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はばたけ!はばたけ!はばたけ!

私は子どもの頃からいい子ちゃんだった。

「takaponはいい子だねー」って言って育てられた。
「お姉ちゃんだね!すごいね〜、かしこいね〜」って、大人たちは言った。
それに、なんの疑問も感じなかった。真剣にそうなのだと思っていた。

大人がこうしなさいと言われることを鵜呑みにしてきた。
自分で考えるアタマをもち合わせなかった。
暗記物のつまらない勉強を言われるがまま、機械的にやってきた。自分でなにかを作り出すことをしたことがなかった。
自分の意見をもったことがなかった。
持ったとしても、行動に結びつけるとはどういうことなのかを知る由もなかった。

高校に入り、進学校の勉強についていけなくなると、マンガやティーンズハートシリーズにはまり、空想の世界を生きているような学生時代だった。


そんな私の次男は違っていた。
わたしからすると異端だった。
嫌でもなんでも、私にとっては高校に行くのが普通で当たり前なのに、彼は高校に入って3日で辞めた。
行かないで何をするのか、いったいどうするつもりなのか、将来はどうなるんだろうと不安に思う私をよそに、本人はずっと部屋に閉じこもり好きに暮らしていた。
友達なんかひとりもいないみたいだが、それでもなんの支障もないようだった。

あれから5年たった今も好きに暮らしている。なんにも困ってないみたい。それどころか自分のしたい夢もやりたいこともいっぱいある。ただ多分世間が彼の考えには追いついてないと思う。
世間が、というより、私が追いついていないのか…

何が言いたいのかといえば、自分の常識を疑い、新しい価値観を受け入れること。

自分の常識とは、いつも正解だけを追い求めるこころ。答えはひとつしかないという狭い世界観。
正解を教えてもらうために、手段ばかりを知りたがる自分のこころ。

次男を通して学んだ。いや、学んでいる。
正解がないという問題(問い)があること。
なにが正解かみたいな、学校時代に叩きこまれた常識なんてないこと。
みんな同じ方向を向かなくてもいいこと。
道はひとつではないこと。

ツマラナイ常識にがんじがらめだった自分を解き放つことができるかもしれないと思った。自分のアタマではなんにも考えず、教えられた正解を生きる自分。世間や大人たちが決めた正解。そこから、解放され自由への道を歩く。
それは、怖いことではあるが、それ以上にウキウキした感じがする。
自由はどこまでも広がっており、その自由を選択するのは自分であり、自由には責任がついてくるが、自分の責任であれば何をしたっていい、自分の幸せの方向に向かって、はばたける。

はばたけ!次男!そしてわたしも!

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