Part1:清水ヒストリー①
皆さんごきげんよう!清水です(≧▽≦)
今日からnoteで自分自身のこと、自分が気になっていること等を発信していきます!
自分自身、ライティングのスキルを身に着け、どんな分野でも活躍できる人間になるために、noteを書いています🔥
拙い文章もあるかと思いますが、ぜひ読んでみてください♪
初めての投稿ということで、今回は清水ヒストリー①(自己紹介)を投稿します!
まずは僕自身のプロフィールから!
基本的な紹介は以下の感じです✨
名前:清水 貴裕
生年月日:1995年4月22日(29歳)
経歴:岐阜県で生まれ高校まで岐阜で育つ
⇒大学進学で北海道(札幌)へ!
途中2か月だけニュージーランド留学を挟んでます(短っ!)
⇒就職で東京へ!
2度の異動(東京⇒名古屋⇒東京)を経て、現在は東京に住んでいます!
職歴:SP系の広告代理店(4年10か月)
⇒通信系のweb広告の販売代理店(7か月)
⇒IT系の営業(10か月目)
趣味・好きなもの:ハンドボール、サッカー観戦(レアル・マドリー大好き!)、コナン、相棒、V系バンド、etc…
生まれは岐阜県で(東京であまり見ない!泣)、そこから
岐阜⇒北海道⇒東京⇒岐阜⇒東京と点々としています!
北海道から先は大学生以降の経歴なので、我ながらいろんなところに行ってるなと思います笑
ここでクイズです!
僕の生まれは岐阜県各務原市という街です(^O^)/
さて、何と読むでしょうか?
チチチチチチチチ……
答えはぎふけんかかみがはらしです!
正しく読めた人はいますか?
個人的には日本でTOP3に入るくらい読むのが難しいと思ってます(^O^)
(よく「かくむはら」とか「かがみはら」と誤読されることが多い!
電話で住所聞かれるときは、ほぼ100%漢字の説明から入ってます笑)
場所は↓の辺です 隣は愛知なんですね~
岐阜県にいたころの高校生までの僕は(今もそうかもしれませんが笑)、
本当に話すことが好きな子供で、「口から生まれてきた」と言われるほどでした(^○^)
そのおかげで顔は広くて友人は多く、今でも会う友人がたくさんいます(#^^#)
その一方で、人に流されやすいタイプでもありました(。-`ω-)
中学の頃は不良グループに入るようになって段々成績が下がり、
高校の頃は隣の友人が全く勉強していなかったのを見て「自分もできる」と勘違いした結果、1年生から両親が心配する成績を取りました(一一")
数学で200点中28点、偏差値29を取り、母親から
「あんた4年制の大学行けるの?」と言われたことは今でも覚えています笑
そんな僕には当時目指していたことが2つありました
1つは父親の学歴を超えること、
もう1つは弁護士になることです!
小さいころから、父親を超えたいという漠然とした思いと、
テレビで見た弁護士がカッコ良かったからなりたいという思いを持っていました(*^▽^*)
高校は父親と同じ学校に進学したので、大学は父親以上のところ、特に国立への思いは強かったですね!
(地方の進学校は国立志向の風潮が強いかもしれません)
こうして僕が目指したのは、地元からも近かった名古屋大学の法学部!
当時国語が苦手だった僕は、二次試験では国語が無く(その代わり小論文はあったんですけどね笑)、司法試験合格率が高い法科大学院がある、名大の法学部は自分にピッタリだと思ったのです✨
(余談ですが、僕は名大がそんなに難しい大学だと思っていなかったんです
4つ上の従妹が行っていたので、割と身近で簡単な大学だと思っており…笑
実際の難易度を知った時は、驚くと同時に「従妹スゲー!」となりました)
とはいえ、僕の成績は先ほども書いたように1年生時は数学の偏差値が29。
数学自体はその後勉強して自分の得意科目にまで成長したのですが、
他の教科もボロボロで、高3になる前の春休みの段階で当時の英単語帳の30番目の単語の意味が分からないくらいでした…
(システム英単語、懐かしいですね~)
さらに3年生の5月中旬までガッツリ部活をやっていたので、本格的に勉強を始めたのは部活引退後から((+_+))
周りとも差がついている中で、どうやってその差を埋めるかを考え、人生でこれ以上ないくらいに勉強をしました!
その時の勉強方法なんかも、今後記事にできたらと思っています(^○^)
そうして迎えたセンター試験本番、
かなり準備をしていったのですが、2014年は悪名高い源氏物語の年((+_+))
僕と同世代の子は経験したと思うのですが、センター国語では出ないだろうと言われていた源氏物語の問題が出てきて、頭ポカーンとなりました(T_T)
(しかも光源氏が出てこない部分!知らんよ!泣)
結果、センター試験の結果は自分が求めているものとは程遠く、
センターリサーチでは名大の法学部はC判定の一番下の括り(一一")
しかも名大法学部はセンターの比率の方が高い学部で(センター:二次試験=900:600だったかな)、逆転が難しい状況でもありました((+_+))
自分の進路に直面した僕は、センターリサーチで「B判定以上で最も偏差値が高く名前のある大学」をポチポチするようになりました
(もう法学部関係ありません笑)
そんな中見つけたのが、北海道大学の経済学部!
判定もB判定でかつ二次試験の方が比率が高く、逆転も可能でした✨
そして「旧帝大」という括りにも惹かれたのです(≧▽≦)
当時、大学のネームバリューが大事だと思っていた僕は、他に選択肢がないのでは?と思うくらい、北大の経済学部を受ける気満々でした!
ただ、母親からは「大学は本州にいて欲しい」と受験前に言われていました
なにかあった時に急いで駆けつけることが難しいからです
(岐阜から北海道だと飛行機を使う必要がありますから、すぐに行ける距離ではないですもんね)
だから母親に北大を受けたいと言う時は、本当に言い辛い選択でした(。-`ω-)
結果、2回ほどの家族会議を経て、最後は母親が泣きながら許してくれるという形で、僕の北大受験が決まりました!
そして現地まで受験をしに行き(これがなんと北海道発上陸!)、見事前期試験で合格しました(≧▽≦)
思えば、自分の意志で選択をしたのはこの大学受験が初めてだったような気がします
それまでは誰かの後ろ姿に憧れたり、誰かに言われた選択をしていたことがほとんどでした(。-`ω-)
初めて、自分自身の一歩を踏み出せたこと、それを経験できた大学受験だったと思います(*^▽^*)
自分自身の成長につながった、大事なターニングポイントでした(^O^)/
大学からは初めての1人暮らしや、見知らぬ土地での経験が待っていたのですが、それはまた次回「清水ヒストリー②」の記事にて!
☆Hasta luego!☆