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未来を楽しみだと言えることの幸せ #10年を振り返る

Twitterで「#10年を振り返る」というタグを見つけ、ちょっと振り返ってみました。

(ツイートしてから10年前って13歳じゃんと思ったけど、12歳がだいぶ人生における大事なポイントっぽいのでそこからね)

10年前と言えば、12歳。中学1年生です。
中1のときは、いろいろなことがありました。……、本当に、いろいろあった。

せっかくなので、その頃からの10年をさっと振り返ってみようと思います。

12歳(中1):いじめからの不登校

中学校に入学してすぐ、わたしはいじめられ始めました。
キッカケは些細なことだったけれど、いじめは決して細やかなものではなく。
結局6月ごろには不登校になったので、わたしの中学生活は僅か2,3ヶ月で中断されたのです。

当時はとにかく世界に絶望していて、生きる意味とか目的とかをずっと考えていました。
つらかったなぁ。昼間に起きてから朝方に泣き疲れて眠るまでずっとつらかった

13歳(中2):夢を見つける

そんなわたしのターニングポイントは、中2の時の転校でした。
転校先の先生にすごく良くしていただき、学校も人も世の中も、ちょっぴりだけだけど好きになれたんです。

当時見つけた「子どもの居場所をつくりたい」という夢は、22歳になった今も持ち続けています

14歳(中3):やさぐれ期

ところがどっこい、担任の先生もいつかは変わります。
中3の時の先生はいわゆる体育会系で、あまり相性が良くありませんでした。
教科担当の先生方とも合わないことが多く、しんどい時期でした。
やさぐれてたのかな笑

それでも学校に行き続けたのは、同じような気持ちを抱える友達がいたからです。
中1の時と違って、ひとりじゃないと思えた。
夢もあったし、学校へのちょっとした愛着のようなものもあった。

そしてその友達も、夢も、愛着も、すべては中2当時の先生がキッカケとなっているのだからすごい。
あの先生がいなかったら、間違いなく今のわたしはいませんでした

15歳-16歳(高1-2):勉強楽しい

さて、高校に入ります。
とはいえ、中学時代の不登校期間が影響して、担任の先生からも「高校選べないよ……」状態。

自分なりに調べて、入試で内申点(いわゆる成績)の評価の割合が低い「クリエイティブスクール」という括りの高校に入学しました。

すると、なんと英語はアルファベットの復習から、数学は正負の計算から始まったんです!(要するに中1レベル)

初めて!学校の問題が!解ける!!

めちゃくちゃ低いハードルを楽々越えるのは、一見すると意味のないことかもしれません。
けれどわたしは、その体験によって「自信」と「熱意」を持てたんです。

ずっと勉強できないと思ってたけど、ちゃんと基礎からやればできるかもしれない。
学校で落ちこぼれだったけど、ここならわたしに合ったレベルの学習ができるかもしれない。
勉強って、楽しいのかもしれない!

朝から晩までもりもり勉強して、高1の夏には授業の先取りをするようにもなりました。授業では30ページをやってる時に70ページの問題を解く、みたいな。

先生もとても良い方が揃っていて、やればやるほど褒めてもらえるんです。中には私物の参考書を貸してくださる先生もいらっしゃいました。テストで100点取ればパピコがもらえた。

どんどんやる気が湧いて、そのうち五科目とは関係ないようなことも自分で学習するようになりました。

17歳(高3):夢のために動き出す

中2の時に見つけた「子どもの居場所をつくりたい」という夢。
ふつふつと煮えるその想いは高校生になっても消えることなく、ついにわたしは夢のために動き出しました

・教員免許取得のための勉強
・帰国子女や外国籍の子どもに対する教育支援団体への参加
・人の相談に乗るボランティア団体への参加

などなど、部活と勉強とアルバイトの合間を縫って、いろいろなことに取り組みました。

たくさんの方とお話させていただいたので、多種多様な価値観を知ることができました
本当に、たくさんの方にお世話になった1年間でした。

18歳(大1):勉強楽しい

当時は教師を目指していたので、教員免許を取得できる大学に進学しました。

入学当初は、専門科目はもちろん、その他の講義も面白くて面白くて……。空き教室で模擬授業の練習とかもしてたな。マジメ。
一日の半分は大学の図書館にいたんじゃないかってくらい、勉強漬けの日々でした。

