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「この子は大丈夫だから」と言いたくなくて、わたしはフリースクールを作りました

「この子は、大丈夫だから」

そう言われる子がいます。いわゆる「優等生」で、目立たずに穏やかに、先生の言うことをよく聞き、反抗もしない、そんな子。

上記のような言葉は、おそらくは褒め言葉として、その子に向けられます。きっとその子自身も、嬉しく、誇らしく感じるでしょう。

それでもわたしは「この子は、大丈夫だから」と言いたくなくて、「フリースクールの運営」という、いまの仕事をしています。

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「大丈夫な子」だったわたしは「大丈夫なフリ」がうまい子どもだった

「この子は、大丈夫だから」と言われるような子どもでした。
我ながらいい子で、大人びていて、落ち着いていて、スポーツは苦手だったけど成績は優秀でした(自画自賛がすごい)。

でもわたしは、誰かを頼ることが苦手でした。
誰かの負担になることが嫌いでした。

誰にも迷惑をかけたくなくて努力していたら、人よりちょっとだけ器用に育ちました。

「手のかからない子ね」
「ま、おとなしい。良い子」

小学生の時はそう言われるのが誇らしくて、ぐんぐん真面目に成長しました。真面目すぎてからかわれることもあったけれど、誰かの力になることが心地よくもありました。

「大人びてるね」
「頼りになる」

年齢が重なるに連れ、そういう言葉に虚しさを感じるようになってきました。そんなことを言われるたびに、本当の自分からは離れていくような感覚がありました。

わたしが「大丈夫な子」ではなく、「大丈夫なフリがうまい子」だったからです。

子どもは、大人の希望を叶えようとしてしまう

子どもの頃、周りの大人から褒められると嬉しくありませんでしたか?

「もうこんなことができるんだね!」
「おばちゃん、助かるわ~」
「こんなに勉強したの?!すごーい」

周りにいる大人が自分の行動や言葉で笑顔になってくれること、喜んでくれることが嬉しくありませんでしたか?

そして、こう思ったのではないでしょうか。

次はもっとできるようになろう
また褒めてもらえるようにこれにも挑戦しよう
こうすれば喜んでもらえるから、またやろう

それはね、すごく良いことです。誰かを喜ばせることを喜べるのは、とても尊いことだと思います。

でも、それに頼りすぎてしまうと、次第にしんどくなってしまうとも思うんです。

できない自分はダメなんだ
褒められなかったからこれはしちゃいけないんだ
もっと周りの人が望むような私にならないと

頑張らなきゃ、頑張らなきゃ、もっともっと、頑張らなきゃ。
その真剣な姿は周りから見れば素敵なものかもしれませんが、その子自身にとってはどうなのでしょう

少なくとも当時のわたしは、息苦しさやしんどさを抱えていました。
「周りのために頑張りたい自分」と「もっと我を出したい自分」との板挟みが続いていたからです。

何かができたら褒められる。じゃあ、できなかったら?
成績が優秀だから認められる。じゃあ、成績が落ちたら?
周りの言うことを聞くから頼りにされる。じゃあ、異を唱えたら?

当時はこんなに言語化できていませんでしたが、漠然とした不安感がありました。まるで自分が立っている場所が、今にも崩れそうな崖であるかのように

子どもは、大人の希望を叶えようとします。大人が望むかたちに添おうとします。

「勉強ができてすごいね!」と言えば、勉強を益々頑張ります。
「スポーツできるんだね、かっこいいね!」と言えば、運動を頑張ります。

だって、喜んでほしいから。笑顔になってくれると嬉しいから。

お母さんやお父さん、周りの大人が褒めてくれるのが嬉しくて、つい夢中になってしまうのです。たとえそれが、自分自身は望んでいないことだったとしても。

「苦しいだけの子」も「苦しくない子」もきっといない

「この子は大丈夫だから」と言われてきた子たちが全員わたしと同じような苦しみを抱えてきたとは思っていません。中には、本当に嬉しい子や、益々やる気の湧く子もいると思います。

そして「この子は大丈夫だから」と言われない、周りから心配されたりかまわれたりする子の中にも、本当は大丈夫な子、ほっておいてほしいタイプの子だっていたと思います。

周りから見えるのは、常にその人の一面でしかありません。大人も、子どもも。

その人を語るには、一面だけでは足りなすぎます。

やさしい人にだって、やさしくできない瞬間はあります。
悩んでいる人にだって、楽しい時間はあります。

大人も、子どもも、同じなのです。あなたのことを一言では語れないように、子どものことも「この子は〇〇な子だね」とは言い表せないのです

「大丈夫だよね」と括ってしまう前に。「可哀そうにね」と括ってしまう前に。

その子の、その人の、違う面に目を向けてみてはもらえないでしょうか。
奥でひっそりと抱えているかもしれないものに、想いを馳せてはもらえないでしょうか。

苦しいだけの子はきっといません。
苦しくない子も、きっといません。
涙の裏には笑顔があり、笑顔の裏には涙があるのだと思います。

子どもが子どもらしくいられる社会をつくりたい

フリースクールの運営を通してたくさんの子どもたちと接してきて、「いまの子どもたちは大人になるのが随分とはやいな」と感じます。
言葉遣いがきちんとしていて、食事のマナーもよく、初対面の人とも愛想よく話している。

