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捨てたい

もうすぐ50代に突入するわけなんだけど、さすがに50年近く生きていると、いろんなものを持ちすぎて、生きていく毎日が重くなっちゃうんですよね。

必要なくなったら、その都度捨ててはいるつもりではあるけれど、それでも、日々いろんなものが入ってきて、手元がいっぱいになって溺れそうになってしまう。

特に、インターネットが発達してからは、とにかく情報が多すぎで、捨てても捨てても、どんどん入ってくる。

もう、お腹いっぱい。

もう、限界。

だから、発作的にいらなさそうなものを片っ端から捨てていく。

たまに、クラウドのメールを削除していると、まだまだ容量がありますよ? 削除しなくていいですよ? と、ありがたくも忠告してくれるんだけど、僕は知っている。

溜め込んだら、あとで、捨てるのが大変なんだよ。

君の魂胆はわかっているさ。そうやって、捨てさせないで、溜めさせて、捨てるのをあきらめるのを狙ってるんだろう?

だけど、僕は誰かにコントロールされるのは嫌なんだ。

日々捨てていれば、まだなんとかなるけれど、面倒くさいから、今度でいいや、と、放っておくと、もう、捨てても捨てても追いつかなくて、それでも捨てなくてはならない状況に追い込まれて捨てていると、何をやってるんだかわからなくなる。

それが狙いだよね。

生涯かけて集めたものを、生涯かけて捨てていく。

遠い目になって、人生の意味を考えたくもなる。

ちなみに、こんなことを書いて、いろいろ混線したり、誤爆したり、混乱しているのも、パソコンのWindows10のアップグレードに失敗し、データが一部吹っ飛んだからですね。

バックアップは一応取っていたけど、取り忘れたものもいくつかあったり、同期がうまくいってなかったものとかあったりするわけで。

Atokエクスポートし忘れたよ。また、調教し直しだよ。

ただ、そうやって、半強制的にいろいろ失ったことが痛恨の一撃かというと、確かに痛恨なんだけど、ばっさり捨てて、すっきりしたかも、と、ほっとしている気持ちも、本当のところ、どこかに、かすかにあったりするのですよ。

データをあれもこれもと収集する一方で、これを全部捨てることができたら、どんなに軽くなるだろうか、と思うこの矛盾。

なくなった、ということは、必要なかったということさ。

必要ならば、また必ず手に入れることができるよ。

と、一部データが飛び、一部ソフトがうまくインストールできないパソコンを前に、スピリチュアルに格好をつけて、自分を慰めています。


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