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【たから語り】加門果樹園の〈前例なき挑戦〉

加門果樹園は兵庫県神崎郡神河町、峰山高原の山麓にある小さなブドウ園。地域の有機質肥料の活用、ハウス内での減農薬栽培にこだわり、美しさとボリューム感を兼ね備えたブドウを栽培されている加門和弘さん・加門英樹さん親子に今回、取材させて頂いた。

定年を間近に一念発起!

和弘さんがブドウ栽培を始めたのは57歳の時、会社を早期退職し何を作ろうかと考えていた時、ブドウ栽培に関する新聞記事を読み興味を持ったことがきっかけだ。
 
「早期退職を前に何をしようかなと思った時にブドウを作る新聞記事があって、それでブドウを作ろうと。それまでも桃とかリンゴとか、梨をずっと作ってたんですが、これは作業が単純であるし、リンゴに関しては、味が(名産地と比べて)あんまり美味しくないと言うこと、梨は消毒の回数が多いので、環境的にも体にも良いことがないなあということで、ブドウを作ってみようと。」
 
そこからブドウの産地としても知られる岡山県内の各所を繰り返し回り、時には大学へも足を運び、再三にわたってブドウ栽培に関する勉強をした。
 
「岡山大学、岡山農業試験場に行ってずっと勉強して、実らすには、実をつけるんにはどうすればええんやと、何としてもかっこええブドウを作るんや、おいしいブドウを作るんやと、もうその一点張りでほとんど満足することはなかったです。」

-なぜ神河町で始めたんですか?

「岡山県の勝央町(ブドウの産地の一つ)が神河町と標高と温度差が似ているということ、神河町にブドウ栽培している人がどこにも誰もいなかったということで、競合相手がいなかったと、そういった関係で神河町を選びました。」

毎年1年生!?

ピオーネを育てるところからブドウ作りは始まった。日本人の口に合う種ということで始めたピオーネ作りだが、やがてテレビで皮ごと食べられるブドウが話題となると、シャインマスカットなどの皮ごと食べられる品種の栽培にも挑戦した。現在では13種類ものブドウを栽培されているが、その道のりは決して楽ではなかった。

-辞めたいと思ったことや、苦労はなかったのですか?
 
「ブドウを作り始めて20年なるんですが、毎年初めて、1年生として、これは今年は上手くいくかなと思ってもこの二十年間ずっとこう躓くいうんかね、すんなりいくような年はほとんど無かったです。」
 
なかなかブドウが実らず、なぜブドウが実らないのかと苦悩した。また粒の大きく甘味の強いぶどうを作るには摘粒という余分な粒を切り落とす作業を行う必要があり、ブドウの木1つ1つをじっくり観察し、見極めなければならない。いつも同じように作業すれば良い訳にはいかない。
今後は皮ごと食べられる品種の数を増やし園のメインとしたいと話す和宏さん。
 
-やる気、モチベーションに繋がることを教えて頂けますか?
 
「おいしい、安い、かっこええ、そういうことで褒められると、よし来年も、また来年も美味しいブドウを作ってやろうと、前へ前へ進もうとなります」

地元に根ざしたブドウ園に

今では遠方から加門果樹園のブドウを求める人も多いようだが、全国区の大規模な果樹園になるのではなく、自分たちに合った方法でブドウ作りを進めていく。

-お客さんはどこから来られる方が多いですか?

「千葉県や東京都からのお客さんがだんだん増えてきています。増えてほしくないですけど(苦笑)」と話すのは息子の英樹さんである。

なぜなのか?

「全国区になってほしくないというか、やっぱり地元に根付いたブドウ園になりたいと思うし、大規模化はしたくないんです。自分のできる範囲よりちょっと余裕があるくらいで将来やっていきたいなと。無理をすると電池切れしちゃうので、地元のお客さんを大事にしたいなと、僕はそう思いながらやっています」
 
地元に根差したブドウ園として、神河町の人々を、自然を愛し、対話しながら無理をしないペースで加門果樹園は歩んでいく。
「神河町は住みやすい、田舎でありながら住みやすい。是非、神河町に住んでほしいなと思っています。」と英樹さんは話す。

変わりゆく時代の中で、変わらない良さを持った人々や自然がそこにはある。次はあなたが神河町に一歩踏み出すときだ。                (チームNomura:丸山颯空)

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