その風景を微笑ましく見守る一方で、なにか、切なさのようなものを感じてしまいます。

「大人になるしかなかった」可能性を感じてしまうからです。
年齢は関係ないと思いつつも、あまりに年齢にそぐわない落ち着いた言動は、なんだかソワソワしてしまいます。

フリースクールに通う子のほとんどは、最初はとても落ち着いた印象を受けます。きちんとしていて、イタズラなんて絶対しない。洗い物をすると、すぐに手伝ってくれます。

でもしばらく通ううちに、少しずつ「子どもらしい表情」がのぞくようになります

掃除するよと言うと、我先に一番楽なクイックルワイパーを取りに行ったり。(掃除はきちんとしてくれる)
急に変顔をきめてきたり。
人の動画を撮って宇宙人やマジヤバイ系のフィルターをかけたり。

その度に口では「何してんのよ、も~~」と言うのですが、思わずニヤけてしまいます。帰りの道中でも、マスクの下では表情筋が緩みっぱなし。

そして、寝る前に胸がぎゅっとなるのです。

子どもが子どもらしくいられること。
感情を素直に出し、自分の思うままに生きること。
世間体や体裁を気にせず、時にわたしたちは到底思いつかないような突飛な行動をとること。

それは、当たり前のことではありません。
とても貴重で、そしてとても大切なことです。

子どもが子どもらしく生きるには、周囲の支えが必要不可欠です。

子どもの言葉や行動を誘導・管理しようとしないこと。
子どもがどんなことを言っても、しても、その気持ちを尊重すること。
ひとりの人間として敬い、対等な立場として接すること。

こう言葉にすると「そんなこと当然だよ~」なんて考えるかもしれません。でも、「周りを気遣える子に育ってほしい」とか「子どもなのに〇〇なんて」とか、聞いたことありませんか。思ったこと、ありませんか。

フリースクールRizを設立した当初、インタビューでこんな質問を受けたことがあります。

「Rizに通うお子さんには、どんなふうになってほしいですか?」

考えて考えて、考えたけど、答えが出ませんでした。

だってわたしは、子どもたちに「なってほしい姿」なんてないんだもの
別に「子どもらしく生きてほしい」と思ってるわけでもありません。
強いて言えば、「生きてくれてたら」とは思うなってくらいです。

わたしが、Rizのメンバーたちが目指しているのは、「子どもたちが自由に選べる社会」です。

たとえその選択が、周囲の大人にとっては望ましくないものだったとしても。リスクの大きいものだとしても。自由に選択でき、かつ正しく支援される社会をつくりたいのです。

成長や我慢を強制されることなく、あらゆる選択が尊重され、すべての子どもが安全かつ迅速に教育と居場所にアクセスできる。

そんな社会を実現するために、日々相談対応やフリースクール運営、情報発信に努めています。

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子どもたちが安心して笑い、安心して泣ける場所を守るために。あなたの力が必要です

そんな想いをもって約2年間運営してきたRizですが、現在は子どもたちの安全を守るために5月末までの休校を決定しています
現状を見るに休校が延長される可能性はあり、6月以降どうなるかはなんとも言えません。

フリースクールは、学校に行っていない子のための教育施設です。
学習指導や課外活動もおこないますが、子どもたちの精神面のケアをおこなったり、コミュニケーションの練習の場になったりもします。

Rizに来る子が、教えてくれるんです。

「自由に過ごしても怒られないし、リラックスして過ごせるのが良い」

学校が居場所とならなかった子、家族や大人の前では心配かけまいとつい肩肘を張っちゃう子にとって、フリースクールは唯一の「全身の力を抜いて、心から楽に過ごせる場所」になり得ます。

不登校の子どもたちにとって、その場がどれだけ希少か。

少なくとも、わたしはそんな場所を見つけるまでに19年かかりました
不登校だったのは中学生の時の約半年間だけだけれど、高校卒業するくらいまでは、常にどこかに力を入れて、突っ張って生きていました。

誰かに縋り付いて、思い切り泣いてしまいたかった。
でもそんなこと、できる相手もいないし、きっといたとしても自分自身が許さなかった。
だって、わたしにとって誰かに迷惑をかけることは悪だったから。

だからわたしは、どうしてもこの場所を守りたいのです。
過去のわたしのように、この世界にひとりぼっちなように感じて、声をころして泣く夜を繰り返す子のために。

安心して笑えて、安心して泣ける場所を守りたいのです。

もし、ここまでを読んで共感してくれた方、関心を持ってくれた方がいらっしゃったら、どうかお力を貸していただけないでしょうか。

現在Rizでは、休校とした2か月間の運営維持費を確保し子どもたちの居場所を守るため、クラウドファンディングに挑戦しています

現在すでにたくさんの方からご支援していただいておりますが、より多くの方にフリースクールや不登校について知っていただき、苦しさを抱える子の存在に気づいてもらうためには、もっとたくさんの方のご協力が必要です。

ぜひご支援、SNSでのシェア、応援メッセージなど、ご協力をお願いいたします。

Rizはこれからも子どもたちの居場所として、保護者の方の居場所として、学校の先生や教育関係者、地域の方、皆さんの居場所として。できることを粛々と、全力でやっていく所存です。

フリースクールRiz
「元不登校生たちが運営する中高生向けフリースクール」
サイト:https://riz-school.com/
Twitter:@riz_school

クラウドファンディングに挑戦中!

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