19歳(大2):大学で路頭に迷う

そんな順調だった大学生活にも、なんだか分厚い雲が。
大学で教師について学ぶ過程で、「わたしに教師は合わないのでは?」という疑問が生まれたんです。

今やっていることは、将来に繋がらないかもしれない。
望まない未来を選択しようとしているのかもしれない。

まさに、路頭に迷った感覚。
そんな葛藤は少しずつわたしの身体を蝕み、わたしは大学に行けないほど落ち込んでしまったのです。

20歳(大3):休学して働く

休学した一年半のうち、一年はアルバイトに費やしました。

何かを消費するだけの毎日から脱却したい。
自分も何かを生み出したい。
この社会に属していたい。

最初はそんな気持ちだったけれど、仕事が認められ、先輩・上司からも褒められるうち、働くことを楽しめるようになっていきました。

21歳:フリースクール作る

アルバイト先でご縁があり、声をかけてくれた友人・その同僚と3人でフリースクールを作ることに。
大学は中退して、一日のほとんどをフリースクール設立のための時間として使いました。(ここら辺の話は長いので割愛。気になる方はコチラ

そして、2018年6月。
無事にフリースクール「Riz」をオープンできました。

22歳:フリースクールやってる

そして今は、Rizの運営に一日の大半を割いています。

子どもたちと遊んだり、Rizのコンテンツを考えたり、不登校関連のイベントでお話させていただいたり。
その仕事は多岐に渡りますが、すべては「子どもたちのため」です

子どもたちが幸せであるために、子どもたちの選択肢を増やすために、子どもたちを潰してしまわないために。
わたしは今日も、一生懸命働いています🔥

3年前のわたしがイメージする「3年後」とは全然違う

わたしは未来が活力になるタイプなので、けっこう定期的に「5年後はどうなってるかな~」「これからどんなことしたいのかな~」と考える時間を取っています。

けれど、こうして改めて過去を振り返る時間を取ってみると、「全然予想とは違う方向に行ってるな……」と気付きました

3年前、休学し始めの時は「フリースクール作るんだ」なんて思っていなかったし、7年前のわたしは「教師になる」と信じて疑っていなかった。

たった数年でも全然違う道を歩んでいるのだから、これから先もどうなるか分からないな、と感じています。

未来を「楽しみ」と言えること。

3年前の自分が今の自分をイメージできなかったように、今の自分は3年後の自分をイメージできていないのでしょう。
「3年後こうなっていたいな」という想いはあるけれど、「そのイメージに固執せず柔軟に変化していきたいな」という想いも持っています。

そういう、ある種の未来の「不確かさ」を、昔はとても不安に思っていました
理想の未来を描くことを好む一方で、実際の未来に向き合うことへの恐怖心を抱えていたのです。

けれど、「#10年を振り返る」の振り返りをしたツイートで、わたしはごく自然に「楽しみ。」という言葉を選んでいました。

未来は何も分からない、3年後はおろか1年後、半年後だって自分が何をしているかは分かりません。
でもそんな不確かさを、暗闇を、「楽しみだ」と思えているのです。

それはきっと、実際に夢に向かって行動し始め、描いた理想の未来を叶えられる可能性を掴めたから。
「理想の未来を描く」というおこないが「今」と繋がっている実感があるからだと思います。

今すぐ理想に届きそうなわけではないし、課題はまだまだたくさんあるし、未来はもっとずっと先にあるけれど。
「いつか、辿り着ける」
そう信じられている自分がいます。

10年後、わたしはどこで、どんな人たちと、どんなことをしているのでしょう。
今から、楽しみです。

10年間の振り返りをしたら、ここからの10年間がたまらなく楽しみになりました

TOP画像は、2年前くらいにRizの構想を練っていた時のもの。まさかこの素朴な女子大生が、2年後には300人を超える方々の前で講演することになるとはね……。

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いただいた感想、流れてしまうのがもったいなくて、記録することにしました。ありがとうございます。



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