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もがいてもがいて、どんどん沈み込んでしまう時。

どうしようもないときがある。

周りが元気に働いていること、活躍していること、キラキラしていること。
すべてが自分への攻撃になる時がある。
私は元気に働けていない、活躍できていない、全然キラキラしていない…。
周りを賞賛したいのに、声が出ない。嫉妬と、自分への卑下に変わってしまう。

たみーさんのnoteより

たみーさんのnote「拝啓、どうしようもないときの私へ」を読んで、涙が出た。

どうしようもないときは、わたしにもあった。

そういう「どうしようもないとき」が、わたしにもあった。

どんな言葉も励みにならず、いろいろと行動してみるけれど、うまくいかない。改善しない。
いつまでも自分は落ち込んでいて、笑顔で人と話すことすらできなくなって、自分のできないことや悪い部分ばかりが目に付く。悲しいわけでもないのに、涙が溢れる。

あぁ、今日もあんまり仕事できてないなぁ。

たみーさんのnoteより

溜息がもれる。今日も一日、何もできない。活路が見いだせず、活路があるのかさえももう分からない。
ずっとこのままなような気もするし、明日になったらコロっと終わってるような気もする。そんな希望を持つ。でもやっぱり、朝起きてもわたしの心は元気をなくしたままで、「いつまでこんなこと」って自分で自分を傷つける。

なったことがないときは、自分はならないと思っていた。
どこかで、自分は元気で、なった人と自分は違うと線を引いていた自分がいた。
そんな自分がいたことも、なんだかショックだった。

たみーさんのnoteより

本当に、”誰にでもなりうるもの”だと思う。
誰だって、落ち込む日や心細い夜はあるはずだ。ただ、そこから復帰するのが早いだけ。それが、なにがトリガーなのかは分からないけど、突然戻れなくなる。

「寝たら忘れる」と思ったものが、忘れられない。脳裏にこびりついて、仕事中も食事中も移動中もつきまとう。仕事が捗らないことが、いつまでも堂々巡りしてしまうことが、ソレを増大させる。日常が侵されていく。

そんな日々のことを、たみーさんのnoteを読みながら、思い出した。

どうしようもないときに、すること

本当は、どうしようもないときは、どうもしないほうがいいと思う。誰かに相談したり、良いとされる行動をしたりして効果が出る時期は、通り過ぎてしまったかもしれないから。効果が出なかったら、余計に落ち込んでしまうかもしれないから。

でも、どうしようもないときは、「じゃ、どうもしないでおこう」なんて思えない。行動しない自分を責めてしまうくらいなら、できることをしたほうがいい時だってあるはずだ。

①環境を変える。環境が変われば、自ずと関わる人も変わる。たみーさんもnoteで言っているけれど、過ごす環境や関わる人が変わると、それをきっかけに不安定な日々から解放されることがある。

どうして不安定から復帰できたのかよくわからないけど、(物理的な)働く場所を変えたり、関わる人が以前より以前より増えたことが主な要因と思う。

たみーさんのnoteより

不安定からは実質的には抜け出しているのに、きっかけが掴めなくて足踏みしているような時もある。そういう時は、環境を変えることがきっかけになってくれるかもしれない。そうでなくても、「過去の自分を知らない人」との出会いは、なんだか楽になれる気がする。

②とりあえず出かける。環境を変えるのが難しい時もある。生活だってあるし、仕事だって急にはやめられない。そういう時は、とりあえず出かけてみる。コンビニに行ってお菓子を一コ買う時もあるし、周辺をブラブラ散歩する時もある。

人は「場所で記憶をする」のだと言う。だから部屋を移動した途端用事を忘れることがあるのだそうだ。「感情」も同じな気がする。今ある悲しみや苦しみを、その場所が引き留めてくれるかもしれない。人と会うと疲れるので、なるべく人と会わない場所を選びながら、ふらふらと歩いてみる。目的のない行動を許す。

