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【たから語り】養父市・広瀬栄市長の故郷とマニフェスト

癒しのまち、挑戦のまち

広瀬栄さんは1947年兵庫県養父郡(現・養父市)生まれ。鳥取大農卒。会社勤務を経て、76年八鹿町役場に就職、商工労政課長、企画商工課長、建設課長を歴任。養父市都市整備部長、助役、副市長を経て、2008年11月養父市長に就任。現在4期目の養父市長をつとめている。

岡崎ゼミの3年生は、2023年11月6日、広瀬市長を囲んでお話を聞かせていただいた(養父市子育て・移住サポートセンターにて)。

都会の競争から離れて故郷へ

広瀬さんは養父市長に就任して15年になる(2023年11月現在)。八鹿町役場で働いていた期間を含めると、約47年間故郷で働いてきたことになる。広瀬さんは故郷を離れて鳥取大学に進学、卒業後、大阪で民間企業に勤めるが、そこで競争社会の厳しさに直面する。

「仕事に関しては、今のように働き方改革のない時代でしたから大変でした。ですがそれが当たり前だとみんな思ってました。同期の仲間よりいい仕事をするんだ、たくさん仕事をするんだ、たくさん稼ぐんだ、利益を上げるんだ。そうやって働き続けました」

けれども、やがて都会の競争に疲れてしまい、故郷に戻ってやり直そうと決心したという。

「競争の世界で荒んだ心を故郷は癒してくれた。つらい気持ちを受け入れてくれる。そして立ち直らせてくれる。これが〈ふるさと〉なんだと感じた」

――辛かった時の自分に何か伝えるとしたら何を伝えたいですか?

「人それぞれの選択は多様だから、自分に合った方法を選んだらいい。選びようがない時はいったん離れて、癒し直す時間と空間を持った方がいいと思う」

――故郷に戻ってきて見方は変わりましたか?

「そんな変わらなかった。素晴らしい故郷が素晴らしいまま残っていたということかな」

マニフェスト

―長らく市長を続けられているモチベーションは何ですか?

「しんどいよ。それでも、社会の役に立ちたいとか、幸せな家庭で豊かに暮らしたいとか、国づくりに貢献したいとか、みんな志を持ってやっている。市役所も一緒なんですよね。地域のために役に立ったり、地域の人びとが幸せに豊かになって住める地域をつくりたいという志をもってやっている。民間の志も、公の志も、行き着くところは一緒なんです。国の繁栄、地域の繁栄、そのなかで市民が豊かに安心して安全に幸せに快適に暮らせる社会づくりをめざして、企業は企業なりに利益を上げながらやろうとしているし、行政は行政なりに税金を使ってやろうとしてる。目的は一緒なんです。」

「養父市のことでいえば、市民を幸せするという意味では、市長になる前から、役所の職員のときから同じ思いです。市長としては、養父市の取り組みが他の自治体のモデルになればいいという上向きな気持ちを持ちながらやってきました」

いま養父市は少子高齢化という大きな問題を抱えている。50年前は約4万人だった人口が現在は2万2000人。2090年となると単純計算でゼロになってしまうという。

「人口減少の波を止めることは大変なんです。養父市、国、県、それぞれが少子化対策に努力をしています。私も市長になるときに『豊かで安心安全な社会を作ります』というようなマニフェストを出しました。少子化対策、経済の活性化の施策、教育の問題の解決など、大きな項目7つとそれに付随する小さな項目140を超すマニフェストを提示しました。毎年マニフェストを検証していますが、15年経って、当初出したマニフェストの達成率は約80%です。残りの20%は役所だけでは解決できない点があります。国の制度の中で私のマニフェストが実現するための手段がない。養父市のためにやろうと思えば、国の制度も変えていかなくてはいけない」

養父市を変えたくても国の制度がなければ動くことができない。市長は国に対し要望を出し続けているが、実現は容易ではない。

たからもの:挑戦というDNA

――市長が思うこのまちの「たからもの」はなんですか?

「ふるさとっていうのはいいよね。荒んだというか、競争に疲れた気持ちを癒してくれたね。つらい時とか、受け入れてくれるもんだよな。心の傷を癒してくれるもんだよ。この素晴らしいふるさとが人がいなくなって無くなるってことが考えられるかい? みんなのふるさとはそんなことになっていいと思うかい?」

「氷ノ山、ハチ高原のスキー場、農家に加え、ここに住む人々がたからものです。都会で荒んだ自分が立ち直れたほど、養父市民は優しい」

「養父市はね、新進気鋭のまちだなって俺は思ってる。我々の心の中には『挑戦』ということが、一つの大きな養父市民のたからとして、DNAとして残っている。これが『たから』だね」

最後にこれまでの人生を振り返り、広瀬さんが私たちに大切なことを教えてくれた。

「青春は一途に進めばいい。ただ一途だけで進めないときもある。その時にどう上手く乗り越えていくのか。どう社会を受け入れるのか。どう自分をコントロールするのか。この能力のベースとなるのは一般教養です。これを得るためには、本をたくさん読むこと。社会を幅広く知るためには、本から得られる知識が必要です。どんどん読むと、社会に突き当たるときやいろんな人とお付き合いするときに力になってくれます。自分の引き出しを多く持つことで、多様な話題に飛び込める。そして人の生きる幅が大きくなります。たくさんの知識を蓄えて、これからの人生を歩んでいってほしいです」

今回私たちは広瀬さんがどんな人生を歩んできたのか、どんな思いで市長をつとめているのかを聞くことができた。一番印象に残っていることは、故郷に帰った際のお話だ。都会の競争で荒んだ心を故郷は受け入れ、癒し、立ち直らせてくれた。広瀬さんにとって養父市はなくてはならないものである。そして、私たちにとっても故郷はなくてはならないものだと感じた。養父市民を第一に考える姿も印象的であった。

広瀬さんは生きる上で大切なことを教えてくださった。壁にぶつかったときどうするのか。どう自分をコントロールするのか。そのためには何が必要であるのか。これから生きていくうえで基盤となる話をお伺いすることができた。

2023年度岡崎ゼミ3年生(辻賢人/山際飛奈太/北里優花/勝田雄心/前田朱里/白井晴菜)

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