#1 「信じる」の本質とは?
こんばんは。今日もお疲れさまです。
部屋の窓から入る夜風が心地良い季節になりましたね。
ここ数年、自分の中でいろんな変化が起こっているのですが、さまざまな経験をするなかで、
「"信じる"ってどういうことだろう」
とよく考えるようになりました。
特にそれを強く感じたのは、前のパートナーとの婚姻関係解消を決める少し前。
周りのことを気にしすぎている私を見兼ねた義母が、
「信頼できる人が側にいるんだから、吐き出して気にしなければいいじゃない」
と、彼を指しながら言ったとき、私はすぐに反応できませんでした。
とても気難しい私を理解してくれた優しい彼と一緒に幸せになりたくて、4年の遠距離恋愛を耐え抜いて、夢いっぱいで結婚したはずなのに、最後まで私は彼に自分の胸の内を明かすことができなかった。
彼を心の底から信じることができなかったのです。
小中学生の頃にいじめを受けた経験があったり、元々が真面目で疑い深い性格なのもあったりして、自分が傷つくのを避けるために(身近な人に対しても)自分を明かさないように意識していました。
でもこれが、かえって周りの人を悲しませてしまうことになってしまった。
人を信じられない所為で、また次も同じ過ちを犯してしまうのではないかと思うと、自分が嫌で嫌で仕方なかった。
そもそも、「信じる」とはどういうことなのか。
思考を巡らせた結果、
「信じる」=「期待しないこと」
なのではないかと考えました。
映画『星の子』の完成報告イベントで、俳優の芦田愛菜さんが語った、
"その人自身"を信じているのではなくて、
"自分が理想としているその人の人物像"に期待してしまっている
という言葉がそれに近く、妙に納得した部分がありました。
期待は時に、価値観を押し付けることになってしまう。
だから、期待をしないことで、相手を受け入れるキャパシティが自分の中で自然と生まれる。
でもそれだと何だか一方的で、自己満足のような感じがして、相手と通じ合うという意味合いでの「信じる」とは少し違う感じもする。
うーん…
腑に落ちたような落ちてないような、微妙な気持ち。
そして今日、この難題解決のヒントを求め、神戸で開催された山平和尚のお話会に参加してきました。
山平和尚はお話の中で、こう語ってくださいました。
是非、人に甘えられる人になってください。
「甘える」というのは、「頼る」ということです。
結構人に頼るのが苦手だという人が多いけど、頼られて嫌な人っていないと思う。
「信頼」の「信」という漢字は、人に言うって書くでしょう?
「あなたの事頼りにしてますよ」と人に言える、それが「信頼」です。
持ちつ持たれつ、偏ることなく、お互い想い合って、
与えられる(応援できる)人間であれば、必ず上手くいきます。
まさに、求めていた答えでした。
離婚した当時の私に足りなかったのはこれだったんだと、私が考えている以上に人ってあたたかいものなのかもしれないと気付かされました。
それと、自身で辿り着いた「期待しない」の考え方についても、
「期待しない」=「蓋をする」「見放す」
ではなく、
「期待しない」=「相手に任せる、委ねる」「(ある意味で)手放す」
に近いのではないかと、少し納得。
とてもいい学びをさせていただきました。
この学びを、今後の自分を変えるきっかけにします!
それから少し、自分の話。
お話会の後、個人的に和尚さんとお話する機会を頂けたのですが、
「実は声かけようか迷ってたんやけど、あんた我慢するタイプやろ?
ちゃんと毒は吐き出しや。自分らしく、頑張りすぎんでいいんやで」
とお言葉をくださり、私の手を大きな手で優しく包んでくださりました。
帰りの電車の車窓から見える、夕陽が反射するあたたかい海の輝きが今日は少し滲んで見えたのは、ここだけのお話。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
明日からまた一週間、お互いほどほどに頑張りましょうね。
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