③窓を開ける。出かけることさえ難しい時がある。日光に当たると幸せホルモンがどうこうと言うが、無理に外出してストレスを溜め込んでは元も子もない。調子がいい時はベランダでお昼寝をするのだけど、まっじでキッツイ時は窓を開ける。(外の音が聞こえてくるのが嫌な時は、遮光カーテンだけ開ける。)

手のひらだけ外に出してみる。ぬるっとした外気や、あたたかい日のひかり、心地よく吹く風を感じる。「ちょっと外出してみようかな」って思う時もあるし、「やっぱりいいや」って思う時もある。その時に湧いた感情を大切にする。

④泣く。泣くための行動をとる。映画を観たり、本を読んだり。目も脳も使いたくない時は、「泣ける音楽」と検索して一番上に出てきたものをタッチして目を閉じる。

本当に泣けるかどうかじゃなく、泣くための行動をとるのが大切だと思っている。自分の感情を見ようとしていること。自分のために行動すること。自分のための時間を作ること。泣いていい、感情を出していい環境に身を置くこと。そういうことが、大切。

⑤「休んでいい」と呟く。自分のための時間がどうしても取れない時、もう自分が何に泣くかさえも分からない時、ただ呟く。感情が伴ってなくていい。実感できなくていい。ただ、呟く。

口に出した言葉は、耳が聴く。脳が認識する。あなたの心に届く。鈍くなってそれを自覚できなかったとしても、届いている。「頑張らなくていい」とか「大切にしていい」とか「我慢しなくていい」とか、なんでもいい。パッと思いついたものが言えたら理想だけど、何も思いつかなかったら、とりあえず「休んでいい」って言ってみよう。

どうしようもないときは、どうもしない。それが一番、難しい。
難しいから、誤魔化すためにいろんなことをしてみる。

まわりへの愛情を、少しだけ自分に向けられると良い

本当にどうしようもないとき、「自分を愛そう」「自分を大切に」と言われても、難しいと思う。「そんなことより、まずは仕事をこなさないと」なんて、はねのけちゃう人だっているだろう。わたしは、そうだった。

それでもやっぱり、ほんの少しでもいいから、大切にしてあげてほしい。

あなたの大切な仲間の調子が悪かったら、どんな風に思う?

あいつは使えないなんて思うだろうか?
あいつは嫌な奴だと思うだろうか?

きっと、仲間の役割の大きさを感じて感謝しているに違いない。
何か自分にできることはないだろうかと、仲間に対して考えるだろう。

たみーさんのnoteより

自分のことを仲間や隣人、他者として扱うのもひとつの方法だ。「これが友達だったら、どう思うかな?」と想像してみる。「いや、がんばってるじゃん。休んでいいじゃん」と自然と思える時もある。

それが難しいと思ったら、どうかSOSを出してほしい。
「なんか、何やってもうまくいかないんだよ」「もう、どうしようもないんだ」
隣で仕事をしている彼でも、LINEの友達一覧をざらっと見て目に留まった彼女でも、昔は毎日遊んでいたけど今はなんとなく疎遠なあの人でもいい。パッと思い浮かぶ人がいたら、単刀直入に本題を言えなくても良いから、何か一言、メッセージを送ってみてほしい。

その人は、きっとあなたの代わりに、あなたを愛してくれるよ。大切にしてくれるよ。

たみーさんのnoteは、リアルだ。当時の感情、葛藤、喜び、悲しみが、一つひとつ、ぽつりぽつりと伝わってくる。
こういう文章を書く人は、応援したくなる。
これからも、楽しみ。

大好きな企画「私のお気に入り #cotree_advent_note 」に寄せて。

cotree advent note は、どれも大好きで、どれから紹介しようか迷ってしまうね。

迷っちゃうからどうせなら全部書いちゃおうと決めた、
takaren advent note 13日目。


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