介護離職 理想と現実のギャップ

介護離職が騒がれている
介護離職は比較的会社員に訪れやすい
仕事をして給料をもらってローンを返済して休日はドライブするという価値観である
当然土日といえば「休み」と答える
彼らにとっての理想の家庭は子供が休みの土日はマイカーで出かける
平日の朝はみんなで朝食をとって職場と学校に出かける
奥さんも共働きで住宅ローンの返済に協力する
こんなマスコミか大企業が作った昭和的家庭をイメージしているとその家族の枠に日常的に含まれていないおばあちゃんが厄介ものになってくる

おばあちゃんはいつかその時がくる
長かれ短かかれ介護が必要になる
しかも介護が必要になる前に入院が必要となる病気になることが多い

病気で入院はイコール介護の始まりである

おじいちゃんおばあちゃんは特殊な場合を除いて夫婦で最低4人はいることになる
一人が入院したら退院したら介護である
お嫁さんは自分の親はあれこれ理由をつけて仕事や遊びをはねのけて介護をするがどうしようもなくなると男兄弟に押し付けることができる
夫の親は他人の親だから嫁は嫁に来た時から夫の親の介護をする気は無い

嫁いびりをしていた姑、認知症で手がかかる姑も嫁からはなかなか施設に入れようとは言い出せない
介護知識が無いと姑の面倒をみたくない気持ちが先走って世間的に介護があまり必要ないと判断される「要支援」の認定しかない段階で施設を探そうとするがその高額な介護料にやむなく自宅で介護となりうる

要支援の段階で施設に入れようとするとイメージとしては、主婦が1ヶ月パートした給料におばあちゃんの国民年金を加算した金額程度になるように制度が設計されている
国は抜け駆けは許さないということだ
家族で介護するか人を雇って面倒をみてもらうかは比較的介護が必要ない段階では金銭的にだいたい平等になるようになっている

要介護認定が出るようになってくるとどれだけ制度を理解しているかとどれだけ家庭医療に精通している主治医を見つけるかでおばあちゃん達の運命は変わる

要介護状態のおばあちゃんをもつ家族がまず勉強すべきは、どんなサービスを使えるかを理解することだ
国の制度の方向性としては施設に入所と言える段階は、少しでも心不全などの持病が悪化したり肺炎になるとすぐになくなってしまうような寝たきりの状態である。
それ以外は基本的に自宅で介護することになる

デイサービスやデイケア、ショートステイやヘルパー等の言葉を聞いたことがあると思われるが、要介護度の重さによって使えるサービスの量が変わってくる
どれだけ介護が必要かについては始めにコンピュータ判定があり、そのあとに各種調査が反映される
介護とは医療の慢性期の状態であり医学的見解が介護においては非常に重要となる
例えば、一見普通に見えるおばあちゃんでも脳梗塞の麻痺が少しあるだけでトイレに行くのも危なっかしくいつ転ぶかがわからない大変危険な状況となる
こんな時重要となるのは主治医意見書である
おばあちゃんの病態を介護にしっかりと反映させる医学的意見があれば、実態よりも軽い要介護認定が出てしまって路頭に迷うことを減らすことができる

いい主治医になってくれるのは、ズバリ、神経系の疾患に精通していて運動器もわかっていて、なおかつ認知症にも理解があり、心肺機能も理解してくれる先生である

困った時に駆け込む大きな病院は基本的には若い先生ばかりである
介護に困った時に近所の大きな総合病院に駆け込むのは避けたい
若い先生は一部のリハビリテーションに理解のある先生を除いてほとんど介護の知識は皆無である
動けなくなって困ったおばあちゃんたちと真剣に向き合ってきた誠実な先生は、困る前から様々な病気を見逃さずに先手を打って治療やリハビリをしてくれて、家族にも病状をしっかりと説明してくれて、というとベテランの開業医さんなのだが、問題が複雑になってくると必要な医学領域が複合的になり、人手も足りなくて手に追えなくなってくる

いい先生は待ち時間が長いが、それなりの理由があることが多い
一人一人にじっくりと向き合っているとか、人気があって患者さんが多いとかである
半日仕事になることが多いがみんなが待ってでも診てもらっている先生に通院して加齢と向き合って行くことが一番時間の節約になるだろう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?