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自信なんて、ずっとない。でもこの道で、生きていく

フリースクール代表という肩書のせいか、人前であまりたじろがない性分のせいか、「堂々としている」と言われることがあります。

元来オールラウンダータイプなので、「コレ!!」という武器がないかわり、基本的に「どうしてもできない!」ってことがあまりありません。
(酔っている時は別として)感情の機微が表情や言動に出るまでに時間がかかるので、瞬間的に驚いたり戸惑ったりすることも少ないです。

それが「堂々としている」とか「自信がありそう」とかいう評価に繋がっているのだろうなと思いますが、自信なんてものを持った記憶はちっともないのです

「自信」を軸に生きてたら、多分わたしは今の生き方をしていない

子どもの頃はすごく自信を求めていて、人前で失敗することを極端に避けていました。

できることは精いっぱいやる。
失敗しそうなことや経験のないことは絶対にやらない。

今でもその要素は持っていて、自信なんてあるならほしいし、育てられるものなら育てたいです。でも、自信を軸に生きていたら、多分いまの生き方はしていないと思います。

友達と3人でフリースクールをゼロからつくって、サイトつくって、コンテンツ考えて、ひたすら記事を書きながらPRして、内装のデザインとかも自分たちでしながら、面談をして、相談に乗って、日々サービスを改善して、それでも周知してもらうのには時間がかかって……。

時間や労力をどれだけかけても、思ったゴールに行けるとは限りません。でも結果は全部自分の責任だから、逃げ場だってありません。愚痴を言おうものなら「でも、自分で選んだ道でしょう」と自分が語り掛けてくる始末。

いまの自粛生活で大打撃を受けているように、来年、来月、明日どうなるか分からない世界です。

だから子どもの頃のまま自信を軸に生きていたら、きっとどこかの企業に就職して働いていると思います。もちろんそれが100%安定というわけではないけれど、少なくとも「働き始めた最初の月の給料が5万円」「自分が体調崩したら会社の営業が休みになる」なんてことはありませんよね。

自分より上の立場の人がいて、教わる環境があって、責任はチームで負って、自分は代替可能な仕事をしていて。そんな環境だったらな、なんて思ったこともあります。

単に「自分しかいなかったから」この仕事を選んだ

それでもこの仕事を今しているのは、言ってしまえば「自分しかいなかったから」です。

絶対に子どもの安心と安全が守られる場所
あらゆる選択が尊重される場所
保護者の方や先生がたにとっても拠り所となる場所

そういう場所に関わりたくて、でも見つからなくて、だから「自分でつくるしかない」と思ったんです。

今の自分が間違ってないともすごいとも思わない。ただ「情熱」だけは誇れる

これまで、たくさんのことを間違ってきました。失敗もしたし、「こっちのほうが良かっただろうに」と考えることも数え切れないほどあります。

「すごい」「尊敬する」と声をかけていただくこともありますが、自分では「まだまだ足りないことばっかりだなぁ」と思う毎日です。
学びたいこと、挑戦したいこと、考えたいこと、改善したいことがいっぱいあります。

でも、そんなわたしでも一つだけ「これは誇れる」と思うものがあります

子どもたちのためになるならどんなことでもやるという情熱。
自分自身の成功よりも、社会としての意義を願う情熱。

ライフプランとキャリアプランが融合したり、自分の話をしているのについ社会課題としての話になったりするくらいには、この仕事を愛しています

自信なんて、ずっとない。でもこの道で、生きていく

自信なんて、多分ずっと持てません。

いつも不安で、でも譲れなくて、力不足な点ばかりが目について、でも逃げられなくて、逃げたくなくて。
自信はないけど情熱を傾けずはいられないこの道を、選び続けるのだと思います。

この道の先に、わたしのつくりたい場所の片鱗を見てしまったから。
届けたいあの人に届くのだと、そう気づいてしまったのだから。

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