのは認められるべきではない。
―――こんなのは他の演奏者に弊害しか生まない。

オルガン奏者の言葉を無視して、自分の音を指で押し続ける。

―――お前はオルガンの前から立ち去れ。
―――お前はオルガンを弾く資格はない。
―――お前はオルガンにふさわしくない。
―――お前はオルガンを侮辱している。

オルガン奏者の言葉を無視して、自分の音を指で押し続ける。

―――やめろと言っている!!!

ガッシャ――――――――――ん!!!

私の横で騒ぎ立てていたオルガン奏者が、オルガンのふたを勢いよく閉めた。

オルガンを指で押し続けていた、私の動きが、止まる。
……私の音が、止まってしまった。

シンと静まり返る中、オルガンのふたに挟まれた私の指が、ジンジン、ドクドクと、痛みを訴えた。
シンと静まり返る中、オルガンのふたに手を挟まれたまま、私の心が、じんじんとにぶい痛みを訴えた。

静まり返った舞台の上で、オルガン奏者が声高々に人々に訴えた。

―――こんなおかしな音を聞いて陶酔しているお前らに、本物の音を聞かせてやろう!
―――メロディの振りをした常識ハズレの騒音に惑わされているお前らに、実力者の本気の演奏を聞かせてやろう!

―――ありがたく聴くがいい!
―――いくらでも絶賛するがいい!
―――賞賛の声なら、聞いてやってもいいぞ!

―――常識知らずのお前らに、超一流のテクニックを魅せてやろう!
―――一流の音を知らぬお前らが、最高級の音をありがたく聴けるとは思わんがな!

―――今からプロの独壇場が始まる!

―――オルガンを使うに値しない不届きものはここから消えろ!
―――オルガンにふさわしくないただの目立ちたがりはここから出て行け!

オルガン奏者に蹴り飛ばされて、私はオルガンの椅子から転げ落ちた。

床に体を打ちつけ、一瞬息が止まる。
体の痛みで、指の痛みを、忘れた。
心が、今にも、崩れそうだ。

……私は、ただ。
オルガンの音を、楽しんでいただけだったのに。

何も知らずに、音をつなげることは、そんなに悪なのか。
何も考えず、自由気ままに音をつなげることは、そんなに許されないことなのか。
何も求めず、音を望む人々にメロディを聞かせることは、そんなにあってはならないことなのか。

知識のない私がつなげた音を、たくさんの人たちが聴きたいと願って集うのは、そんなに間違っていることなのか。

私の座っていた椅子に、オルガン奏者が腰を、降ろそうとした、その瞬間。
舞台の上に、人々が押し寄せた。

誰かに、ぐいと体を起こされた。
誰かに、そっと手を包み込まれた。
誰かに、力強く支えられた。

―――あなたの音を聞かせてください。
―――あなたの音が聞きたいんです。
―――あなたの音に酔いしれたいんです。

……私の指は、傷ついてしまった。

もう、音を出せないかもしれない。
もう、今までと同じ音は出ないかもしれない。
もう、音を出すことができないかもしれない。

―――あなたの指は、まだ動きますよ。
―――あなたの指に、奇跡が起きますよ。
―――あなたの指が、鍵盤を押したいと願っていますよ。

―――さあ、立ち上がって、オルガンの前に座ってください。
―――さあ、握った指を、開いてください。
―――さあ、あなたの音を、もう一度聞かせてください。

―――あなたを邪魔するものは、いなくなりましたよ。
―――あなたを邪魔するものなど、すべて排除しますよ。

オルガン奏者が袋叩きにされる音を聞きながら、私は痛む指をそっと伸ばして、鍵盤を押した。

ああ、音は、鳴っている。

♪♪

音は、まだ、繋がってくれる。

♪♪♪

音は、再び、私のもとに舞い戻ってきてくれた。

♪♪♪♪

傷ついた指で奏でる、私だけのメロディ。

♪♪♪♪♪

ぎこちなく繋がる私の音に、耳を傾ける大勢の人々がいる。
私のまわりに、音があふれだし、余計な雑音は聞こえなくなった。

常識を振りかざすオルガン奏者の恨み言は聞こえない。
常識のない私を蔑むオルガン奏者の罵声は聞こえない。
常識が一番重要であると信じて疑わない、オルガン奏者の悲鳴は聞こえない。

たくさんの人々から絶賛を浴びる私の耳には、不愉快な音は一切聞こえてこない。

……今日も私は、オルガンを押す。

私にしか押せない、私の並べた音を、私の思うままに。
私が押したい、私にしか並べられない音を、私の感じるままに。

常識のない私を認めてくれる、たくさんの人々の期待に応えるべく。

……私は今日も、音を繋げるのだ。


このお話は盛大なイヤミの物語になっていたりしますです、はい。

オルガンのもの悲しさっていいよね……。
個人的には足踏みオルガンがすごく好き(ほぼ弾けないけど)。

なお、こちらのアルバムの二曲目をリスペクトしていたり…。


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