才能は文章の奥にある

noteでは、テキストのほかに、画像や動画も売られてますが、それはよくわからないので、文章について書きます。

noteにアカウント作って、テキストを売ってる人って、なにかしら文章を書くのが好きだったり、得意だったりする人だと思うんですよね。

で、わたしもずっと文章を書くのが得意だと思ってたんですけれど……

もっとさらにその奥があったんですよ、というお話です。

才能というのは当たり前にできていること

最近思うのが、わたしこれが得意だ! と思っていることは、実は訓練で得たものなんじゃないか、と思うようになりました。

わたし、文章書くのは得意だと思ってますが、なんせ10年以上書いてますからね。

そりゃ、そこそこ得意にもなるって。

まったく素質がなけりゃあ、どうにもならんかもしれんが、そこそこ素質がありゃあ、10年も試行錯誤しながらやってたら、それなりにモノにはなってるでしょう。

「一万時間の法則」ってのもあるしね。「一万時間の法則」がわかんない人は、検索してね。

そうではなく、天賦の才能というのは、自分が本当に当たり前にやってることなんじゃないか、と。

アラフィフにして、自分と人との違いに気づいた

わたくし、今アラフィフなんですが、友人と話していて、自分の才能に気づきました。

その才能が、その才能を持ってる人の中では、どのくらいのレベルになるか、というのはちょっと横においておいて。

その才能を持っていない人にとっては、むちゃくちゃ努力しないとできない、いや、努力してもできないかもしれない、ということに気がつきました。

わたしは、こどもの頃から、それが当たり前だったし、日常生活で使う才能ではなかったから、それが才能であることにすら気づかなかった。

みんな当たり前にそうやっているものだとばかり思っていた。

実に衝撃的でした……

え? これって、みんな出来るんじゃないの? ってね。

マジで? ってね。

もっと早く気がつきたかったww

でも、今この時に気がついたというのも、天の采配なのでしょう。

わたしがその才能を使うのに、それだけの時間とここまでの人生かけた訓練が必要だったのだ、ということにしておこう。

この才能がモノになるかどうかは、まだこれからだし。

才能は文章の奥にある

だから、わたしが文章を書くのが得意、というのは、その才能を無意識に使っていたんじゃないかな、と思うのです。

文章を書けるという素質はあるけれども、それはあくまで、本質の才能を可視化するためのものなのではないかと。

だから、文章にも、いろいろ種類があるなあ、って。

ざっくり自分なりに分けたら、

・コミュニケーション ← エッセイ系

・世界創造による伝達 ← 小説系

・専門知識などの情報伝達 ← プロフェッショナル系

こんな感じでしょうか。

自分はどの文章を書くのが得意なのか、考えてみるとおもしろいと思いますよ。

noteでの人気の出方も、ここに大きく左右されそうな気がします。

それについては、また次回書いてみます。


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