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生きるのさえ大変なこの社会で、生きるのに大切なこと

先日、久々にカウンセリングを受けました。

遠慮しいで相談ベタ、かつ痛みは耐えて乗り越えがちのわたしにとって、カウンセリングという「自分の話だけをしていい時間」はとても貴重な存在です

忙しい日々の中で、零れ落ちてしまうものたち

情報過多の社会です。
たくさんの繋がりに溢れ、自ら選ばない限りは「ひとり」になる機会はとても少なくなりました。

こんな社会で生きていくには、全力疾走とまではいかずとも、休まず歩き続けるくらいの根気と体力は必要なように思えます。

生きるだけで大変。頑張るにはもっと大変。そもそもみんな、頑張っている。

頑張るってなんだ。そう問いたくもなるこの社会で、すべてのものを抱えるのは難しい気がします。

気心の知れた友人と、いつものカフェで近況報告をしあう時間
生産性も何も気にせず、ただ楽に過ごすだけの場
朝起きて見る、二度と出合えない今日だけの空

そういう何気ない、けれどとても大切なはずのものが、「無くても困らない」というだけの理由で、手の隙間から零れてしまう

零れるのは、悪くありません。
わたしたちの手の大きさは決まっているから、全部全部持っていこうとはしなくていいと思います。

でも、たまにでいいから思い出してほしいのです
月に一度でいいから、振り返ってみてほしい。

空をゆっくり眺めたのはいつですか。
目的に縛られない会話をしたのはいつですか。
「ああ、楽しい!」と心から思ったのは、いつですか。

大切なものはきちんと持てているか。
どこかに置いてきてしまっていないか。

「無くてもいい」と思っているソレが、実は大切なものかもしれません。
いつか、あなたを救うかもしれません。

苦しい問いも、誰かと一緒なら向き合える

わたしにとってカウンセリングは、正にその「思い出す」時間です。

何か大切なもの、落としてないかな。
ちゃんと両手で包めているかな。

そう、一つひとつ確かめながら、「わたしって、本当は何を大切にしたいんだっけ」と問い直していきます。

特に今回のカウンセリングは、「無くても困らないから」という理由で置いてきてしまった、「忘れ物」たちを取りに戻るような時間でした

忘れ物とはすなわち、「当時のわたしが“向き合わない”と選択した」ものです
そこと向き合うということは、苦しさや居心地の悪さ、難しさを含みます。決して少なくはない量の。

悩みに苦しむ渦中だったら、向き合えなかったでしょう。

長い長いトンネルを歩くには、心が弱りすぎているから。
出口を見つける前に、きっとうずくまってしまう。
もう立ち上がれなくなってしまう。

向き合えたのは、わたしが元気だったからです。
わたしがいま健康で、仕事が楽しくて、友達がいて、「戻る場所がある」と理解できているからです。

そしてカウンセラーさんという、苦しみを理解し、声を尊重し、隣に立ってくれる人がいるからです。

きっとこれからも、苦しい問いがうまれる時はあると思います。
忘れ物はまだ拾いきれていないし、わたしの両手は決して大きくないから。

ちょっと進んで、また戻って、さっきより少し先へ行ってみて。
そんな生活を、生き方を繰り返すのだと思います。

それでも「大丈夫」と前を向けます。
だってわたしはもう、一人ではないから。

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「カウンセリング」と言うと、どうしても「心の病」や「深刻な悩み」とあわせてイメージする方が多いと思います。
わたし自身、そう考えていました。

もちろん、それらを抱える人にとって、カウンセリングを始めとする心のケア、セラピーはとても大切なものです。

しかしだからといって、「それ以外の人には必要がない」というわけではありません。

元気な時だからこそ、見つけられるものがあります。
余裕のある時だからこそ、向き合えるものがあります。

もしあなたが、どこかで「カウンセリング、一回試してみようかな」なんて思ったら、ぜひ、少しでも余裕のあるうちに。

未来のあなたのために、一歩踏み出してみてもらえたら嬉しいです。

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カウンセリングはこちらから。

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こちらはカウンセリングを受けた直後のツイート。忘れ物を取りに帰るような、貴重な時間となりました。


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