見出し画像

僕は鼻をかみたかった、けれどそれは叶わなかった、ただ、それだけの話……。


 …あっ、鼻水。

 鼻の奥から何かが垂れてくる気配を感じて、ティッシュを手に取った。

 今年もいよいよ、花粉が飛び始めたか。
 つらい季節が、ついにやってきてしまったか。

 慌てて換気のために開けてあった窓を閉め、空気清浄機のボタンを押した。

 僕はひどい花粉症で、毎年この時期になると、大変な目にあっている。

 かんでもかんでも出てくる鼻水。
 目薬をさしてもさしてもかゆみの収まらない赤く染まる結膜。
 自慢の二重まぶたが一重まぶたになるし、アレルギー薬のせいで眠くてたまらない。鼻のかみすぎで鼻の下の皮はめくれるし、イケメンが台無しになる。

 …今年は、やわらかいティッシュを買い込んだし、空気清浄機も新調したから、例年よりは穏やかに過ごせるとは思うんだけども。

 そんなことを思いつつ、ティッシュを二枚取って、鼻に当て、ふんと息を……。

 ……うん?
 花粉症独特の、さらりとした鼻水とは…少し違う感触が、したような。

 勢いよく鼻をかんだわけでもないのに、鼻の奥がすっきりしている。
 違和感の正体を確かめようと、鼻に当てたティッシュを目の前に広げてみると。

 ……人がいる。

 ティッシュの真ん中に、のぺっとしたおっさんがいる。

 季節は冬だというのに、真夏と見間違わんばかりのトランクス一丁姿。
 頬杖を突きながら、横になって…だらしない腹をさらけ出している。

 ……なんだこれは。

 まじまじと見つめてみるが…どう見ても、おっさんだ。
 見れば見るほど…醜いおっさんだ。

 ……なんなんだ、これは。

 僕はずいぶん弱々しげではあったが、確かに鼻をかんだ…はずだ。
 鼻をかんだら、出るものは鼻水であるはずだ。

 ……いや、場合により違うものも、出るか。

 鼻から出るものは、水か血であると相場は決まっている。
 だから、この世の中には、鼻水という言葉と鼻血という言葉が存在しているわけで。
 鼻から水が出るから鼻水であり、鼻から血が出るから鼻血なのだ。
 ……まあ、たまに牛乳とかうどんが出てくる人もいるけど。

 鼻から人が出てきたなんて、聞いたことがない。

 鼻から人が出てきた場合は、鼻人とでも言うんだろうか。

 ……この場合どうするのが正解なんだ。

 丁重に扱って、お世話をする?
 ……見ず知らずのおっさんを何でもてなさなきゃいけないんだ。

 丸めて捨てる?
 ……いや、人のフォルムを見てしまったから、そんなことはできない。

 鼻をかんで出てきたから、噛んでみるとか?
 ……つまらない洒落だし、僕にはそういう趣味はない、そもそもおっさんなんか口に入れたくない。

 ティッシュを手にしたまま、どうしたものかと悩んでいたら、鼻の奥がむずむずとした。

 これは、花粉の時独特の、勢いのある鼻水が出る感覚。
 マズい、ティッシュで鼻をかまなければ。
 ……僕は、鼻水は出る前にすべてかんでおきたいタイプなのだ。

 だが、手の平の上にあるティッシュの上には、おっさんが悠長に寝そべっている。キモいおっさんではあるが、存在を無視して鼻をかむわけにもいくまい。

 あ、ヤバイ、鼻が…垂れる!

 仕方がない、おっさんをよけて、鼻水を受け止めよう。
 ……そう思って手の平を鼻に近づけると。

 僕の鼻からたれたのは、競泳用の海水パンツを着用した兄ちゃんだった。

 ……いったいこれは、なんなんだ。

 鼻の奥から、どんどん垂れるような感覚がする。
 鼻をかんで、気持ち良くすべてを出し切ってしまいたい欲望にかられる。

 鼻を、思い切ってかむべきか?
 ……いや、恐らくこの調子では、鼻の中に詰まっているのは人だ。
 水分ではなくて個体だから、かんでしまってはダメだ。

 鼻に、詰め物をするべきか?
 ……いや、恐らくこの感じでは、鼻の中にはまだたくさんの人が詰まっているはずだ。

 出ないようにするよりは、出した方が良い。
 きょうび…鼻血は栓をせずに垂れ流したほうがいいって話もあるくらいだし。

 ……仕方がない、人が落ち着くまで、垂れ流して様子を見よう。

 椅子に座り、俯き加減でテーブルの上に広げたティッシュの上をぼんやり見つめる。

 ……ぼとっ。

 ブーメランパンツを着用中の、デブのロン毛の兄ちゃんが鼻の穴から落ちてきた。

 ……ぼとっ。

 真っ白いブリーフを両手でずりあげる、つるっぱげのじいちゃんが落ちてきた。

 ……ぼとっ。

 母ちゃんが買ってきたようなクソダサいトランクスをかっこよく着こなす、小麦色のマッチョが落ちてきた。

 ……。

 どうやら、鼻人は止まったらしい。

 ティッシュの上で思い思いに過ごしているやつらを見ながら、さてどうしたものかと頭をひねる。

 テレビ局に売ろうか。
 動画を撮ってアップロードするか。
 とりあえずつぶやくか。

 ……まずは画像に収めておこうか。

 尻ポケットのスマホを取り出し、カメラアプリを起動させた、その瞬間。

「ひゅえっっぷしっ!!!」

 不意に大きなくしゃみが出た。

 完全にノーマークだったので、思いがけず勢いよくやってしまった。
 僕のくしゃみの飛沫が、鼻人の宴を蹴散らした。

 ティッシュごと、鼻人が飛び散ったのを、目の端で捉えたような、気がする。

 ひらりひらりと、テーブルの上からフローリングに落ちた、ティッシュ。

 ややあせった気持ちを抱えながら、ティッシュを拾うために椅子から立ち上がった。

 ……あたりに、鼻人の姿は、ない。

 僕の鼻からたれてきた人は、皆、僕のくしゃみの威力で消し飛んでしまった。

 なんとなく、申し訳なさが漂う。
 なんとなく、後味が悪い。
 なんとなく、自分がひどいやつに思える。

 でも…僕は、正しい鼻人の取り扱い方なんて、知らなかったんだ。

 ひょっとしたら、今まで捨てたティッシュの中にも、鼻人がいた可能性は、否定できない。

 仕方が、なかった。
 仕方がなかったんだから、しょうがない。

 ……もっと、鼻から人が出ることが一般的になればこんな悲劇は起きなかったはずだ。

 とりあえず、僕は。

 次から鼻をかむときは、そっとティッシュで押さえてから、そこに人がついていないか確認するようにしようと、思った。


なお、こちら鼻人側の話もあるのですがまだ公開してないという…orz

↓【小説家になろう】で毎日短編小説作品(新作)を投稿しています↓ https://mypage.syosetu.com/874484/ ↓【note】で毎日自作品の紹介を投稿しています↓ https://note.com/takasaba/