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個人の発言について[10/10〜10/16の日記]

二日酔いってほぼ風邪だと思う。
それでは今週の週報です。

10/10(土)

今月も無事に眼鏡屋さんのコラムを公開できた。毎回ほんとに悩みながらもなるべく正直に、なるべく誇張せずに書いているのだけど、「いつも読んでいます」という声をもらえるのは、「良いこと言ってやった」とは違う喜びがある。

https://local-optical.com/column/

個人のnoteは「週報」に変えてもう30週が経つ。自分の備忘録でもある雑文だから読む人を狭めたくてタイトルに「日記」と打ったのだけど、このスタイルを近しい方がやり始めてて、発信を「狭めたい」人は結構いるんだな、というのが所感。そして狭めてみると「正味の」繋がっている人数もわかってくる。

以前は、テーマを決めてわかりやすい内容(タイトルも考えて)を書こうとしてたけど、そうすると過去やってきたことのまとめや正解っぽいことに終始してしまう

ありがたいことに、そうゆう内容は違うとこで出して頂いているので、個人の発信はこれからも繋がっていきたい人との関係を確認するための「未来のつなぎ」にしたいというのが週報の狙いでもある。

10/11(日)

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お昼は代々木上原の『朝日屋』へ。ラーメンより「中華そば」を出すような定食屋さんが好きで、それは「いつ来てもいい」という間口の広さと温かさがあるのかもしれない。

また行きます。

10/12(月)

詰めの甘さが如実に出ることがあった。なんというか、最近はそうゆうことが多い。要はボーッとしてるということなのだけれど。

10/13(火)

以下オウンドメディアについてのメモ。

オウンドメディアの難しさは、企業のビジョンを伝えることを最も優先させるがために、メディアとしての独立性を担保するのができなくなってしまうことなのかもしれない。

トップダウン(というかトップ)が自らやることが結果として一番理にかなっているんじゃないだろうか。

どうしても「発信物」で括ると広告の延長線上で考えがちだ。ただそうやって発信を狭めれば、結果として発信はブランドの押し付けになるばかりか、ブランドそのものが「浅く短くなる」遠因に繋がるのではないかと思っている。

とは言え、ブランドが大きくなればなるほど「はみ出る」のが怖いというのはわかる。あらゆる表現を「こちら側」に寄せたくなる理由もわかる。

ブランドでもプロダクトでもそうだけど、長く深く続いているものは、手離れした瞬間から、解釈を受け手に委ねられるだけの「強度」を持っている気がする。

その強度って結局のところ「いいもの」であることに尽きるのだけど、問題は「いいもの」なのに、その自負を自らが手離してしまうことなのかもしれない。

「正解がある」という前提で動かざるをえない最近のマーケティングの方法論はどこかで行き詰まる気もしている。

10/14(水)

働いてた。

10/15(木)

働いてた。

メディアの難しさを感じる1週間だ。なるべくわかりやすく伝えたいと思う一方で、読者の想像力を信用していない文章にはしたくないという思いもある。

答えは出ない。というかいつまでも出ないのだと思う。行ったり来たりしながらやっていくしかない。

10/16(金)

仲良くさせてもらってる方の家へ。楽しい会だった。

ありがとうございます。 サポートって言葉、良いですね。応援でもあって救済でもある。いただいたサポートは、誰かを引き立てたたり護ったりすることにつながるモノ・コトに費やしていきます。そしてまたnoteでそのことについて書いていければと。