10日でnoteを25本書いてみた。【ありがとう、note】

周りの人に感化されてnoteを書くようになってから早10日。

気づけば、25のnoteを書いていた。

自分としてはあんまり頑張ったわけでもない(最後のほうはちょっと意識したw)のだけど、これまでは1日1本書くのが限界だったので、自分でもちょっと自分を褒めたい気持ちになっている。

せっかくなので、最後のほうに意識していたことをいくつか紹介したい。

①自分の感情の解像度を上げる

解像度を上げる。良い言葉だと思う。
「自分のことは自分が一番よく分かってる」なんていうけれど、そうとは限らないと思う。少なくとも以前のわたしは自分の感情なんてこれっぽっちも分かっていなかった。周りからどう見られるかばかり気にして、自分が本当はどうしたいかなんて、考えたこともなかった。

普段はそれでも支障はないのかもしれないけれど、何も予定のない日にやることが仕事しか思い浮かばなかった時、さすがに「やばいかも」と思った。

自分のことを知ろうとしなければ、自分のことなんて見えてこない
そして、自分のことを知るには、まず自分の感情の動きに敏感にならなくてはいけない。それが「解像度を上げる」ということだと思う。

広く認知 × 深掘り = 解像度の向上

解像度を上げる方法は主に二つあって、一つは「自分の感情を広く知ること」。もう一つは「自分の感情を深掘りすること」。

自分がどんな場面でどのような感情を持つのか。そして、その感情はどこから来ているのか。原体験があるかもしれないし、友人に重ねているかもしれないし、人生で大事にしたいものがあるのかもしれない。
一つひとつに目を凝らして、言語化してみる。

解像度が上がると、あらゆる出来事に対して、自分がなんらかの感情を持っていることに気がつく。
たとえそれが、多くの人が見過ごしてしまうくらいのものであっても。晩御飯が美味しかったとか、駅に着いた時ちょうど電車が来たとか、ふと立ち止まった足元の花がきれいとか。小さな出来事から、大きなものを受け取っているのに気づくのだ。

それは、喜びや幸せかもしれないし、怒りや悲しみかもしれない。その感情がネガティブであろうとポジティブであろうと、自分の感情を大切にしてほしい。

②ひとのnoteを読む

アウトプットをするのには、インプットが必要不可欠。意識しなくても情報が入り続けてくる世の中だけど、それでもやっぱり「意識したインプット」と「意識していないインプット」には大きな差があると思う。

特に文章を書くのなら、他の人の文章を読むのはとても大事。新しいnoteのネタにも繋がるし、表現の幅も広がるし、自分の書き方のクセも分かる。

noteは、ブログのようで、SNSのようで、でもそのどちらでもないと思っている。ここでしか得られないもの、noteだから伝わるものが、あるんじゃないのかな。

読んだnoteの感想や学びを定期的にまとめるのも面白い。
ひとつのnoteに対する感想文をnoteに書いてみるのも面白い。
誰かとラリーのように相互にnoteを書いても面白い。

自分の中から湧いてくるものだけが自分の創作なわけではない。
誰かのnoteを読んで感じたこと、学んだこと、変わったこと、知ったこと。そういうのも大切なあなたの一部だから、ぜひ言葉にしてみてほしい。その学びが、また別の誰かの学びに繋がっていく。

③等身大の言葉で書く

noteを書き始めてすぐ、「もっとうまく書けないかな」「たくさんの人に読まれるテーマってなんだろう」と考えている自分に気付いた。
ライターという仕事をしている影響もあって、ダッシュボードの数字も欠かさずチェックしてしまうし、平凡でない「良い言葉」を探してしまう。

でも、もともとわたしがnoteを書こうと思ったのは、周りのnoteを書いている人たちが楽しそうで、「そういえば最近、楽しんで書いてないな」と感じたからだ。部屋を掃除したら子どもの頃のたからもの箱が出てきて、懐かしみつつ幼少期の遊びをするような。「そういえば、わたし、こんなのが好きなんだった」って思い出せるような感覚があった。

その感覚を、常に胸に留めていたい。
だから、人と違う表現を探すことはやめて、等身大の言葉をつかうことにした。
「すごい」とか「すてき」とか「好き」とか、すぐ使っちゃう。「イェーイ」とかね。

ライターらしからぬ行為なのかもしれないけど、心地良い。お仕事で書くのも楽しいけれど、一個人として文章を書くのもまた違った楽しみがある。

もし今あなたが「特別なこと書けるわけじゃないし……」「文章、あんまりうまくないし……」と表現することにストップをかけているなら、そのストッパーを一度外してみてほしい。
特別なことじゃなくていい。うまい文章じゃなくていい。だってnoteは、何か優劣をつけるような場所じゃないんだから。読者の数も、スキの数も、フォロワーの数も、自分の評価を下げなくていいのよ。ぼちぼち、気楽に書いてこ。

④書く時間をつくる

どれだけ感情への解像度を上げても、インプットをしても、アウトプットのハードルを下げても、そもそも時間が足りなければどうしようもない。

わたしは社会人の中ではわりと余裕のあるスケジュールを送っているほうなので偉そうなことは言えないのだけど、「書きたい」なら、「書く時間をつくる」ことは意識したほうがいいと思う。

例えば、移動中はスマホで書くとか。テーマが思いついたらさっとどこかに投稿しておくとか。まずはTwitterで軽く投稿してそれをふくらませてnoteにするとか。帰宅したらとりあえずパソコンを開いてnote書くとか。寝る前に書き上げられそうなnoteがあれば書ききっちゃうとか。

たぶん、noteを続けている人は意識せずにやってることなんじゃないだろうか。

ちなみにわたしは短期集中が苦手で、テレビとか観ながらゆるゆる書いてくのが好きなので、よくそうしてる。自分なりのスタイルとか、好みの書き方、リズムが見つかると、またぐっと楽になるのかな。

⑤書かない時間も大切にする

書く時間と同じくらい、書かない時間も大切にしている。
特にわたしは仕事と趣味がほぼ同じなので、昔は趣味に没頭しすぎて脳が疲れすぎて仕事が進まない……なんてことも。

だから、「noteを書かない」マイルールを決めている。

・noteを書き上げたら一旦noteからは離れる
・入浴中はながらnoteをしない
・ご飯中もながらnoteをしない
・1時間noteを書いたら10分以上の休憩
・書きたいテーマ以外では書かない

ルールというほど気にしているわけじゃないし、罰則を決めているわけでもないけど、なんとなく気にかけている。

特に「noteを書き上げたら一旦noteからは離れる」は大切にしていて。調子が良いと何時間でも没頭しちゃうんだけど、一回ゴールに到達したら、そこで一旦終わりにする。離れた後は、なるべく書くこととは遠いことをする。犬と遊んだり、お散歩に出たり、ポテチを食べたり。
それでまた「note書きたいな」って思ったら机に向かう。ベランダで書く時もあれば、愛犬に添い寝しながら書く時もある。
そのくらい気軽に、noteを書いていきたいなぁと思っている。

なにより:noteを続けるには、noteを楽しむこと

いろいろと書いたけれど、結局は「楽しめれば」それでいいと思う。
書いたものを世に出すって、なんだかハードル高いように感じるかもしれないけど、そんなことないから。大層な学びや世紀の大発見でなくていい。日々の出来事とか、ちょっとやってみたこととか、最近嬉しかったこととか、そういうのでいい。そういうのがいい。
そういうのを、続けていきたい。

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