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より早くなる流行の盛衰と残る「愛着のあるシミ」_仮説の手前 35

今週の『Lobsterr Letter』で紹介されていた『GQ』の「もう何もかもがクールになってしまったのか」という記事が最近(と言ってもここ数年くらい)感じていたことを見事にわかりやすく解説してくれているような内容でした。

トレンドのインキュベーターであるTikTokを例にとると、過去数年間、コテージコア、バービーコア、ゴブリンコア、沿岸のおばあちゃんをすばやく循環させたため、それらはすべて浅薄で無意味になりました。消費者もまた、このいずれにも当てはまらないほど賢くなりすぎています。私たちは、新しいトレンドが開花する前にそれを帳消しにします。「十分な流行を経験すると、すべての新しいトレンドが流行に終わるのではないかと思います」とマルクスは書いています。「私たちは文化のメカニズムを理解しすぎるという呪いを受けており、真剣に味わうことはほとんど不可能になっています。」

もう何もかもがクールになってしまったのか
※google翻訳

記事の中では「新しいものと古いものの選択肢があると、古いものの方に常に魅力がある」とも書かれています。これは実体験としても納得できるものがあります。

つまり、流行として盛り上がる時間が急加速するのと同じく、その終わりも急失速するような感触で、それはつまり「忘れやすい」と同義です。反面、長い時間をかけて徐々に染み付いたカルチャーは、たとえそれが流行の影に隠れても、古民家の壁のシミのように剥がれずにずっと存在しているような、そんな感じがするのです。そしてふと、そのシミを見つけた一定数の人が愛着をもつような、そういう感じが「古いものの方に常に魅力がある」と思わせるのだと、個人的には思うのです。

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確たる根拠はないけれど「そうかもしれない」と思うことは、日々の生活や仕事の中で結構あると思うんです。普段は通り過ぎてしまうそういう感覚が後々顔を出してはヒントを与えてくれることも。正解やノウハウばかりが並ぶSNSでは発言することに気が引けてしまう「なんとなく」を月に2回を目処に書き残していきます。読んだ方々にとって、日常の「小さな兆し」に気づくきっかけになれれば。

仮説の手前

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